サイモン・シンの量子暗号の極めて単純な解説のさらに要約。これであってるかしらん。2001年の本を18年かかって理解しているようでは…その後、この分野もめちゃめちゃ進んでるんだろうな…
==========================
サイモン・シン「暗号解読」に説明されている「4種類の偏光を利用した量子(光子)による安全なキーコードの受け渡し」の要約

ここでは偏光した光子を用いて暗号通信(秘密鍵の受け渡し)を行うが、光子が測定されることによってその性格を変える(偏光方向が変わってしまう)を利用することで、絶対安全かつ盗聴があればそれを知ることのできる秘密鍵の受け渡しが実現する。


1. まず、アリスが1と0からなるランダムな数列を用意する。アリスはこれに縦・横・右上から左下への斜め・左上から右下への斜めの4種類の偏光を与えることができる。
 

2. 偏光には縦横型と斜め型を考え、縦横型では縦偏光が1、横偏光が0、とし、斜め型では、右上から左下への斜め偏光を1とし、反対側を0としておく。(この取り決めは受信者たるボブにオープンな方法で送ることができる=盗聴者に知られてもかまわない)
 

3. アリスは用意したランダムな数列を、縦横型か斜め型の偏光方式をランダムに選んで、光子の行列を作って受信者たるボブに向けて送り出す。
 

4. ボブはこれをランダムに選んだ偏光方式、すなわち、縦のスリットか斜めのスリットを通すことにより透過するかどうかを見ることにより1と0の数列を得る。
 

5. もし、縦振動の光子がやってきてこれを縦のスリットに通した場合は光子は正しく通過するのでボブはこれを1と記録する。もし、縦振動の光子がやってきてこれをたまたま斜めのスリットを通したとすると、透過する場合と透過しない場合が二分の一となる。透過すれば1、透過しなければ0ととりあえずボブは記録する。横振動の光子がやってきて、これを縦型のスリットに通せばただしく透過しないので、これは0として記録される。
 

6. 上記のプロセスには4(入力信号の偏光方向)×2(縦のスリットをつかうか斜めのスリットを使うか)=8種類のバリエーションがあるが、それぞれに1か0の値を与えるので、ボブはこれを記録する。
(ア) 縦の偏光で縦のスリットで受けた場合 1
(イ) 縦の偏光を斜めのスリットで受けた場合、1または0(0.5ずつの確率)
(ウ) 横の偏光を縦のスリットで受けた場合 0
(エ) 横の偏光を斜めのスリットで受けた場合、1または0(0.5ずつの確率)
(オ) 斜め右上からの偏光を縦のスリットで受けた場合、1または0(0.5ずつの確率)
(カ) 斜め右上からの偏光を斜め右上からのスリットで受けた場合、1
(キ) 斜め左上からの偏光を縦のスリットで受けた場合、1または0(0.5ずつの確率)
(ク) 斜め左上からの偏光を斜め右上からのスリットで受けた場合、0
 

7. しかる後、アリスはボブにオープンな回線で(盗聴者に聞かれてもかまわない)自分が各ビットについてどちらの偏光方式をとったか(縦横型か斜め型か)を連絡する。信号が1だったか0だったかは連絡しない。
 

8. ボブは自らのリストの中で、たまたまアリスの指定した型の偏光方式のスリットで光子を観測したのがどのビットであったかを確認し、かつアリスに連絡する。たとえば、1,3,4,8,11,12,13,15番目が正しかったなど。
 

9. これにより、もとの信号が1か0かを明かすことなく、アリスとボブは1,3,4,8,11,12,13,15番目のビットの真の値を知ることができ、これを秘密鍵として利用することができる。
 

10. ここで、盗聴者イヴがいたとして、ボブと同様の操作を行い、かつアリスからの正しい偏光方法のリストをも盗聴したとしても、すでにイヴの行った操作はボブとまったく同一ではありえないため、正しい秘密鍵を知ることはできない。たとえ1,3,4,8,11,12,13,15番目のイヴの得た値を並べても、その時に使ったスリットの方式がボブと異なっていれば正しい値を得ることはできない。
 

