立証趣旨と要証事実 | 司法試験ブログ・予備試験ブログ|工藤北斗の業務日誌

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資格試験予備校アガルートアカデミーで司法試験・予備試験の講師をしている工藤北斗のブログです。司法試験・予備試験・法科大学院入試に関する情報を発信しています。時々弁理士試験・行政書士試験についても書いています。

さて、掲題に関して少し整理しておきましょう。

本当は伝聞法則の理解を連載形式で書いていこうと思っていたのですが、どうやらその時間は無さそうです。

やるとすれば、ブログでの連載ではなく講座を1つ設けてやります。


まず、立証趣旨と要証事実が別物であるという点は理解されていると思います。

すなわち、立証趣旨とは、当該証拠の取調べを請求する当事者がその証拠によって立証しようとする事実とその証拠の関係(刑訴規則189条1項)です(ただし,実際には,その証拠から請求者が立証しようとする主要な事実を簡潔に表示することによって明らかにされています)。

これに対して、要証事実には、はっきりした定義はありません。


それでは、要証事実とは何か。

ある実務家によれば、それは「具体的な訴訟の過程でその証拠が立証するものと見ざるを得ないような事実(いわば「必然的に証明の対象とならざるを得ないような事実」)」をいうとされます。


なぜ、当事者が当該証拠の取調べ請求をするのかと言えば、当然のことながら何らかの事実を立証するためです。裏を返せば、証拠が十分な点に関しては、証拠調べ請求をする必要など無いわけです。


そうすると、要証事実の把握には、どの点に関する証拠が十分で、どの点についての証拠が不足しているかという裁判所の心証も関係してきます。


とはいえ、裁判所が心証を基準として実質的に要証事実を判断することには批判も向けられているところです。当事者主義的な訴訟構造を採用している刑事訴訟法の建前に反するからです。


そこで、裁判所は原則として当事者の設定した立証趣旨を参考にして、要証事実の把握に努めることになります。実務上、立証趣旨と要証事実が異なることが稀であるとされることもこのような判断構造を裏付けています。


ただし、当事者が設定した立証趣旨をそのまま前提にするとおよそ証拠としては無意味になるような例外的な場合には、裁判所が実質的な要証事実を考慮する必要があることになります。


例えば、証人Wが「Yは『甲がVを殺害したところを見た』と言っていた」と証言した場合、仮に訴訟の具体的審理経過から、「被告人甲の殺人行為」が問題となっているのならば、Wの供述は伝聞証拠となります(「Yの名誉棄損的行為」が問題となっているのならば、非伝聞)。

この事案で、仮に検察官が立証趣旨を「Wの供述の存在自体」とした場合はどうか。これは、実質的に見れば、Wの供述から「甲の殺人行為」を立証しようとするものに他ならず、要証事実は「甲の殺人行為」となります。


これは実質的な要証事実が容易に判断できる事例ですが、判断が難しい事例もあります。

例えば、有名な最決平成17.9.27はまさにこの点を扱った判例です(同最決については十分勉強されていると思います)。


実は、もっと複雑な事例もあります。

例えば、収賄罪等で領収書を証拠調べ請求した際に、立証趣旨を「領収書の存在、形状、記載事項およびその保管状況」としたらどうでしょうか。これは大変難しい問題で学説の議論も一致していません。


例えば、ある有力な見解は、領収書が作成されたうえで、相手方に交付され、相手方が受領・保管している事実が別途立証されたならば、領収書の作成者の認識と保管者の認識が一致していることが推認され、その一致した認識の内容(金銭授受の事実)を、領収書の記載内容の真実性とは別に、その事実(両者の認識の一致)からさらに推認しうるとします。

仮にそのような推認が許されうるのだとすれば、裁判所が立証趣旨=要証事実であると判断したことを意味します。


(※上記有力説のような理解をした場合には、領収書は「非供述証拠」と把握されることになるでしょう。そうだとすれば、おそらく、次に「非供述証拠」と「非伝聞」の違いが問われることになります。確かに、伝聞法則の適用が無いという点では違いがありませんが、「供述証拠」を「非供述証拠」的に利用するという場面(東京地判平16.5.28など)では、問題状況が顕在化せざるを得ません。)


共謀過程で作成されたメモ等についても、同様の問題意識に基づいた議論がなされているところです。


なお、要証事実とは、主要事実に限られません。上記のように要証事実の意義を理解した場合には、「証明対象となる事実(証明対象事実)」が要証事実と把握されることになり、間接事実(ex.動機)も要証事実足りうることになります。