会津旅行記(前編)~トンネルの向こうに見えた秘境~ | みなかん~南千住車両管区~

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鉄道模型を中心に、ゆる~くのんびり・まったり語るブログ。
取り扱う車両は、営団地下鉄と乗り入れ先の関東私鉄たちが主成分です。


こんにちは、ななせです♪

今回は、先々週に行ってきた会津方面への旅行記についてお送りいたします。
記事を書くのに思いの外時間かかりました…


会津への旅行自体は去年の夏頃に行った「SL大樹」乗車記の時点で計画があったものの
私が金欠だと駄々をこねて断念しました…

時は流れ、磐西経由では何回か攻略している会津方面ですが、東武経由では
まだ行ったことが無いのに加え、個人的に行く目的が出来たため
計画が再び持ち上がり、今回の旅行と相成りました。


とりあえず何とか旅行記を二部構成にすることが出来たので
前編では2日目の大内宿散策までをお送りいたします。
ハイライトを二つ持ってきて大丈夫か…?


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東武経由で向かうとのことで、浅草から下今市まで「けごん5号」を使用し、
そこから普通列車で鬼怒川温泉駅を目指します。
序盤からだいぶ端折ってますね

ちなみに今回使用したお得な乗車券は「ゆったり会津東武フリーパス」。

下今市駅までの往復乗車に加え、フリーエリア(下今市以北)が4日間乗り降り自由
浅草←→喜多方の場合は7260円になります。
cf. 通常料金での浅草~喜多方は片道で4810円


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こちらは6050系の車内。
やはり乗るたびに思いますが、本当に乗り心地がいいです。

深く沈み込む座席と大きな窓、そして6000系の更新車だと軸距2300ミリの
ミンデンドイツ台車はイマドキの特急車とは比べ物にならないクオリティです。


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鬼怒川温泉駅に到着しました。

列車を下りると、向かい側に停まっていたのは「DL大樹1/2号」。

編成の中間にはJR北海道で使用していた「ドリームカー」が組み込まれており、
数年前に「はまなす」で乗車した時と車内は変わっていないようです。


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待つことおよそ40分、お座敷トロッコ(お座トロ)列車である
「湯めぐり号」が入線してきました。

列車名は運行区間・方向によって様々で、今回乗車の「湯めぐり号」は
鬼怒川温泉発の臨時列車になっています。
*運転日に注意

会津鉄道のAT-350形とAT-400形(奥)で構成されており、
現在は「ノラと皇女と野良猫ハート」のヘッドマークや車体ラッピングが施されています。


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こちらはトロッコ車両のAT-350形。
お座トロ列車の整理券を持っている人なら誰でも使えるフリースペースです。

私達は終始となりの展望車両に座っていたので、
車内探訪の時に踏み入れた程度でした。


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「風覧望(ふうらんぼう)」の愛称を持つAT-400形。
現在はお座敷と展望席の合造になっています。

国鉄のキハ40系車両を改造したもので、後ほど出てきますが
外観はどことなく「リゾートしらかみ」用の車両に通ずる雰囲気があります。


私達は展望席を選択したのですが、お座敷の方ももっと荷物が少なければ
コタツでぬくぬくしながら過ごすのも悪くないですね。

ちなみに「整理券=指定席券」ではないので、座席の位置は早い者勝ちです。

「ノラとと」とコラボをしているため、車内では
未知とパトリシアが出迎えてくれました。


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前面展望を楽しみつつ、列車は北上していきます。

東武最北端の駅である新藤原駅では、白目向いてる方向幕が白い6050系が…

テールライトが点いているので恐らく折り返し準備中なのでしょうが、
「一体何なのだろう」と色んな憶測が浮かびました。
そして帰りに乗車した編成であることをこの時はまだ…


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新藤原を過ぎると、その先にあるのは野岩鉄道。
*「のいわ」と読む人が結構多いそうですが、「やがん」と読みます

国鉄時代に会津線と接続し、今市方面へ繋ぐ路線…広く見れば米沢から古河を結ぶ
「野岩羽線」という壮大なプロジェクトの一部として建設されました。

しかし国鉄の財政難で工事は凍結、その後三セク化して建設予定だった
藤原~今市間は(かつての宿敵だった)東武と直通することで現在に至ります。


写真は川治温泉駅~川治湯元駅間にある「第二鬼怒川橋梁」。

『さよなら3000系』というビデオを知っている方なら、吊掛モーターを唸らせながら
3070系が駆け抜けるシーンでお馴染みの場所です。
またわかりづらい例えを…

写真の通り景色がとても良いので、お座トロ列車では
徐行運転で橋を渡っていきます。


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葛老山トンネルの出口付近にある湯西川温泉駅を出ると、
大きな鉄橋―「湯西川橋梁」を渡ります。

