都立国立高校で試算しました。読み方は「くにたち」です。

余談ですけど、この地名は人工地名の走りです。

国立市史に明記されてます。

 

国立という名は、大正時代の末期、箱根土地株式会社によって谷保村の北部の山林が開発された際、まちの名前を選ぶときに出てきました。

重ねての余談ですが、この箱根土地という会社は、堤康次郎が作り上げた西武グループの中核会社の国土計画の前身でした。昭和期には多数のアスリートを抱えて有名でした。バブル崩壊後の西武流通グループと西武鉄道グループの流転を考えると、感慨深いものがあります。堤清二(辻井 喬)の流通グループは完全に消えました。個人的には、子供の時の西武高槻の開店直前大火災というのが、まだ鮮明な記憶で残っています。

 

本題に戻って。
データは、大学通信のものを使いました。人数は現浪込み。

 

 

コメントは後程。