11. さらに、アリスとボブはもし間に盗聴者イヴがいたとするとその事実を結果をチェックすることで知ることができる。イヴが盗聴した場合にアリスと同じ偏光方式を用いていれば、縦の偏光は縦の偏光としてそのまま送信されるが、もし異なる偏光方式によるスリット(この場合斜め型)のスリットを通せば信号は斜め型のいずれかの偏光に変わってしまい、これは秘密鍵を用いた暗号解読をするときにエラーとなって表れる。
 

12. このためボブは「原理的に」盗聴者がいることを発見できる。

 

谷川俊太郎・武満徹の最強コンビの反戦歌です。1965年、ベトナム戦争真っただ中での作品ですが、この歌がいまだにリアリティを失わないのはむしろ悲しむべきことなのでしょう。太平洋戦争終結から74年、ベトナム戦争終結から44年、その後も戦争は絶えることなく世界のどこかで続いています。かつ、このグローバライゼーションの時代には多かれ少なかれ、「私は全く戦争に関係ない」とは言えない事態になっていることを自覚しないといけないでしょう。「普通に」生活するだけで戦争に加担したことになってしまう。


ベトナム戦争のころ「米帝」とか「米帝の走狗」とか「武力闘争」といった言葉が頻出していて、結局、最終的には浅間山荘やよど号ハイジャックとかにつながっていくのですが、基本的な疑問として日本でなにか活動、しかも暴力的、犯罪的な「活動」をやってても埒があかないのではないかと思っていました。例外的には脱走兵の保護というのは実効性があったかもしれませんが。


アメリカ人ともベトナム人とも会話すらしてないで連帯もないもんだと思っていました。今になって思うと彼らは直情径行で「政治的犯行」に及ぶという、その背景にも彼らなりの必然性はあったのだろうなとは思います。と言っても最終的に、仲間同士で殺しあってたのではダメに決まっています。それすら見えないような怒りがあったのでしょう。

 

(追記)この演奏は現在YouTubeに上がっていますが、YouTubeはJASRACと提携しており、またこの楽曲そのものはJASRACに全支分権が信託されているので、歌ってみましたの範囲では問題ないと思いますが、かなり踏み込んだ編曲をしているので、著作者人格権なり著作物の同一性担保という意味で、突っ込まる可能性はあります。こんな世の中の隅っこでお歌を歌っていてもだれも来ないとおもうんですが(笑)

 

https://youtu.be/y_ytTBolfn8

 

 

8月15日、敗戦から74年。敗戦記念日の思いも繰り返されるごとにパターン化し、記憶が風化していくことにあせりを感じます。

昨年は、双子座三重奏団とのジョイントで10月に「戦争と音楽」というテーマでライブを行いました。拙作のほか、戦争に関わる音楽を集め、中でもシェーンベルク作曲の「ワルシャワの生き残り」の清水一徹さんの編曲版など貴重なものも演奏されました。その様子はYouTubeでご覧いただけます。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLOu-ax8EMKD4k0uSt11X2Y9wZqCmEliaC

日中戦争から太平洋戦争まで、日本人の死者は310万人と言われています。震災と比べること自身がおかしいとはいえ、先の東日本大震災の犠牲者数の150倍です。日本がなぜこれだけの犠牲を払う戦争に乗り出して行き、原爆を二つも落とされなければ降伏できなかったのか。永遠の問いかけです。日本だけでなく第二次世界大戦ではソ連、中国、ヨーロッパ諸国をはじめ多大な犠牲者が出ているのは周知の事実かと思います。

もっとも70年余経って、いろいろなことがわかってきたのも事実です。敗戦直後には言えなかったことも言えるようになりました。逆に、戦争の記憶をとどめる人が少なくなり、忘れ去られる部分も出てきました。しかし、厳然たる事実として日本にはいまだに米軍が進駐しているままです。この一時をとってみても、「われわれの戦争」はまだ終わっていません。

昨年の「戦争と音楽」ライブでは拙作『ポツダム宣言』の再演と「コラージュ~浦賀から真珠湾へ」の初演が行われました。『ポツダム宣言』は連合国、わけても米国の日本に対する最後通牒であり、降伏すれば日本に民主政治を打ち建て、その後は即刻連合軍は撤退すると明言しています。

