ななぞうしがかきます。

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友達が死んだ

「ニュースみたか」とLINEが届いて、うちにテレビなんかない、って答えた。

そいつの、むちゃくちゃよく知ってる笑顔の写真に添えて、他の国で刺されて死んだって書いてあった。

よくわからなかったのに、足が震えた。


そういえばこないだDMで、どら焼きが食いたいから送ってくれって連絡が来てた。

調べたけど、カナダに生菓子送っちゃダメみたいだから食うなって言った。

おれは一生どら焼きも食えないのかよって返事が来た。

そのときはかわいそうだなと思いながら笑ったけど、ほんとに食えてねえじゃん。雷おこし食いたいって言ってた。雷おこしまずくね?って言っちゃったけど、そんくらい送ってやればよかった。


終電逃して一緒に漫喫泊まったりとか、ふたりとも買えないのに楽器屋うろうろしたりとか、旅立つ前にそいつんちで3人で飲み倒して、翌日二日酔いで田舎道をだらだら歩いたりとか、空港に見送りに行った日とか、日本帰ってきたときに必ず顔を出してくれたのに、わたし全然話せなかったなとか、もっと話すればよかったなとか、受け入れられてもないのに微妙に冷静にそんなことばっかり考えている。


ニュースの連絡をくれた男がいる。

はじめはなんでだったか、本当に忘れちゃったけども、3人でいれば楽しかった。

今までだってこいつと会うたびに、そいつのこと思い出すのに。早く帰ってこないかな、なんてもう言えねえじゃんな。


父が死んだときとは全然違う、なぜ死ななければならなかったのか?疑問が心を埋め尽くして頭が受け入れない。

なんでわたしの友達は死ななきゃいけなかったんだ?


何があったのかわからない。

でも殺したやつを一生許さない。死んでも許さない。

会いたかったよ、きょうだい、ってもう言えない。そいつのアカウントは、まだわたしが昔適当につけたあだ名のままだ。


わたしはたぶん、人生を適当に流している数いる馬鹿野郎のうちのひとりなので、ここまで世界を憎んだことなんてなかった。

友達返せよ。こんな世の中ひとつも正しいはずない。

でも七蔵司のギターの音、俺は好きだって言ってたから、弾くよ。めちゃくちゃうまいんだから、おまえも弾けよ。ほんとにふざけんなよ。一生懸命生きてるやつを馬鹿にすんじゃねえよ。




きょうはすこし情けないお話もしますよ


20201211 シンクロニシティは8年間の活動を終えて解散しました


思い起こせばはじめてスタジオに入ったのは2011年の12月じゃなかったかなぁ(違うかも笑)ともかが「バンドやりてーから女子でかっけーことやろうぜ」つってまきことポールを誘ってわたしも誘われて始まったのがシンクロニシティで わたしは「滑舌わるくて言えないからイキシチニ的なバンド名はやめて」って言ったのにこれ以上ないくらいイキシチニ的バンド名にしてきておおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいみたいになったのを覚えてる わざとか?

2012527日に稲毛K‘s Dreamで初ライブ 最初はただただたのしいだけで始めたことだったけど続けていくうちにたのしいだけじゃなくなって メンバーがやめたり七蔵司は酒でライブハウスを出禁になったりまぁいろんなことがありました 言いたくないことだって言わなきゃいけないときもあっただろうし 自分達のやってることがほんとに正解なのか悩んだときだってありました 軌道修正してそれも間違ってるような気がしたりして 果てはなんにも信じられなくなるときだってたぶんきっとありました

まぁいろんなことがありました

でもふしぎと(このままどうなってしまうんだろう)なんて絶望的に思ったことってあんまりなくて たぶん何かしらの道を見つけてこのメンバーで歩いていけるんだろうなっていう漠然とした自信があったのです

きっとそれも舞ちゃんが入ってきてくれてからかな


最後までサポートしてくれたドラムの龍一やあべなんかもうほんとまじメンバーとおんなじで 4つ下の龍一と朝まで酒のんでめちゃくちゃ喧嘩したり 5つ下のあべとスタジオ終わるたびに公園で酒のんで人に言えないような人生相談のってもらったり こいつらなんなんだいすきってまじずっと思ってる