路線全体を見ていて思ったのは、途中駅での乗降数があまり多くないのに
レールやトンネルなどの設備がしっかりしているということ。

これは日本鉄道建設公団によって建設されたもので、高規格な路線なので
平地並みの高速運転も可能になっています。
かつて時速160キロが出る特急が走っていた「あの路線」も鉄道公団によるもの


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野岩鉄道の終点駅である会津高原駅に到着しました。
キミはひらがなもマトモに読めないのかな?

今月初めの運転会でチラッと触れた、旧会津滝ノ原駅とはこの駅です。

定刻であればこの駅で4分間の停車時間があるものの、途中駅での列車交換に
遅延が発生したので実はかなり駆け足で撮っています。

ここから先は国鉄会津線…もとい、会津鉄道に入ります。


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会津田島駅―東武や野岩鉄道が乗り入れる最北端の駅です。

幼少期によく地元の鐘ヶ淵駅の踏切で見ていた快速列車や急行「南会津」の
行先としてお馴染みで、昔から「どんな所だろう」と思っていました。

駅に隣接して車両基地があり、更に進んでいくと架線が無くなり
ここから先は非電化区間となります。


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会津田島駅を過ぎると、先程までトンネルだらけだった景色が一変して
ローカル線な雰囲気がより一層強くなってきます。

ちょうど旅行前に何となく観ていた『生活の中の鉄道』という動画が思い浮かび、
C11/C12+貨車+旧客が走っているような風景が広がります。


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途中の会津下郷駅では、停車時間中にますバーガーの車内販売がありました。

どうやら下郷町に「養鱒センター」という養殖場があるらしく、
ニジマスなどの養殖が盛んに行われているそうです。

最初は特急「けごん」の中で色々食べ過ぎたせいで少々悩みましたが、
やはりご当地グルメなので誘惑には勝てませんでした。


中には鱒のフライが入っているとはいえ、脂っぽさはあまりなく
サルサソースや野菜などと相まってさっぱりとした味でした。


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茅葺き屋根が特徴的な湯野上駅…改め湯野上温泉駅。

観光地として有名な「大内宿」の最寄り駅なこともあり、三セク化後に
茅葺き屋根の駅舎に改装しました。
*国内では豊後中村駅(大分県)と当駅のみ

本来ならばここでも6分間の停車時間があったものの、
途中駅での対向列車の遅れで停車時間はわずかに…

だったのですが、当駅での交換予定の対向列車も遅れていたため
急いで反対側のホームから撮影しました。
*構内踏切が鳴ると渡れなくなるので気を付けましょう

こちらの駅も桜の花をバックに列車を綺麗に撮ることが出来るのですが、
この時点では全く咲く気配すらありませんでした…


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湯野上温泉駅を出て二つ目の大戸トンネルとその次の
桑原トンネルを抜けた先にある深沢橋梁です。

この辺の区間は大川ダムの建設によってダム湖(=若郷湖)に沈んだ旧線があり、
上写真の左側にあるのは旧線の大戸トンネルです。


深沢橋梁はその経路変更に伴い建設された阿賀川(大川)の支流である
深沢渓谷に架かり、車窓からの風景が素晴らしくお座トロ列車だと橋で一旦停止します。

初日は晴れていたので青空と湖面のコントラストが良く、
さらには湖に架かる大川湖面橋がいいアクセントになっています。


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西若松駅を過ぎ、ここからJR只見線に入ります。

途中の七日町(なぬかまち)駅に着くと、
正面には大きなファミマの看板磐梯山が見えました。
*所在地名だと「なのかまち」と読みます

少し前だととある臨時列車つながりで何度か見てきた磐梯山。

福島県のシンボルの一つでもありますからその存在感は大きく、
その名は「天に掛かる岩の梯子」という意味がある…と沿線案内をガイドしてくれる
「ノラとと」の未知が教えてくれました。


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およそ3時間近くに及ぶ乗車時間もあっという間に過ぎ、
終点の会津若松駅に到着しました。