ほぼ10分で「ポツダム宣言」を歌ってしまうという荒技ですが、さすが双子座三重奏団はこれを見事にこなしてくださいました。昨年3月の初演とあわせ、聴衆のみなさんと一緒にあの戦争の意味をもう一度考えるきっかけにできたと思っています。

『ポツダム宣言』
https://youtu.be/IaZ1Zjnod9s

もう一曲の「コラージュ~浦賀から真珠湾へ」はペリー来航(1853年)から真珠湾攻撃(対米英宣戦布告)(1941年)までの約90年間を当時の音楽とともに40分ほどで振り返るという企画でした。最初の引用は端唄の「京(みやこ)の四季」。それはそれは典雅といっていいものであります。徳川300年の平和にまどろんでいた日本に、米国艦隊が捕鯨のための基地とするため、日本に開港を要求してやってきました。米国は今では日本の捕鯨に反対しているのですから皮肉なものです(笑)

しかし、日清・日露の戦役を経て、日本の輿論は大きく変わっていきます。アジアの後進小国から列強に伍する大国への道。壮士演歌を聞き、鴨緑江節を聞き、満州関係の曲を聴くうちに日本人のものの見方が偏狭で大きな誤解に基づいていたことがおのずと明らかになります。

途中で川島芳子作詞の歌も出てきます。日本名「川島芳子」は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)。男装の麗人でありますが、溥儀とともに戦争によって大きく運命を変えられてしまったお一人といえるでしょう。中国もこの時期、アヘン戦争以来欧米列強に蹂躙され、さらに日本にも侵攻されたのにも関わらず、統一の取れた動きができずに徒に犠牲を増やして生きます。もっともそれが日本の侵略を正統化することにはなりません。

「コラージュ」は日本の「流行歌」史を追っていきますが、昭和初期までは庶民の反骨精神・批判精神というものが感じられます。ベルサイユ会議に出かける西園寺公についてもひややかな視線が感じられます。それが完全に姿を消すのが昭和10年代です。それでも日本の庶民の生活は苦しいながらも日々営まれていますが、十数年の総力戦が日本を完膚なきまでに消耗させるのです。

「コラージュ」最後の引用は斉藤信夫作詞・海沼實作曲の「里の秋」です。よく親しまれた童謡ですが、最後の聯は次のように結ばれます。「さよならさよなら椰子の島/お舟にゆられて帰られる/ああ父さんよ御無事でと今夜も母さんと祈ります」これは戦地に赴いた父を母と子が思いやる歌です。

もちろんたった40分ですべてがわかるはずもありませんが、「コラージュ」を通して聞いていただくと、日本の破滅へと向かった90年間の日本の「空気」がおのずと浮かび上がってくるように思います。まずは、強大な武力を持つ西洋列強に追いつきたい必死の努力、列強は近代化してきた日本を都合のよいように利用しますが、一線を越えて「増長」したと見るや今度はこれを叩こうとする。まったく勝手なものでありますが、感情的になってしまった日本の輿論はどんどん攻撃的になっていき自滅します。

敗戦記念日にあたって、もう一度、日本の歩んできた道を振り返ってみることも大事だと思います。「コラージュ~浦賀から真珠湾へ」双子座三重奏団の演奏はこちらで視聴いただけます。

https://youtu.be/U55XzAxnvrI

落語の「寝床」はいろいろなヒントを含んだ噺である。江戸時代、あるいは明治・大正・昭和もはじめごろですかな、経済的余裕とヒマのある旦那衆、時によってはその辺の有象無象まで稽古事をやる。中には女のお師匠さん目当てで通ったりする。いわゆる「檀那芸」であるからそんなにいいものではない。ちょっとお師匠さんが厳しいことをいうと「そういわれても私ら玄人じゃないんですから、そんな風にはできない。じゃぁもう面倒だからやめましょう」と言い出す。

そうなるとお師匠さんの方も台所に響いてくるから、厳しい小言などは言わない。なんとかほめようとする。あんたは声がいい、あんたは声はともかく節回しになんともいえん色気がある、最後はあんさんは痺れの切れないところが…なんどとあらゆることを言ってほめるのでみんな天狗になって通う。

昨今のカルチュアスクールなんてのも似たようなもので、展示会などを図書館で見たり、○○カルチュアセンターで見たりするが、素人が見てもおかしなものが多い。要は美術系はデッサンが狂っている。