今までのメンバーもサポートしてくれたひとたちも含めて わたしたちが出逢ったこのシンクロニシティはきっと何かしらの意味を果たすための偶然だったんだなと思う


わたしたちはいつだって未来の話をするために 悩んでもぶつかってもきょうという時間を一緒に過ごしていた

こいつらと「なにかをするために」何かをするということ


それとなんら変わらず わたしたちには明日があるということ



1123日は大阪のraciku 神戸のiTucaっていう親友たちと大阪Club DROP3マンイベントを打ったわけだけど

あの魔の自粛期間中 暇さえあれば(というかわたしはほぼニートだったんだけども)かげちゃんとゲロ子とオンライン飲酒会をしていた ちなみにこの3人のライングループ名をあの有名なロドリゲスボンバーという

自粛中はきつかった マジ精神的にきつかった ライブはできないし家族の心配事もあったし何より自分のダメなところと真っ向から向き合わなきゃいけなくて それは必要なことだったんだけどほんとうにきつかった そんなしんどいことわざわざ友達に言わなくてもいいんだけどこのふたりには言っていた 恥ずかしいけど

そんなことがあった上で解散するって言うでしょ なんなんだよって言われたっていいのにすぐに「いっしょにやろや」ってかげちゃんが電話をくれて すぐにiTucaものってくれて あの3マンの形ができあがったわけです わたしは嬉しいやら悲しいやらでなんて言っていいかわからなかったけどとにかくよくわかんねえ感謝みたいなきもちがあふれて家でめっちゃ泣いた


ほんとはわたしたち あのときは情けないことにすぐにでもやめたかったのかもしれない もしかしたら解散ワンマンだって下手したらやらなかったかもしれない それくらいコロナ自粛でいろんなこと考えてすぐにでも次の人生に動き出したかった あとなにより個人的には情けないけどマジつらかった


口先だけではなくて あの日仲間が背中を押してくれてはじめてわたしは前に進むための一歩を踏み出せたと思った

大阪3マンの前日1122日の午前2時前お父さんが死んだ わたしはこの気持ちと事実を抱えて先に進まなきゃいけないんだって思った お父さんとの思い出はそこで増えることはなくなったけど 明け方お父さんの亡骸とふたりきりの病室で 昇ってくる朝日を浴びながらわたしは今から何かが始まるんだってわかった


この先忘れられてしまうこともあるだろうってiTucaのアキラが言ったけど わたしはいいなそれ、それでもいいなって思って

わたしももうあのときの気持ちをそっくりそのまま思い出せることなんてないかもしれないけど あの時の今を踏みしめて進んだ一歩だったから 今わたしが歩き続けていられてるならみんなに忘れられちゃっても大丈夫

でも今の歩みの第一歩の背中を押してくれたのは間違いなくあいつらだった ほんとにありえんくらいの勇気をもらった




わたしたちはこれからも未来の話がしたい 道は違えどおなじ時間を歩いていきたいと思うのです それはメンバーたちだけではなくて シンクロニシティとして出逢ったすべての仲間たちと これからの話をしたいのです


いまはっきりと今後これをしますよ 次はこれですよ みたいに発表できることはないように思えるかもしれないけど きょうもわたしは確実に明日に向かうための一歩を踏みしめて今日を生きております

わたしたちの8年間は そのうちそれぞれの時の流れに埋もれてしまうこともあるでしょう まぁそれもなんだかいいかな  わたしたちが共に過ごしたあの時間がきっと今日の 明日の新しい出逢いに繋がっているとしたら なんだかなんだかすてきだな

わたしたちシンクロニシティといっしょに過ごした8年間 なにかしらの形であなたの幸福のきっかけになりますように

わたしと これを読んでいるあなたとの出逢いも「意味のある偶然の一致」これぞシンクロニシティ あなたとの出逢いに感謝をこめて

いままでほんとうにほんとうにありがとうございました これにて解散!



みなさんどうぞ健やかで






photo by エモト ココロ

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