2002年9月17日の日米平壌宣言の時まで、大半の日本人は北朝鮮の日本人拉致問題には半信半疑だったと思う。このとき金正日は拉致問題を外交カードにしようと単純に考えていたのであろう。小泉純一郎氏も現実に数人の被害者が帰ってくればそれでよしと考えていたフシがある。

ところが、実際に拉致という事実があり、北がそれを認め、現実に被害者が帰国した、という事実を突きつけられて輿論は完全にひっくり返ってしまった。このあたりが日本らしいといえば日本らしいが、なにしろそれまで「拉致なんて右翼のでっちあげ」とか言っていた政治家までいたわけで、大騒ぎになったのも無理はないとも思う。

2002年の日朝宣言の「核問題の包括的な解決」「国際的合意を遵守」「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し関係諸国間の対話を促進」
「ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も延長」という大きな成果がありながら、拉致問題に関する日本の輿論がそれらを吹き飛ばしてしまった。

小泉純一郎氏、福田康夫氏ともに拉致問題に関する国民の反応を甘く見ていたのであろう(安倍晋三氏がどこまで内実を知らされていたのかはわからない)。小泉氏はそれでも輿論の動向をみて、10月に帰国した拉致被害者5人を北朝鮮との約束通りにはもどさないとしたのに対し、福田氏はあくまで日朝宣言の他の部分の重大性にこだわり約束どおり帰国させることを主張したとされる。

一方で、5人を帰すことで(それを一旦戻すということについて北朝鮮がどれほどこだわっていたかはわからないが)「一部関係者の仕業」「それは全部処分した」「これからはそういうことはない」と約束して拉致問題は一件落着、見返りをもらえると思っていた北朝鮮は、拉致問題を蒸し返す日本側に対して態度を硬化させた。もっとも、その直前の米国のブッシュ・ジュニアの「悪の枢軸」指定の影響の方がずっと大きいだろうが、あとは核は開発を進めるわ、ミサイルはバンバン撃ってくるわ、日本とはもう口も利かないわという事態になって今日に至るわけだ。

今回、韓国のムン大統領が口をきいてくれて、キムジョンウン氏は日本と話すことも吝かでないということだ。核の放棄に比べれば「ささいな問題」であろう拉致問題について、北朝鮮が実利を取って再び交渉の席につくことはありうるだろうが、改めて見返りを要求するのも間違いなかろう。

「すべての戦争は自衛の名の下に行われる」というし、一面の真実ではあるのだが、必ずしも「名」だけではない場合もある。

一つの例としてだが、1928年の山東出兵に至る経緯を見ると(そもそもなぜ日本人が中国にいるのか、という話になると長くなるので割愛するが):

1927年 英国が中国国民革命軍に対し日本に共同出兵を要請するも日本はこれを拒否した。4月18日にイギリス公使から出兵要請があったが幣原外相の中国内政不干渉方針によってこれを拒絶している(首相は若槻礼次郎)。3月24日には、蒋介石の南京入城にあたって米英日の領事館および居留民が襲われた「南京事件」が起きる。

4月12日には国民党が反共クーデタを起こして共産党と絶縁する。これにあたり、幣原外相(若槻内閣)の内政不干渉方針は新聞・大衆から「軟弱外交」と非難されることになる。 

この後、5月に入り、田中義一内閣となって、情勢の緊迫に伴って居留民保護のために5月27日第一次山東出兵となる。この時の目的は居留民保護であるし、英米はこれを歓迎こそすれ反対することはなかった。

1928年、態勢を立て直した蒋介石の北伐軍が山東省にいたり、4月20日に第二次山東出兵となる。5月3日に日本人が襲われる済南事件が起きて、5月8日に第三次山東出兵となる。

結果として、済南全域を日本軍が支配することになる。

上記の如く、日本は一度は英国からの出兵要請を断っているが、その後「居留民保護のため」出兵しており、第一次においては必ずしもそれは嘘(「名」のみ)ではない。しかし、情勢は悪化していき、結局は1928年の第2次第3次山東出兵が行われることになる。

ここに、日本の中国進出(侵攻といってもよい)の基本パターンが現れていて「出て行く、抵抗にあう、輿論が沸騰する、出兵する、戦争が拡大する、もmっと出て行く」これの繰り返しである。