カラオケだって同じだろう。たまさか時間ができたから、ストレス解消に歌いに行くのである。うまい人もたまにはいるだろうが、あんまり人が聴いてなるほどというような歌は聴けない。ことごとく趣味・道楽というのはそういうものである。

そういう中で何千何万人にひとり、その上手く真似のできない部分に個性を感じて、のちのち残る作品がある。まず思い浮かぶのがヴィラ=ロボスである。あれは素人芸だが、ただ事でない素人芸だ。いろいろお差しさわりはあるかもしれないが、ウェイン=ショーターなんてのも技術的にはすばらしいが、それでもよきアマチュアリズムではなかろうか。アイヴズとかもそうじゃないかな。伊福部昭先生とかね。現代音楽の作曲家にもそういう例はあると思うが保身のために言わない。

一方でピアノの演奏でも義太夫でも、あるいはカラオケでも同じだが、自分でやってみると芸術の深みがわかるという功徳はある。これは間違いない。自分でお稽古事をするのは誠に推奨すべきことであって、自分で弾いてみたり歌ってみたりして始めて、「なるほどこういうことであったか」と気がつくことはたくさんあるのだ。

「寝床」でも警告されているのは、素人芸でも少々「できる」ようになった時に、他人に聞かせようと思う、これが決定的に犯罪的である。先代の円生師匠は「そこに他人に聞かせようという悪心(おしんじゃない、あくしん)が生まれる」と言っていたな。くすぐりですよ、もちろん。

図書館の壁に飾ってある絵くらいは罪が軽い。期間限定であるし、見なければいいことだ。カラオケを付き合わされるのもたいがいだが、これはやり返すということができるので武士は相身互いというところがある。

一番気をつけたいのは音楽だろうねやっぱり。特にライブだ。チケット代を取る。まぁ、協力金だ。そんなに高額ではないし、お付き合いということだからそれはいい。問題はある一定時間拘束するというところですな。もちろん抜け出せばいいんだけど「気ぃ悪いやおまへんか」という人もいるだろう。

その点ネットはいい。発表の場は与えられるが、完全に聞き手市場。3秒聞いて「だめだこりゃ」と思えば、タブを閉じればよろしい。

何を延々書いているかというと、自作をYouTubeにアップロードしても罪にはならないという自己弁護である。JASRAC管理楽曲であれば「歌ってみました」「演奏してみました」はお構いなしになっている。自作においておやである(もっとも演奏者の同意は必要ですが)。完全に合法である。しょっぴけるもんならしょっぴいてみやがれ(完全に開き直り)

(Jun Yamamoto YouTubeチャンネルはこちら)

https://www.youtube.com/channel/UCmgilzz_WV1pBOXUPoBXA4A

 

もうこれ以上付け加えることもないが、といいながら…

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、めぐまれない、征服されちゃう、争いが絶えない、弱者の宗教だからね。それが悪いというのではない、宗教の性格・成り立ちがそうなんだ。日本人の時間の感覚は明らかに西欧的な一方向に進む均質な時間とは違います。

時間は円環状になっており、年が改まるとすべてが一新される、神社の遷宮なんてのもありますな。災いが起きると元号を変えて時間を新しくする。なんとなく気分一新する。これは、日本的な感覚としてあるのではないか。(といって元号が変わったからといって公文書を全部破棄とかダメですよ。西欧的な制度はそれとして運営しなければいけない)

天皇制はやめた方がいいといいながら元号を続けた方がいいというのは確かに矛盾しているかもしれないし、近い将来天皇になるべき皇族男子は絶えるだろうから、そのときに考えればいい問題かもしれませんな。明仁上皇の考え方だって全面的に賛成はできません。安倍首相の考えとは違うでしょうが、基本的には同じ方向性を持っていると思います。それを今上天皇は引き継いだ。「憲法にのっとって」と入れたところにどの程度、戦後日本の理念に対する思いを見るか、これも人によって違うだろう。

要は元号が変わってなんとなく気分が変わるというのは日本人としては自然で、安倍政権の問題点とは別の話だと思うのですよ。タモリさんのいう「年はページ、元号は章立て」というのも存外当たっているかもしれない。

