名無しの唄

名無しの唄

鼻歌と裏声の中間ぐらいの本気

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明日のことが分かるということが、大人になることなのだと思っていたこともあった。


不安を抱かない人を見て、不満を漏らさない人を見て、そういう背中の大きさを見て、思った。


そしてそれは間違いだ。それなりの背丈になった今、そう思う。





不満かと訊かれれば、まあ不満だ。


出来ていないことがたくさんある。多分すぐにはできないだろうということも、抱えている。


今がもっと違っていればと、漏らさないのはただ偏に、我慢しているからに過ぎない。





不安かと問われれば、まあ不安だ。


確約された明日なんて持っていない。世の不連続性を問わずとも、自分の未来は信頼に足りていない。


明日のことが見えていればと、そういう後悔をするたびに、明日のことが見えればと、無い物強請りをするものだ。





実はその一歩は限りなく近い。何なら寝てさえいれば追いついてくるからだ。


そしてそれはつまり、不満と不安を抱えて、それがそのまま近づいてくる形の明日を迎えるということだ。


だからこそその近さが、怖いのだ。





だけど実はその一歩は、遠くに置いてみることもできる。


不満を託す心を作って、不安を平らぐ力を蓄えて、それでもって一歩先へ、目覚めたままで進むのだ。


それは遠くて、持てる時間が短すぎると感じるほどで、言い訳できず自分の速さと大きさの一歩なのだ。





だからこそその遠さが、楽しみなのだ。


不満かと訊かれれば、不満だ。不安かと問われれば、不安だ。


そして明日は近くにもあって、そして近くの明日を遠ざけて、自分の足を上げるのだ。



だからこそ、大きくなければならない一歩を、もっと大きくしてみせるのだ。

遠くを見て、多くを語り、不安も不満も引っ張り上げられるほどの明日を仰ぐのだ

そう、思ったり願ったり信じたりしているのだ。




不満で不安な日々であっても、楽しいかと言われれば、楽しいのだと言い切れる。


そういうふうに生きていく。
決して格好いい人生を歩んできているわけではない。
話に出せば機嫌が悪くなるような、そんなエピソードをいくつも抱えている。
それでもってその都合の悪さに見合わずに、それぞれがドラマティックな経過や結果をもたらしているわけでもない。
きっとどんな優秀な脚本家であっても、この自分の人生をドキュメンタリーにしてくれと依頼されてしまえば、頭を抱えるか断るか、そんなところだろう。

それでもって手におえないのは、そのそれぞれの全ての時間で、言い訳できないほど本気であったということだ。
何か未来への展望が見えているような気がしたし、それ相応の実力を自分のこの手に感じてしまっていたりもした。
だからこそ、なのか、自分の中の全力を裏切ったりしたことはない。
前から見るのと後ろから見るのとでは、同じ時間の様子であっても姿かたちは随分と違うものなのだと、なんど思い知ったことだろう。

だから何か、綺麗に丁寧に真っ直ぐに、積み上げてきたのかと言えば多分そんなことはない。
背中の方から目をそらすことを、前を見るのだと格好つけて強がって言ってみたことだってある。
多分いろいろなものを無駄にしながら、時間を過ごしているのだろう。

だけどそれでも全力なのだ。言い訳できないほどに。
必死で考えて、本気で打ち込んで、前で上だと信じて足を進めようとし続けたのだ。
だから多分、止まっていたことはあまりないと思う。
それゆえに今それなりに疲れてもいるのだろうと思うのだけれど、自覚の上ではそれ以上に、次ももっと長い距離を走り抜けられるような気がしているのだ。
積み上げることもなく、就き進むことも出来ず、だけどそれでいて足を止めないただそのことに矜持を抱いてしまった末に、自分のことを嫌いになろうとも思わなくなっているのだろう。

明日何をしようか。
性懲りもなくそんなことを考えたりもするのだ。
学校教育において、歴史という分野はそれなり以上に重大な位置づけを与えられることが多い。
しかしながら、歴史をただ「知る」契機としての学校歴史教育が、果たしてそれを経て大人になった社会人たちにとって、以前として相応の重要性を自覚できるだけの有用性があるかと言えば、かなり疑問だ。
それは何故なのか。何故歴史教育はかように重大なものと語られるのか。そして何故、実社会の大人たちにその有用性を納得させることができずにいるのだろうか。

歴史を学ぶ意義は何か。その一つを、教訓的な思想抽出に求める発想は起源も古く、そして未だ支配的であるように思う。
歴史においては各時代、各事件に原因と結果が伴う。それはつまり、全体として一定の指向性を抽出することが可能であるということだ。
歴史教育は多く、このような発想と成果に立脚する。
例えば過去の日本では、歴史の中から天皇を頂点とする国の積極的前進を抽出し、それを利用して臣民の資質形成につなげていった。そして今では、歴史の中から人権と平和の伸長の過程を取り出し、人民・公民の資質育成を果たそうとしている。
内容は対照的であるかのように語られることが多いかもしれないが、両者は同様の構造に則っている。歴史と教育の関係性を同様の態度で扱うことで成立しているのである。そしてつまり、同様の失敗を犯している。