話は変わって現代の海外有事の際の日本人救出ということが話題になっている。「海外における国民の保護は政府の責任である」と言い切ったときに、なぜ自衛隊を出さないのかという議論になり、「もし出したら」という話を書こうと思ったのだが、紙幅が尽きた(尽きてないけど

そもそも米国全体の輸入が2.9兆ドル(2017年)、輸出が2.3兆ドルで、6千億ドルも入超だ。

 

そのうち日本からの輸入が1400億ドル、輸出が700億ドル。日本自身としては輸出入は赤字になったり黒字になったりでほぼバランスしている。言うまでもないことだと思うけれど、入超だったり出超だったりすること自身がその国の経済にとってプラスかマイナスかというのはそれだけで一義的に決まる問題ではない。どうもそのあたりトランプ氏が理解しているとは思えないのだが…

米国が日本への関税下げを要求してくれるのは消費者としてはありがたい。おそらく農産物の国内価格は下がるだろう。それでもオーストラリアや中国と比べて米国に競争力があるのかという問題は残るから、米国から日本への輸出が増えるかどうかはわからないが。

 

食料の自給率を安全保障上(!)問題にする向きがあるけれど、30年前に大前研一さんが指摘したとおり、米があっても煮炊きする燃料がなければ、運ぶことも料理することもできない。

一方で、日本から米国への輸出、主には自動車とその部品、加工用機械、精密機械といったものだろうけれど、米国が関税上げをするのは勝手だけれど、米国民は結局高くても日本製品が欲しいから輸入額は減らないんじゃないか。我々年寄りはプラザ合意の時に急速な円高が進んでも米国の日本からの輸入は額として増えこそすれ、減らなかったのをよく覚えている。

といったことを、トランプ氏がどこまでわかっているかはわからないけれど、結局は国内向けのポーズと人気取りに過ぎない。中国との貿易摩擦にしても関税上げ合戦になって損をするのは結局米国民だと思うけどな。

昨年(2017年)10月の時点で、材料は出揃っていたといっていい。特定秘密保護法、共謀罪、極めつけは集団的自衛権を認める安保法制。安倍夫妻が「日本会議」に近い理念の持ち主であることも自衛隊を合憲にしようとしていることも。その上での総選挙で自公が大勝したのだから、なにをかいわんや。

「ずさん管理」というのは違うよね。記録は詳細に残してある。そりゃ首相官邸まで行ったらきちんと文書で残して配るよ。少なくとも手元メモは残す。その中に首相の国会答弁と照らし合わせると首相のご迷惑になるような部分があったのでなかったことにした。きちんと管理して隠したっつーことでしょ。

自衛隊にいたっては、イラクやら南スーダンまですごい経費かけていってるわけですよ。日々のレポートをしないなんてあり得ないですよ。それをサマリーにせよ大臣の耳に入れないということもあり得ない。去年の稲田さんの「探したけどなかった」答弁で椅子からずり落ちましたよ。エジプトの王様のお墓探してんじゃないんだから。

首相や大臣や政治家たちが、動かぬ証拠になるようなものを残すわけもない。政局が動けばわからないけれど、今の状態だったら、安倍さんが言うとおり「水掛け論」で終わる。そこまで完全に読みきってシラを切ってるんだ。どんなにやじったってびくともするもんじゃない。国会で追及するのなら、野党側から間髪をいれずにつぎつぎ爆弾がでてこなきゃね。

池谷裕二さんの「ココロの盲点」に挙げられた例だが:

体調不良で病院で検査したところ、病気A,B,Cのいずれかである可能性があり、Aである確率が80%と診断された。残り20%はBかCである。X検査を行えば、Bであれば陽性、Cであれば陰性、Aであれば陰陽半々の結果が出る。という条件でこの検査をしても意味はないというのが池谷さんの結論。ロジックはわかるがこういう検査は現実にはよく行われており、必ずしも意味がないとは言えない。

例えば、この場合でBが極めてシリアスでかつBであればあまり副作用のない特効薬が存在する場合、X検査を受けて陽性であれば特効薬を処方することはありえるだろう。逆に言うと、陰性であればその可能性を排除することができ、AとCを考えればよいことになる。

大枠では森永先生の主張に組すること、必ずしもやぶさかではないのだが、いくつか気になる点はある。まず、日銀を連結しても国の債務超過は消えない。不要な外郭団体はつぶせばいいし、民営化を進めて国の株券を現金化するのもいいが、おそらく帳簿価格では売れないので、森永流「財政再建はもう出来ている」説は納得できない。財務省も一から十まで嘘を言っているわけではない。