安倍首相のルサンチマンは困ったものだと思うし、日本会議的なもの、森友学園的なものは薄気味悪いけれども。祖先は一かたまりでおまつりして、死ねばそこに還っていく。そこからまた現世に生まれ変わってくるという感覚。(丹波哲郎だね)「人生万事色と慾」で、現世を大事にして、神仏には現世利益を求める。多様化はしているとはいうものの、基本的にはそういう感覚があるのではないか。平成生まれはすでにして違うだろうか。いわんや令和生まれにおいておや。

「元号なんかもうやめてしまえ」という声がある。「西暦があれば十分じゃないか」という。

私としては「日本会議」的意見は別として日本固有暦はあった方がいいと思う。西暦があり、イスラム暦があり、ユダヤ暦があり、中華民国にもあるし、PRCにもあるんじゃないの?計算がややこしいというのなら、それこそアレクサに聞けばいいではないか。

そもそも元号をやめるのならその前に天皇制を始末しないといけないのではなかろうか。天皇はいる、でも元号はないというのは理屈上は成り立っても、天皇にかかわる一切の実務が遂行不能、あるいは非常に困難になるのではないだろうか。(一世一元をやめるというのはありうるかもしれない。もうずっと平成のままにするとかなら話はわかる)

もちろん、実際に元号廃止という方向に動き始めれば、宮内庁をはじめ関係各所から反対が噴出するのは目に見えているし、それこそ「日本会議」が黙ってないだろうから実現は極めて難しいと思いますがね。

とりあえずは、国が滅びることもなく、2019年を迎えたことをお祝い申し上げます。

 

さて、物価が安定しているとはいえ、若い人たちがロイホクラスのファミレスにも行けず、サイゼリアやガストがニューノーマルということは明らかに生活レベル下がってる。

 

日銀は黒田総裁の下で最初は威勢が良かったが、去年から文字通り二進も三進も行かない羽目に陥っているのだろうと思う。じゃぶじゃぶ緩和はやめるわけにいかないし、出て行った金はすべて日銀にもどってきて所謂「ブタ積み」になっている。といって、少しでも緊縮策をとれば、金利が上昇して国債暴落、政府の金利負担の急増を招くだろう。

 

北方4島が日本の領土に復帰したとしても経済効果はさほどないだろうとは思う。思うけどさ、2島でも諦めるのなら引き換えにシベリア抑留の謝罪と賠償くらい交換条件にしてもバチは当たらないと、私は思うけどね。ロシア国民は2島返還ですら「トンでもない」と思っているらしい。歴史認識の差異ですな。

 

紅白におけるチコちゃんチームのネット情報・フェイクニュースに関わるこだわりが興味深い。かなり何度も言及して、チコちゃんが違うといって終了しようとしても岡村が「でもネットでは」とネトウヨみたいなことを言って押し返す。あのチームのこだわりに拍手。

 

桑田佳祐さんが北島三郎さんにこれ以上ないほど気を遣い、ユーミンが桑田さんにキスして「胸騒ぎの腰つき」で寄り添ってみせる。桑田さんがみんなにお愛想を配る。これで昭和が完全に終わったということだな。

 

 

2018年の読書メーター 読んだ本の数:124冊 

https://t.co/2aI2k10xpm

どうも韓国が嫌い、という日本人がいますな。どこの国でも多少の好き嫌いは当然あるでしょうが、やや度を過ぎているような印象があります。お隣同士だし、白村江から始まって(笑)いろいろあるし、歴史の必然ってヤツもあるから仕方ない面もあるのだが…というわけで、だらだら行きます。

徴用工問題はなかなか一筋縄ではいかない問題だと思いますが、なにより日韓請求権協定そのものに「この協定の解釈などで双方に意見の相違がある場合は第三者を入れた裁定委員会を作ってその裁定を仰ぐ」という規定があるので、これに従って委員会で議論するのが本筋だと思います。

最近になってやっとこの規定に従って議論しましょうと自民党も言い始めたようですね。これに韓国が応じないのであれば、明らかな協定違反なので国際裁判所に訴えることになるでしょう。もっとも、国際裁判所というのも実は一種の「ムラ」ですので(少人数の専門家が裁判官になったり弁護士になったりしてぐるぐる回している)そこでの戦い方もよく考えなければいけませんが。

