前回の記事に触発されたらしく久々にふにふにさんから投稿がありました。
今回はふにふにさんが創作した物語のようです。
それでは、ふにふにさんの『ふにふにの横笛放浪記』その68をどうぞ…。
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ふにふに作『勝手に作った二府連屋台改造物語』
時は明治41年
前年に屋台を激しく損傷した為今年は屋台を出す事が出来ません。
今年は仕様がないとしても来年(明治42年)はどうしよう。
屋台の破損はひどいし、元元大した屋台じゃないのでお金を掛けたくないし。
ましてや独立したばかりで町にお金がないしで本当に困りました。
そんな時、とある古物商から掛塚に良い屋台が百円であるよと聞きました。
は知っていたので期待感から古物商の誘いにまんまとのってしまいました。
明治42年の夏
大八車に解体された屋台を積み二俣へ曳いてきました。
そしていざ組み立てをしてみるとなんと二段の屋根
なんともへんてこりんで期待していたものとは大きな隔たりがありました。
そしていざ試し曳きをしてみると屋台が大きすぎて通れない所はあるは、
屋根は電線や家屋の軒に当たるはでどうしようもありません。
お祭りでは辛うじて諏訪神社には曳き入れたものの、
町内の曳き廻しはまともに出来ませんでした。
そして家屋の修理代を毎年弁償しなくてはならないと考えると、
貧乏な二府連ではたまったものではありません。
町内では高いお金をだして屋台を買ったのにこんなんではと非難轟々。
お祭りが終わって皆で緊急会議を開くことになりました。
「屋台を改造して小さくしよう」
「いや新造してかっこいい屋台にしよう」
「とりあえず屋台の新築費は月掛として、不足分は光明銀行から借りよう」
てな具合で話しはとんとん拍子で決まりました。
大正5年
腕の良い大工の平山さんに頼むことに決まりました。
しかし集まったお金は銀行からの借金を合わせても新築するには足りません。
そこで平山さんに相談すると今の屋台の使えるとこは使って、
彫刻は見付で良い出物があるので安くしとくよと言われました。
もう渡りに舟です。
塗師屋の氏原さんに漆を塗ってもらいついに立派な屋台を手に入れました。
またひどく壊れたら新しいの造ればいいやぁ[\(^o^)/]
この時、約百年後の平成の世に金箔、螺鈿をふんだんに使用した豪華な屋台
に生まれかわろうとはまだ誰も知らない…終わり
〓これは一部の事実を基に虚飾、創作した物語です あしからず〓