国債によってあまった資金を集めて社会保障に流すのは正しいのだが、あまりに膨大な国債残高が将来不安をもたらすことが問題なのだ。日銀のBSをみればわかるとおり、国債取得の原資の大半は民間からの預かり金で日銀券ではない。国債を大量に発行してインフレを起こすというが、それは日銀券を大量に刷って国債を買った場合であって、現状はそうなっていない。また、そうでなければハイパーインフレになってしまう。

真の問題はそこにはなく、今後とも通貨発行益を享受しつづけられるというのであれば、通貨を増やしても、それに見合うモノの供給が増え続けてバランスし続けるということを示す必要があるだろう。

経済学者も財務省も、経済現象が複雑であることをいいことにして、国民を煙に巻こうとするからいけない。歴史上、経済政策が副作用なしにうまく行ったことなどない。経済学者も官僚も政治家も、わからないことはわからないと正直に言った方がよい。わからないけれども、この方がよさそうなので、まず小出しにしてみて、うまく行きそうだったら拡大します、というような説明をすべきだと思う。

消費税の逆進性は森永さんのご指摘どおりである。また、法人税の多寡は企業立地の選択にほとんど影響しないのもおっしゃるとおり。それよりタックスヘイブンの利用の方がよっぽど問題なのだ。安倍政権が、経団連に給与を上げろとおっしゃるのはまことにありがたいが、本当に実をあげたいのであれば、法律を作らなければ意味がない。そもそも、法人税を払っている企業が少ないのだ。その意味では外形標準課税は意味があった。

経済学者、エコノミストは素人をバカにするのもいい加減にしろと、私はいいたい。国のバランスシートも日銀のバランスシートも、どこの企業人でも経理をすこし齧っていれば、読めばわかるのだ。

それと、民主党政権の再評価は必要なことだろうと思う。小沢=鳩山グループの理念をもう一度検証して、より実現可能な形にすべきだ。彼等はまず日米地位協定の見直しから手をつけようとしていた。いまでもそれを最優先にすべきことに変わりはない。沖縄初め、国内の米軍基地をこのままにしておいていいわけがない。

 

野党のせいで国会が空転ねぇ。確かに、朝日も読売も「確認した」だけでは迫力ないわなぁ。そもそも佐川さんが「書類はありません」といった時点でぎりぎりに詰めておくべきだったんだけど。ないわけないんだもの。書類なんて10年やそこら取っておかないと仕事にならないでしょ、実務部隊は。

 

決裁書類って、民間でいう稟議書みたいなものかなぁ。決裁が終わったあとで書き換えるというのは確かにまずい。書き直したもので、もう一度スタンプラリー(稟申)をやり直すのが普通。やり直した場合は後の方が正式だから、前のは捨てる。

 

稟議書をやり直すといっても誤字脱字のたぐいは二本線で消して直してハンコを押しておく。内容が大きく変わる場合は稟議のやり直しだから、これは捏造とか改竄とかいうのとは違う。意思決定を最初からやり直すわけで、問題ない。もちろん「なんでこんなに採算が悪くなるんだ!」とか突っ込まれるようなことはあるにしても。

 

担当者がスジの通らない話しをムリムリやらされたとすれば、これはオレのせいじゃない、だれそれが圧力をかけたんだ、と書いておくというシチュエーションがないとは言えないかなぁ。むしろ、筋が通るようにストーリーを作って稟議を書く場合の方が多いだろうな。そうすれば、何も証拠はのこらない。

 

今回の森友決裁の改竄は、「最初に入っていた注釈を消しました」という感じなのが面白い。ひょっとして、民間の稟議と違って、書面だけが回ってんのかな。私のいた会社だったら「いうにいわれぬ事情」がある場合は、筋が通る稟議を作っておいて、ハンコ押してもらうときに口頭で説明するだろうな。

 

そうすると、たとえば会長の意向にそった無理スジ案件でも、社長に「これは会長のご意向でして」と説明すれば、「それじゃあ仕方ないな」と通しちゃうか、骨のある社長なら「わかった。会長に話をするから、少しまってくれ」というかどちらかだろう。

 