もうひとつの問題は、国と国との条約に「当然に」各国民は縛られるのか、という問題です。普通は、条約に従って国内法を整備していくのですが、実は日本国政府の中でも考え方が固まっていないのですよね。

たとえば、1991年8月27日、当時の柳井条約局長が参議院予算委員会で、「(日韓基本条約は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁しているそうですね。

また、2010年に、外務省が1965年の韓日請求権協定の締結当時、「協定を結んでも(徴用被害者など)個人の請求権は別問題だ」と明示した内部文書を作成していたことが明らかになり、新聞報道されました。

これ以降、韓国人からの個人請求権を根拠にした日本企業を相手取った訴訟が相次ぐようになったとものの本にはあります。

日本政府がこういう考え方だということがわかったので、韓国国民が勢いづいちゃったんじゃないのかなぁ。

この答弁(というか官僚の考え方)の裏には次のような事情があると思います。

1. 日本政府は日本国民から「日本政府主導の無理な戦争のせいで広島・長崎に原爆を落とされたりトンでもない目にあった。被害を政府として国民に賠償しろ」と言われるとややこしいので、さっさとサンフランシスコ平和条約を結び「戦時中に起きたことに関する、アメリカはじめ連合国と相互の請求権は放棄します」と約束した。

2. 日本国民から無謀な戦争による被害の責任を問われたら「それはもう日本政府と連合国の間でお互いになしにしちゃったから、もし文句をいうならアメリカや他の連合国に勝手に言ってね」ということにした。

3. 実は、これと同じことを韓国政府は考えた。日本政府と韓国政府はお互いに戦時中の被害だの、韓国においてきた日本の資産だのについて一切請求しません、という約束をした。(日韓基本条約、日韓請求権協定)

4.従って、韓国人が韓国政府に「徴用工・慰安婦でひどい目にあった。韓国政府が賠償しろ」と言ったら、韓国政府は
「日本政府との間ではお互いに言いっこなしにしちゃったから、文句があれば、自分で日本に言って」という。

5. そこで、元徴用工やら元慰安婦やらが、日本の企業を相手取って訴訟を起こすことになっているのだろうと、こういう順番なのではないかと。

6. ちょっと飛躍しますが、日本政府、というか日本の明治以来の支配層は、上手いこと天皇家ともども戦争責任からまるっと逃げたということであり、韓国政府もそのマネをしたということでしょう。どこまでも日本の真似が上手い国です(笑)

上記のような事情があり、「不可逆的に解決済み」というひとことだけでは日本政府は元徴用工や元慰安婦に対して突っ張りきれないんじゃないかしら。

当面は、韓国内の資産は韓国の法律および裁決によらざるを得ないので、それらに従って差し押さえられるでしょう。日本企業はすでに数年前から資産を別の国に移すなどの措置を講じているのではないかと思いますけど。あとは、現地従業員が問題ですね。彼らの生活まで保障せよといわれるとつらい。そこは交渉ごとじゃないのかな。

日韓の係争については、西欧諸国も米国もほとんど関心はないでしょうね。ただ、米国は日韓関係があんまり荒れると北朝鮮と中国の問題があるので、あまりもめてほしくはないでしょう。

0か1かでなく、何らかの譲歩・妥協できる点を見つけるのが外交交渉ですから、また懲りずに「なんとか財団」を作ってなし崩しの補償をするあたりに落ち着くのではないか、と佐藤優さんが言ってたらしい。

「不可逆的解決」というのは結局は幻想でしょう。過去の条約にいくらでもあとから文句はつけられる。「そもそも日韓併合が違法なのだから云々」というところまでさかのぼって言ってくるでしょう。なにしろ「恨」の国ですからな。忘れない、諦めないのが美徳、と佐野洋子さんがエッセイで強調しておられました。韓流ドラマでは30回フラれても諦めない、と(笑)

私も限られた範囲ですが2000年前後に韓国とは仕事上、相当お付き合いがありました。

韓国人も、あたりまえですが、人によってさまざまです。A社と仕事をしていましたが、彼らは実に紳士的で担当者レベルでも日本語を巧みに話します。日本語の敬語もきちんとしていて、「我々は日本に、御社に学びたいのです」という姿勢を(内心はともかく)最後まで崩さない。結局合弁会社の話は流れちゃったのですが…