歴史とは、人工の物語ではない。ただ現実に起こってきたことの蓄積であるという側面が、否応なしに存在している。そしてなおかつ、それは過去に起こった現実である。
つまり、歴史においては必ずしも、現代の教育において理想的とされる発想が活かされて展開するとは限らないのである。
だから歴史の内容を、教訓として教育に持ち込むことは、一方では都合の悪い歴史的事実の捨象という過程を経ざるを得ない。
その方法を、教育の主体的都合に生活を立脚させない一般的な人間が見た時、当てはめる言葉は、恣意・偏向・捏造云々、いずれも教育そのものの信頼感を喪失させ、教育が主張する全ての効能を無効化する印象なのだ。
これが、歴史から教訓を抽出して語るという形の歴史教育が運命的に背負う失敗の経路であり、そして歴史教育が大人に至って意義を保てない理由だ。

しからば歴史を教育し学習する意義はどこに求めるべきなのか。
しかるべき歴史教育の在り方とは、歴史の内容から教訓を抽出することではなく、歴史という材料に向き合う現在的人間の視点において、その方法論や態度に着目して訓練となすことだと自分は考える。
歴史の中に自分自身を投影しながら、その内容的な指向性をくみ取っていくのではなく、歴史に対して現在から俯瞰する者としての立ち位置を堅持し、歴史という漠然とした唯の過去を、如何に解明・整理・分析・記述していけばよいのかという、その視点に立って訓練をすることこそ、歴史を教育という現場に持ち込む意味なのではないだろうか。
すなわち、教育と学問の分断を問題とし、学者と一般人の認識や態度は違って然るべしという認識を改め、まさしく研究者の視点で歴史という材料を自ら組み立てることこそ、現代人全てに必要とされ、現代人全てが有用にしていくことのできる歴史教育である。
物事には理由がある。
何か事象が起こるときには、なぜそれが起こったのかを説明できるようになっている。
かような信念こそ人間が知性を体系として発達させる前提なのだ。

歴史もまた、原因を追究する学問の一つだ。
もちろん単純に、歴史において起こった事件や事象について、同じく歴史の中から発見していくことも、歴史学の重要な思考である。
しかしながら、歴史学が追求する事象と理由は、実は歴史という話題の内部に存在する要素間のことばかりではない。

歴史学が追求するのは、今現在歴史を認識し表現する我々が、なぜそれを認識するのか、いかにしてその認識を確信できるにいたるのか、というその次元についてだ。
歴史とは、生で確認することのできない、既に過ぎ去ってしまった事象を内容的な対象とする。書かれた時間も書いた人も、大いに隔たってしまった対象を相手にするのが歴史学だ。
しからば、それを確認するという作業には、既に100%の信頼というものが存在しえないのだ。
全ての記述や情報に対して、相対化された信頼性を前提としながら、それぞれについてどのように扱っていくのかを、その都度理由を厳密に追求しながら併せて語ることが、歴史学の肝なのである。

よくよく、「歴史」という言葉を使う時には、過去であるという一点をもって、否定しえない強烈な妥当性という印象を引用され利用されることが多い。
しかし、歴史学が本来的にはらんでいる手続きを鑑みるならば、むしろ歴史として物事を語るときの不可欠な視点は、全ての情報に確約的な信頼性はなく、氾濫する相対性の中で議論と判断を要求するべきであるということなのだ。
「歴史」の誤用を糾弾していくことには、だからメディア・リテラシーという発想の伸長につながる現代的な重要性が存在しているともいえる。
音は響く。
空気を、あるいは形のあるものであっても、ただ通り抜けるわけではなく、それを震わせながら進む。
走っていくのでは追いつきようもないほどに、速く、遠くへ。

だから、声を出すことが好きになったのかもしれない。
腹の中から起こった、自分の形の振動が、同じ形を少しずつ分け与えながら、手の届かないほど遠くへ行ける。
それは自分が生きた証であるとも言ってしまえるかもしれないし、自分が生きる意味であるとも考えていいかもしれない。

だから、声を出すことを思って、考えて、そうしていこうとしたのだ。
声に出す内容を練り上げ、声を出す方法を組み立て、声を出せる場所を探していったのだ。
揺れ動いていく自分の在り方を感じ入るそのたびに、また声の作る振動も大きくなっていくのを感じていた。

揺れ動かし、動かされながら、響きを作って人は生きる。
鼓膜以上に身体が震え、伝えたり伝えられたりしながら、生きていたのだと知られていき、生きているのだと知っていくのだ。
調和を求めるほどに器用なわけではなくて、だから五月蠅かったり鬱陶しかったりするときもあったのだろうけれど、それでも声は響いて行って、届いて行くのだと、そういうこともあるのだと思っていられるからこそ生きているのだ。

歌う。時に囁くように。時に叫ぶように。
誰かなのか、何処かなのか、とにかく何かを震わせながら、動かしながら、呼吸をしていたいのだ。