この設備投資はどうしてもやらなければならない、ということが現場として明らかなら、「能力増強」ではなく「老朽更新」として本社に申請する。もちろん前者であれば経済性(採算)をとらなければいけないが、後者であれば、待ったなしで生産が止まるのであるから機会損失は膨大になる。

 

稟議書を書き換えなければならないということは(1)環境が変わったのか(新しい知見が得られたか)(2)計画が間違っていたか(間違いに気づいたか)であり、いずれの場合も堂々と理由を述べてやり直せばよい。稟議の中身のページを差し替えるようなことはやらない。

 

企業であれば、例えば会長の恩人てな人がどうしても会社の土地を買いたいが金がない、なんとかしてやってくれ、というときは、社長なり、専務なり、それなりの人が担当者の部長くらいを酒席に呼んで、なにも言わずに「わかってるな」というのが常道なんだよな。で、理路整然たる稟議ができあがる。

 

不思議なのは、理論武装があまいところだ。どう見ても筋がとおってるでしょ、という体裁を作って、無理を通す、というのが日本的経営。よくはないよ。よくはないけれどもそれがまかり通ってるんだよこの国は。そこまでの手当てもせずに忖度って、どんだけ安倍=日本会議が怖いんだよっていう話ですよ。

 

森友問題も本質は日本会議的なもの、日本の支配層の明治以来の変わらない体質。安保法制、特定秘密保護法、共謀罪ときて、仕上げに自衛隊を国防軍に変えて、緊急事態時の人権制限を実現して「国体を顕示すること」。

 

佐川さんを呼ぼうが、明恵さんを呼ぼうが、「覚えがない」「刑事訴追を受ける恐れがあるから答えられない」などなどの言い方で逃げられるのがオチですな。だって安倍君も麻生君なんかもう日本語の文法すら無視して答弁してるし。

せめて裁判の場で追及するのだろうがそれも時間がかかるし最後は官邸寄りの最高裁に退けられるのがオチ。昨年秋衆院選をやった安倍晋三の判断は実に先見の明だった。当時自公政権支持の人の内、今「だまされた」と思っている人がどれだけいるか。数億円のことでがたがたいうなと思ってるんじゃないか。

 

隣国との間に壁を築くというのは万里の長城を引き合いに出すまでもなく、トランプ氏が初めて思いついたというものではない。1938-1939年に、ナチス・ドイツはWestwallという西側国境を防衛する壁を630キロにわたって建設した。不正移民防止のためではないが、強力な失業対策ではあった。

 

「…ユダヤ人たちを含めた20世紀初頭の前衛的な表現者たちは、画家を志しながらついに古い感性と手法によってしか絵を画くことができなかったヒトラーにとって、反感と敵意と軽蔑の対象としかならなかったのでした」(池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー」)

 

「(Bible Student Movementsの人々は)国歌儀礼を拒否すると言うことです。アメリカ合州国でも、国旗や国歌に敬意を示さないということで、聖書研究者たちはたびたび罪に問われ投獄されてきました。」(池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー」)

 

投資家側からみた投資のグローバル化と労働者側からみた労働のグローバル化を比較すれば、投資の方がはるかに易々と国境を越えうるのは明白であろう。グローバル化は投資家に富をもたらし、所得格差は(原理的に)どんどん開いていく。

 

一般論ですが、資本主義経済圏というのは、基本的に貧富の差が開いていくようになっている。マルクスの慧眼はここに気がついたことで、論文そのものは「妙」なものだとは思うが、その点は正しい。そのままにしておけば共産主義革命が起こるので社会主義的修正をかける。

経済的に成長が続いている間はまだしも、成長が止まればいよいよ所得格差に対する不満が噴出する。グローバル化は所得格差を広げる方向に働く。米国ではこの不満が自国の富裕層でなく、国内のリベラルや、国外に向けられるという状態にあるのだろうか。

日本の場合は若年層の「とりあえず食えてるからいい」という政治的アパシーと、不満があってもそれを(米国同様に)国内のリベラルや、中韓に向けるという現象が起きている。

 

「クラシック音楽はナチ体制下の生活の背景で、最初から大きく鳴り響いていた。党大会はベートーヴェン、ブルックナー、ヴァーグナーの音楽に完璧に合わせて演出されていたため、音楽はもともと催しを助けるために書かれていたかのようだった。」「ソヴィエト芸術が政権のイデオロギーを反映するよう要求したスターリンとは違って、ヒトラーは芸術の自律という幻想を維持することを望んだ。」(ロス「20世紀を語る音楽」)