B社の場合、ここは少々違っていて日本語を話す人もいますが、基本的には英語でのやり取りでした。とにかく仕事熱心な連中で、某樹脂原料とポリマープラントの技術をライセンスしたのですが、当社から、この工事はどんなに急いでも6ヶ月かかる、というのにとにかく徹夜続きの突貫工事で4ヶ月だったか5ヶ月だったかで仕上げてしまいました。本当によく働く人たちで、かなわないなと思いました。情熱というのか執念と言うのか。

ここでもライセンサーである当社を持ち上げてくれて、こちらから責任者の専務クラスが行けば向こうは副社長が出てきて下にもおかない歓待です。お土産を用意するのに苦労しました。何しろ日本人以上に「理屈より情」の国民性で、信頼してもらえばかなり融通が利きます。

面白かったのは、IT関連製品をC社企業に納めていたのですが、日本側の工場トラブルでモノが約束どおり供給できなくなった時があり、私ではないのですが、担当者がお詫びと調整に行ったところなかなか帰れず、毎夜毎夜の接待責めで毎晩1時2時まで飲まされて大変だったらしい。いかにも韓国です。彼らの痛飲振りはすごい。(私は「アルコール不耐症です」といって飲みませんでしたが)

どこの国民でもそうですが、ひとりひとりを取ってみれば、たいてい「いい人」です。
私をクビにした某米国企業の部長さんなんかは例外中の例外です(笑)。

中学の時の担任Y先生は戦後シベリア抑留に遭った方で、ほとんど戦時を語りませんでしたが、ソ連について同じ事をいっておられました。「ロシア人もみんなひとりひとりはいいヤツなんだけど、あんなこと(日ソ不可侵条約の一方的破棄)をされるとねぇ…」と。

とはいえ、韓国は不思議ですね。歴代大統領がほとんどすべて非業の末路をたどっているのに、新たに大統領になる人が出てくるんですよね(笑)南北朝鮮に分かれてしまったのも米ソのエゴのせいなのに、同じ民族で殺し合いをさせられて…

日本はすくなくとも米国の単独占領だったのはその点ではよかったかもしれません。原爆による30万人近い犠牲を払ったわけですが…

相変わらずのぐだぐだですみません。

ルノーはゴーンを解任しないことにしたらしい。なにしろ容疑者段階なのだから普通の対応であろう。

今回の論点のひとつは、今や日産の半分しか稼いでいないルノーによる日産支配を防ぐために、会社法308条の規定(日産がルノーを25%もっていればルノーの日産における議決権はなくなる)を適用するためにルノー株10%の買い増しをしたい日本側(西川社長はじめ取締役連中)とむしろ日産を完全に支配したいフランス側(バックにはルノーを15%もっているフランス政府あり)のせめぎあい。

第二に、やっぱりゴーン、というか外人役員は給与が高すぎという日本側役員の思いがある。男どもの嫉妬ですな。

総会でみとめられた日産自動車全役員の給与総額枠30億円のうち実際の額は20億円で、差額の10億円はゴーンの裁量にまかされていたという。ソフトバンクの孫さんが1億3千万円しかもらっておらず(持ち株の配当とキャピタルゲインがあるからいいんだろうけど)、孫さんが引っ張ってきて結局首にしたアローラは退職金の70億を引いても33億円もらっていた。トヨタ社長でも3億円だそうで、日本企業の役員報酬は相対的に低いのは間違いない。それにしても、ゴーン氏の10億円だって大変なものだ。しかもいまや二ヶ月に一回くらいしか日本にはこないんだって言うしね。

ゴーンが自宅の費用や飲食費や個人的な経費を諸々会社の経費にしていたという公私混同はどこの会社でもある話だと思う。

程度の差はあるにせよ、常務、専務と偉くなっていくにつれて公私の区別がつかなくなっていくのはつぶさに見てよく知っております。もちろん背任罪だが、周りもあまりうるさく言わない。できれば自分もそうしたいと思ってたりして(笑)