到着後は一旦宿へ大きな荷物だけ預け、身軽になってから
再び駅へ戻ります。

今度は磐越西線に乗り換えて喜多方を目指します。

ちなみにこちらは「普通列車=各駅停車」ではないので、
「駅メモ」マスターの皆様は取りこぼしに気を付けましょう。


そういえば「ゆったり(ry)フリーパス」は磁気券ですが
JRの自動改札に対応していないため、入れると飲み込まれてしまうので注意です。


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磐越西線の出発を待っていると、719系700番台
「フルーティア(FruiTea)」が入線してきました。

719系も数年前なら標準色に加え、磐越西線では「あかべぇ」色も見られましたが
廃車が進み珍しい存在となりました。

クシ718-701は往年の食堂車と性格は違えど、今となってはほぼ見かけない
食堂車を示す「シ」の記号を持つ車両です。


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駅から少し歩くと、「日中線記念自転車歩行者道」が見えてきました。

日中線もまた、米沢~古河を結ぶ野岩羽線計画の一部として
喜多方~熱塩間11.6キロが建設され、1984年に廃線となりました。

路線の面影自体は終点である熱塩駅の駅舎が記念館になっているものの
流石に11キロ歩くのは無理があるので、サイクリングロードを軽く散策です。


こちらのサイクリングロードでは道の両端に植えられたしだれ桜が綺麗に
咲くそうなのですが、開花と言うにはもっと先の話ですね…


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しばらく歩くと静態保存のC11-63を見ることが出来ます。

日中線と言えば、本州における最後のSL定期旅客列車が
走っていた路線としても知られています。

生涯を東北地方で過ごし、只見線の無煙化記念の臨時列車を牽引したほか
1974年に会津若松区へ転入し、SLさよなら列車にも抜擢されました。


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C11の後ろにもう1両何かがいます。
―こちらは昭和電工喜多方工場で使用していたDLです。

新潟鐵工製のロッド式DLで、工場から喜多方駅へ続く
専用線で活躍していたのだそう…


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保存車たちの脇の桜の木には、1~2輪程度花が咲いています。
*広角レンズを持っていると、「すぐ花を撮りたがる症候群」を発症します

都内だと既にソメイヨシノも散って舞い込む花びらも見かけなくなりましたが、
こちらでは「もうじき開花」といった様子でした。

この時はまだ全然咲いていませんが、こうやって撮ると
「あれ、意外と咲いてる?」ように見える不思議…


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廃線巡りを楽しんだあとは、皆様ご存じ「坂内食堂」にて
喜多方ラーメンを食べました。
*何故かテーブルに擬態してしまったラーメン

さすが有名店という事もありずっと満席状態で、
店の外にも長蛇の列ができていました。


注文したのは全部乗せかつ大盛りな「大盛りネギチャーシュー」。

町の色んな所にあったポスターにも書いてある通り、
味は「気取らない」けれどもしっかり個性があるといった感じ。

麺も独特な太さで、私好みな歯ごたえでした。


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全部乗せ+大盛りだったので昼食を食べていなくてもお腹いっぱいになり、
駅近くの踏切で撮影しながら若松方面の列車を待ちます。

その後は若松の宿に戻り駅前付近のスーパー銭湯で汗を流し
宿で晩酌をしました。

さすが水が綺麗な会津なので酒も美味しかった…のですが、
酒への耐性が無い&お供に食べていたスナックの油分で悪酔いに。


電気を消しても1時間近くはお腹を押さえて息を「ひゅーひゅー」させながら
一日目の夜は更けていきます。
弱すぎだろ


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夜が明けて2日目。
本格的な観光が始まるので朝の会津若松駅へ。

すると、ホームには「TRAIN SUITE 四季島」が停車していました。


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まずは「AIZUマウントエクスプレス」に乗車します。

使用車両はAT-700/750形で、先代のもと名鉄キハ8500系や東武から乗り入れてくる
特急列車を意識して、車内はリクライニングシートになっています。

これで特別料金不要ですから、何だか凄いなと思います。


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下りた駅は初日にも出てきた茅葺き屋根の駅舎―湯野上温泉駅です。