 

第二次大戦終結後の連合国(というより米国)と日本政府の動きを追っていると、天皇家を初め日本のエスタブリッシュメント(明治維新以来の貴族階級)がなんとか自分たちの既得権を維持する(これを「国体護持」という)ために必死になっていたのがよくわかる。今でもそれが時々露骨に出ちゃうのね。

もともと日本のエスタブリッシュメントは国民の権利なんて認める気はさらさらないわけですよ。だから「新憲法になってから日本がだめになった」みたいな本音が出ちゃう。国民の側も「お上のいうことだから」というのは、精神的には楽だから、安易に流れて、切羽詰ってから開き直る。これもよろしくない。

 

「ヒトラーがレハールを好んでいたことは皆が知っていた。(ヴェルナー・エックの回想録で)『レハールには大衆がいる、あなたにはいない!』と(ゲッペルス)大臣は(R・シュトラウスに)叫んだ。『シュトラウスさん、あなたは昨日の方なんです!』」(ロス「20世紀を語る音楽」)

 

1947年に2月1日に予定されていたストライキを禁止するあたりから占領軍は反共色をはっきり打ち出してくる。ソ連の脅威といい、米国は民主主義国家だといいながら、支配層が自分たちの権益を侵す、あるいはその恐れがあるものについては恐怖心を抱いているということだ。

 

池田「ヴァイマル憲法とヒトラー」と猪瀬「東條英機 処刑の日」とロス「20世紀を語る音楽」と岡「現代日本の政治過程」を同時に読みすすめていたら、ロスがナチス体制下の音楽の章に入って、ついに頭ぐるぐるに。

 

集団的自衛権・特定秘密保護・共謀罪を認め、森友問題も加計問題もあってなおかつ総選挙により国民は安倍首相と自公政権を選んだのだから、あの時点ですでに勝負はついていたんだろうな。この後、たとえば森友問題が刑事訴追を受けたにしろ、結審には何年もかかり最後は政権に阿る最高裁だもんね。

 

「無思考のままにあのすさまじい大量虐殺を実行したアイヒマンは、凡庸だったから考えることができなかったのではなく、考えなかったから凡庸になったのであり、だからこそ何ひとつ加害意識をいだくことなくホロコーストの歯車となったのでしょう」(池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー」)

 

「ヴァイマル憲法は。第48条という例外条項が認めた『大統領緊急命令』によって、みずからの墓穴を掘りました。ドイツ連邦共和国は、第18条という例外条項によって、国家が判定する特定の社会構成員から、基本的人権を奪いました」(池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー」)

 

「あの破局的な原発事故にもかかわらず、原発の再稼動を強行するというような、もしも政府が原発資本の利益よりも国民の安全と人権を尊重していれば到底できないようなころは、ヒトラーにはできませんでした。その意味では、ナチス・ドイツの国民は、日本とは比較にならないくらい、国家によって国民として保護されていたのです」(池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー」)

 

 

毎度お騒がせJASRACさんであるが、音楽教室の問題もあるけれどその前にカラオケでの著作権料(演奏権料)徴収から疑問ではあった。(いわゆる「カラオケ法理」)

もちろん作曲者としてはたくさんお金が取れた方がいいのだろうが、法の精神を枉げているのではないか、あるいは確信犯で枉げているのか、そうなら法改正すべきではないか、など疑問はつきない。

人生の落し物拾いの一環として、「クラブキャッツアイ事件」の判決を読んでみた。これ、ツッコミどころだらけだと、私は、思います。ここでは、JASRACが上告被告で、JASRACから演奏権料を請求されたクラブ「キャッツアイ」の経営が、上告人としてJASRACの請求権を無効だとして争っており、争点は演奏権を侵害しているのは「客」で、「クラブ」には責任はないというもの。「侵害」が前提なら、客かクラブかどっちかが払わんといかんというのはわかるのですが、その前提が気になりますね。判決のキモのところですが…

「…けだし、客やホステス等の歌唱が公衆たる他の客に直接聞かせることを目的とするものであること(著作権法二二条参照)は明らかであり、

●他の客は(多くの場合)聞いてない(笑)。それはおいておいても、少なくとも他の客は「公衆」とはほど遠いと思う。公衆ってのは、コンサートホールやなんとかアリーナに集まるような群衆を言うのではないか。逆に、人数は少なくても、路上ライブで聴いている人は「公衆」かもしれないけど。

