自爆テロの被害に② | なんばるわん☆パキスタン生活

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今日も闘う日本人のブログ。

自爆テロが起きた日の夜、夫がラホールの空港から成田便に搭乗。
翌日無事に日本に到着しました。


いとこAが夫を見送る為に、ラホールへ同行してくれたのですが、本当は娘と私も一緒にラホールへ行こうかと、前日まで考えていました。


でも空港から戻り、自宅に到着するのが夜遅くになってしまうので、翌日は学校だしということで、いつもの通り自宅待機をしてました。


夫といとこAは朝早めに家を出発し、義母の墓参りをし、次に叔父のラホール別宅へお邪魔し、その後空港へ向かいました。


義母の墓地は、自爆テロが発生した公園からそれほど遠くない場所にあったそうなんです。

墓参りに行ったのは、公園での自爆テロ発生の数時間前。

夫が空港へ到着した頃、公園で事件が発生。

空港ロビーのテレビで、ニュースを知った夫は私に電話をかけて、事件のことを話しました。

私は、夫がテロの影響を受けなくてよかった…とホッとして…
娘も、パパが無事に日本に着いて欲しいと祈っていました…


いとこAは夫を見送り、叔父のラホール別宅へ再び戻り、日曜日は泊めてもらうはずでした。


翌午前中、買い物をしていたら、いとこAから電話がかかってきました。

今は叔父のラホール別宅ですか?と聞いたら病院に来ています、と言いました。

いとこAは、公園での自爆テロのこと、自分の義姉家族が被害に遭い亡くなってしまったことを話しました。

一度に旦那と子供を亡くしてしまい、お姉さんが気の毒で仕方がないと声を枯らして話していました。
それから、今こんなに大変な状況になってしまい、いつグシュランワーラーに戻って来られるか?今は全くわからない、と嘆いていました。

私も買い物先で被害のことを知り、パニックになりました。

お姉さん達の顔を思い出そうと頑張り、それでも何がなんだか良くわからなくなり…
手が震えてしまいました。


買い物先からそのまま、娘を学校へ迎えに行き、自宅に戻りました。


自爆テロのこと
学校のセキュリティのこと
居住区のセキュリティのこと
テロリストのこと…

ものすごくたくさん考えていたら、ひどい頭痛で頭がズキズキ痛くなりました。

夕方、自宅に到着した夫から電話があり、いとこAに詳細を聞いてくれていました。


娘には、少し時間を空けて被害のことを話しました。
(家庭教師との勉強が終わってから)

私より、娘の方に近い方々が被害に遭ったというのもありましたし、娘が心配し過ぎないようにと、ゆっくりと話しました。

翌日から1週間、テストでしたので…



娘もかなりショックを受けていたようですが、切り替えはできていたようです。


明日でそのテストが終わります。
(良く頑張ってます)


私もこの1週間毎日続いた頭痛が、今朝は少し良くなりました。
(日本に居る夫も頭痛がする、と同じことを言ってました)


いとこAはグシュランワーラーに戻って来ていて、昨日我が家に来ました。

忙しくて10分くらいしか話が出来ませんでしたが、いとこAは体調は大丈夫みたいでした。


日本から連絡をくれた友達、知り合いの方々、ムスリムのお姉様方、ご心配をおかけしてます。


夫のパキスタン滞在中も色々とあり、ブログに書きたいこといっぱいあるのですが、やる気になれなくて…


涙はできるだけおさえてますが、とにかく毎日毎日時間が過ぎるのが早い…


今日も
闘うことを
やめられない日本人…キョロキョロ