「東北の駅百選」に選ばれているだけあって、その独特な雰囲気は外観だけでなく
駅舎の中にもあります。


駅舎の中に入ると、まず目に飛び込んでくるのは待合室にある囲炉裏。

茅葺き屋根の駅舎ゆえに、虫よけとして有人時間帯のみ実際に
火が入れられています。


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駅からは大内宿へはバスに乗って向かいます。

とはいっても、大内宿へのバスは一日に数本程度しかないので
運行シーズンや時間などはあらかじめ調べておきましょう。

広田タクシーが運行する「猿游号」というバスで、それぞれのバスには
宮沢賢治の作品に登場する人物の名前がニックネームとして付けられています。


こちらのバスは、『グスコーブドリの伝記』の前身にあたる
ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』が由来です。


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大内宿に到着しました。

江戸時代に会津西街道の宿場町として栄えており、その伝統的な建物の
保全活動が続けられ、会津地方の有名な観光地として知られています。

茅葺き屋根の家々が連なり、人里離れたロケーションとも相まって
どことなく「非日常」を感じる場所でした。

ちょうど私たちが訪れた時も屋根の葺き替えを行っていました。


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町の中心に大きくそびえ立つ火の見やぐら。

やぐらの作りは近代的ですが、やはり宿場町ならではの光景ですね。


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こちらは大内宿の本陣を復元して建てられた「町並み展示館」。

復元とはいえ、大内宿も戊辰戦争の舞台になっており
当時の図面などは焼失しているため、他の本陣を参考に再現したそうです。

写真には写っていませんが、4月中旬とはいえ所々に
雪が積もっていたので、こちらではようやく春の訪れといった感じでした。


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階段を上った先にある子安観音堂付近の丘から町並みを見下ろします。
よくガイドブックなどで見かける大内宿の景色です。

こうしてみると、どことなくタイムスリップしたような
雰囲気を感じ取ることが出来ます。


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さて、大内宿でのグルメと言えば―「高遠そば(ねぎそば)」ですね。

お昼時になると混雑・売り切れなんてこともありますから、私たちは
朝兼昼食として10時前くらいに入りました。

その他にもイワナの塩焼きや栃餅もいただきました。


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実際にねぎですくってみるとこんな感じ。
馴れれば結構食べられる…かも?

ねぎそばの特徴はつゆに出汁やしょうゆを使わず
辛味大根で味付けされています。

そして箸として使っているねぎを薬味代わりにポリポリとかじりながら
食べていくスタイルです。


出汁が無いとはいえ大根の味付けによって甘めの味で、
これまた辛すぎないねぎの味がいいアクセントになっています。

ちなみに「高遠って会津ではなく信州なのでは?」と思った方へ。

これは江戸時代初期の大名である保科正之が高遠藩主から(山形藩主を経て)
会津藩主になった時に蕎麦文化が広まったと言われています。


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ねぎそばを食べたあとは街中を再び散策。
土産物を購入しつつ焼き団子のにおいにつられてひと休み。

「じゅうねんえごま味噌」という甘めな味噌で味付けされており、
焼きたての熱さと程よい噛み応えのある食感はやみつきでした。


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大内宿観光を終え、再び湯野上温泉駅に戻ります。
ここでは、駅に隣接して足湯があります。

前日に乗車したお座トロ列車が来るまでまだ時間があるため
足湯に浸かってまったりしました。


上着はあっても無くてもという気温だったので足湯の温度はちょうど良く、
列車が来ても足湯から撮影するといった意識低い系…


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足湯にずっといるわけにもいかないので、駅周辺を軽く散策。

阿賀川(新潟県に入ると阿賀野川)を渡った先にあるのは史跡廃墟である
「湯野上観光ホテル(下郷ホテル)」。

わずか2年で廃業になったそうで、何回か不審火に見舞われており
建物の中は荒廃している…のだとか。


さすがに素人感覚で中に入ったきり出てこれなくなりそうなので
内部探索する度胸は無く(というか不法侵入)、外観のみの撮影です。

ですが、私たちが訪れた時は建物の脇に車が止めてあったのを見ると
きっと中で「史跡巡り(意味深)」をしていたのでしょうね…


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廃墟撮影のあとは駅の方へ戻ります。

途中のトンネル付近に何となく良さそうな撮影スポットを見つけ、
そこでお座トロ列車を撮影します。

黄色く咲いているのは水仙の花で、やはり春が来るのは
もう少し先といった感じでした。


という事で、以上が会津旅行記の前編でした。

後編でも色々と写真を用意しているのでおそらく前編と同じくらいの
尺になると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

【つづく】