W専務の下にいた時に社内の飲み食いを接待費にしようとしたので「割り勘にしましょう」といったら「そういう考えは俺はまったくわからん」と言われたことがある。結局W専務が全部払ったからいいのだが、以前の職場でもそういう会長やら社長やら専務やら常務やらいっぱいいましたね。全員とはいいませんけど。

話はさかのぼって1980年代、社内の連絡手段は直接話しにいくのが第一。少し離れていれば電話をかける。構内電話もありましたから、同じフロアならともかく階が違えば電話。他の事業所へはもちろん電話。その後、ファックスが普及して、契約書のドラフトのやり取りなどでは大活躍することになりますが…。

その後、パソコン通信が出てきますが、基本的には仕事以外のコミュニケーションに使っていました。パソコン通信を社内のコミュニケーションに使おうという発想はほとんどなかったといっていいと思います。守秘性の点からいっても、専用のネットワークを作ろうという方向になっていました。現在でも、私の勤めていた住友化学は社内ネットワークはVPNを使っているでしょう。

それでもNiftyserveからCompuserve経由で、仕事の書類をヨーロッパから日本に送るということをやったりしてました。しかし、これはすぐにインターネットに置き換えられました。世界の標準はTCP/IPに固まるなと感じたのが1995年くらいかな。

趣味のお友達グループとのコミュニケーションはパソコン通信で花開き、そのうちメーリングリストに移り、あるいは(電子)掲示板になり、結局現在はFaceBookに落ち着いたというところ。一部の方々とはTwitterで「平場」でコミュニケーションしていますが。FBについては、大学時代のサークル仲間のグループに参加して一挙に40年近いギャップを埋める「再会」がありました。おそらく適度なclosed感がそういうグループの特性に適合したのだろうと考えています。

一方、仕事でのコミュニケーションについては、1990年代にLotus Notesを今で言うSNS的な効果を目論んで試験的に導入しましたが、時期尚早でした。まず、みんなタイプができなかった。(orz)

それでも、記録が残ること、相手の都合を(電話のようには)気遣わなくていいことから電子メールが増えていきました。だんだんみんなタイピングにも慣れてきましたしね。社内専用のSNSも開発されていますからそういうものも使われているのでしょう。

そのうち、社内のコミュニケーションツールとして、住友化学の場合だとNECのStarOfficeというソフトウェア(当時グループウェアと呼んでいたような)を導入。これは数年使われましたが、パフォーマンスとコストの点でMicrosoft Exchangeにその座を譲りました。まだ使ってるんじゃないかな。StarOfficeもそうでしたが、あくまでメールベースで、今で言うSNSっぽい使い方は定着しませんでした。

これは私の推測ですが、掲示板とかメーリングリスト的な「一対多」を基本とした情報発信は会社における日本的なbehaviorになじまなかったのではないかと思います。会社の中、あるいは会社間では、同じことを伝えるにしても、直属上司に言うのと、ピアに言うのと、部下に言うのと、あるいは他の部門に言うのとすべて内容・範囲から言い方に至るまできめ細かく変えて連絡をとるという文化で、それがそのまま電子ベースでも残ってしまった。Exchangeを導入するときにその代りにNotesを導入していたら、多少なりとも「社風」が変ったかもしれませんが、あとの祭りですね。

ということで、私の世代(アラカン)としては、お友達との交流はSNSで、仕事の連絡は電子メールで、という使い分けが截然とできているわけです。

一時SNSハラ(?)みたいなことが取りざたされました。上司が「〇〇クン、FBやってるよね?アカウント教えてよ、トモダチ申請するから」みたいな。気楽なお友達との交流に会社の上司が入ってくるのはいやなので断りたいけれど、断るとカドが立つ、じゃあダミーアカウントをつくるか…みたいな、無駄なことがあったように聞いています。個人のWebsite華やかなりしころは「サイトばれ」とか、今でもTwitterの「アカウントばれ」とか、会社・仕事関係にはあまり知ってほしくない、という気持ちでつぶやいたりしている人もいるのではないか。

という歴史の上に立って(?)結果としてFBのお友達と仕事上の関係とは完全に分離されるという事態になっております。仕事関係は一応Linked-Inを使っていますが、ほとんどやり取りはなかったですね。