ななぞうしがかきます。 -2ページ目

ななぞうしがかきます。

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言葉とは 必要なこと以外たいして伝えられない まあまあ使えないものと存じます

 

 

 

感情を伝えるうえで稚拙な言葉のラリーほど無駄なことはなくて 学校で習う最低限の日本語を駆使するだけでもおまんまが食べられて排泄をして家賃を払って生きていくことができるけれども(七蔵司は現在ご実家ですが)

ある程度ものを考え自分以外の生きものと関わり 人間らしく雑踏の中を生き抜くには 人間の生活ってのはあまりにもいろんな不要な感情ばかりに大半を占められていると思う ひとつの単語も介さずにはじまる関係なんてものはないのである その手段が手話でも絵文字でも筆談でも なにかしらの行為の基礎には感情に基づいた言葉が人間と人間の間に必要不可欠になってくる、から、そうして使った言葉はその意味にこめられた必要最低限のはたらきしかしてくれないのである ないと困るけどもそれ以下もそれ以上のはたらきをぜんぜんしてくれない というかものすごく受け取り手一発の運だめしみたいな感覚がひとと会話しているとよくある だからひとは言葉を選んで選びきれなければじぶんより賢い偉人のことばを採用してなるべくじぶんの感情をニュートラルに相手に伝えられるようにしたりする

それがものすごくめんどくさくて伝わらない

ていうかひとのことばをいただいてる時点で全然じぶんのきもち伝えられてないじゃん って話になるんだけど たぶんわたしの伝えたかったことのただひとつも相手に伝わっていないのに 受け手が「理解した」とOKを出せばそれでよかったことになってしまう

わたしが言いたかったのはもっと単純で ただただ心のうわずみだけすくった感じの、なんかこうゆらゆらしてる感情だけをあらわすこうなんていうか都合のいい言葉はこの世にはないのであった しかもそれがまいにちまいにちまいにちまいにち わたしがべつにいちいち伝えなくてもわたしもあなたも生活はかわらないので べつに伝えなくってもなんにも問題ない、わたしにもなんにも問題がない

そもそもゴミに名前をつける必要はないのであって ゴミには処理方法だけ明記しておけばまわりはこまらないものです(可燃ゴミ/不燃ゴミ/ナマゴミ) ただただ日々の生活のなかで なんのためにもならないような空気ゴミみたいな感情ばかりあらわれては消えてを繰り返す

ほいでまた 無力すぎる言葉で足りないものを補うために ふれあったり抱きあったり 涙がでたりするんでしょうよ

 

 

 

 

結局やっぱりわたしの言ってることも あなたには伝わらなかったと思います

つたえられるきもちいっぱい


えーこのブログはわたしがわたしのために 生活のなかにしおりを挟んでいるようなものでして それがいんだか悪いんだかはわからないので正直読んでるひとがどうおもっているかもわかりませんが 以前某先輩が「ツイッターに悪口を書くのは公衆の面前なのでよくないが ブログならおk」とわりと叩かれそうなことをおっしゃってましてなんかそうかもな〜とななぞうしもそれに倣ってしたためております ここだけの話 わたしはしらぬまだったりわざとだったり たいせつな間柄のにんげんをよく傷つけます。という話です


ななぞうしはじぶんにとってたいせつなひとほどじぶんの主観やエゴを関係の渦のなかに堂々とぶちこんでしまうみたいで もっとやさしくひとのきもちを聴きだしてあげられるようなにんげんになれないものかなと やさしいにんげんになりたいともうずっとずっと思っているのに こころの元気の供給源がびっくりするほど固定されてしまいがちだからかも はなしを聞いてほしくてひとを責めるのがとっても得意


ずいぶんむかし わたしの親友がまだ幼かった彼女の妹に「ひとの心はどこにあると思う?」という質問をしたというはなしを聞いた

ひとのこころはその脳みそにあるのか その心臓にあるのか 彼女は心なんてないと主張していたこともあったけど

「ひとに心があるとしたら わたしとあなたのそのあいだにあるんだよ」

ずっとわたしのなかにだいじにしていたつもりだったのに どうして必要な場面で思い出せもしないんだろうなあ どうして大切な瞬間にそのことばすら否定するような行動をしてしまうのか

わからないけど なんちゅーかそんな理想的なじぶんになんてなかなかなれないものですよねとか だいたい気づくときはもうおそいけどまぁあしたはあさっては来週はさもうすこし落ち着いてわたしをことばにできたらいいな


わたしのはなしを聞いて というきもちにはかならず きみのはなしも聴かせて なんていう要求がくっついているものであります もうすぐ30歳になりますので いまよりもうすこし「聴かせて」なんてエッチなことばもナチュラルに言えるようなイケメンになりたいものですね


こちとら体当たりの強さしか取り柄も(短所も)ありませんから 今後もフィジカルつよめに生きていこうとおもいます もっともっとじぶんがやわらかくなれば 喰らった相手もいたくないとおもうのよね みんなあしたもなかよくしようね エーザイ


自己評価と他者の評価とはいっしょにしてはいけないとおもうけど たとえばじぶんと向きあううえで絶対的に必要なのは第三者の評価だったりするんじゃないかなと むかしからじぶんの反省や理想を語る上で「やさしいにんげんに」とななぞうしはおもうのです そのやさしいのかたちというのがまたふんわりふんわりしていて じぶんへのやさしさとひとへのやさしさはずいぶんとかたちが違うものだし ひとへのじぶんなりのやさしさが そのひとにとっては重荷だったり迷惑だったり 優しいだけじゃ魅力がないし ななぞうしはおもうのです ぼくは易しいひとになりたいんじゃないかと




待つか迎えにいくかほかの誰かにひろってきてもらうか なんだか自転車レースみたい笑 その道のうえならぜんぜんだいじょうぶだとこの若造はしんじてなりません なんせ携帯なくしても3日間放置するもんで(おまえのこと、信じてる。/携帯)


今夜は短文がおにあい。

滋賀に行ってまいります ことしもみんなでよくおでかけするみたいなぁ 台湾もたのしかったよ