「…前記のような客による歌唱も、著作権法上の規律の観点からは上告人(山本註:クラブ経営者)らによる歌唱と同視しうるものであるからである。

●百歩譲って、歌っている人、聞いている人、ともに当該音楽を楽しんでいるとして、CDを買ってきて何人かで一緒に聞いて、一緒に歌っているという状態とどれほど異なるか。少なくとも著作権法第22条の「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として上演し、又は演奏」というのとは全く違う。しかも、カラオケ・トラックはCDなり配信で既に買い取られているわけでそこで著作権料は一度徴収されており、ここでまた取ろうというのは二重取りではないのか。

「したがつて、上告人らが、被上告人(筆者註:著作権者)の許諾を得ないで、ホステス等従業員や客にカラオケ伴奏により被上告人の管理にかかる音楽著作物たる楽曲を歌唱させることは、当該音楽著作物についての著作権の一支分権たる演奏権を侵害するものというべきであり、当該演奏の主体として演奏権侵害の不法行為責任を免れない。」

●この判決の趣旨はここにあって、「演奏権の侵害」はあるものと前提して、責任は「カラオケクラブ」側にあり、「客に責任を転嫁して逃げることはできないよ」といっているわけで論点が違うのだが、その前に、「カラオケ店で歌う」行為が本当に「演奏権の侵害」なのか、が私の疑問です。

結論としてはやっぱり「カラオケ法理」そのものがおかしいのではないかと、まー、素人としては思います。

しつこいけれど、もう一度著作権法第22条を読んでみる。

「第22条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。」

カラオケ・スナックで歌い、それを聞く行為が、この条文に触れるという解釈そのものが、間違っているのではないかと、そのように思うわけですよ。

富士フイルムの古森さんが「富士フイルム本体のキャッシュアウトはゼロでできた」といっているが、そういう話か?買収というのは、資産の買取であると同時に、on-going concernを買うのであれば、全ての偶発債務の引き受けでもある。慎重にするべきものだ。

 

Xerox本体の財務状況はよくない。総資産18Bに対して、累損5Bを積んでいて、結果、純資産は5B。2017年4月の数字だけど。

純資産が日本円換算で5500億円、直近の株価34ドルで、時価総額が9500億円、ほぼ倍。

しかし、新聞を読んでも買収スキームがよくわからない。富士フイルムが、富士ゼロックスが借り入れた6700億円を受け取って、富士ゼロックスの75%持分すべてを富士ゼロックスに売り渡す。

その6700億円はそっくりゼロックス本体の買収に使われて、富士フイルムはゼロックスの50.1%を取得する。それに先立って、ゼロックス本体は「時価総額を減らすために」臨時配当を2700億円(25億ドル相当)するという。

ということは、新生ゼロックスの評価は6700億円の倍の1.34兆円ということになるが、発表後の株価からしても過剰評価だ。

ゼロックス本体の株主から見れば、時価資産ベースで考えれば50.1%を6700億円で売ったということであるから、もし市場が額面どおりに受け取るのであれば、時価総額は1.34兆円。旧株主としてはこれの半分6700億円もつことになる。臨時配当の分2700億円を加えれば9400億円になり、ほぼ見合うという計算をしたのかな。

最初の富士ゼロックスのゼロックス本体による100%子会社化のところは、子会社である富士ゼロックスが銀行借入を6700億円起こして、富士フイルム持分である75%を買い取ると。これで富士ゼロックスはゼロックス100%になる。

富士=ゼロックス全体でのお金の出入りは、銀行から6700億円の借入、ゼロックスの既存株主への臨時配当が2700億円。ゼロックス本体としたら、6700億円借りて、2700億円を株主に払い、残った現金は4000億円。50%は富士のものになるわけだから、無理やりわければ、旧ゼロックス部分としては3350億円の借入で手元に2000億円残っているということ。

ゼロックス本体の純資産ベースで考えれば、もともと5500億円の純資産だったところへ、2700億円の臨時配当をしたのだから、純資産は2800億円まで減ったことになる。しかも、株式比率は49.9%に落ちているわけだから旧株主の持分は1400億円。受け取った2700億円の臨時配当を加えれば4100億円。もともとの5500億円から1400億円も目減りしている。それでもこのまま座して死を待つよりよいと判断されたのかな。