父の闘病記、続きです。
前回の話はコチラ。
 
 
 

姉が病室へお見舞いに来るのは、

仕事の関係で、なかなかできなかった。

家族全員で撮影。4人がそろって2回目。

 

私の仕事も、順調に進んでいた。

色々と良いご縁が結ばれていって、

紹介があったり、話がスムーズに進んだりもした。

 

父の酸素マスクが外れたのこの頃。

酸素濃度がようやく安定してきた時期。

数値上では低かったが、

喉が渇くといって、父は酸素マスクを

嫌がっていた。

だから、これも大きな進歩だった。

 

そして、ベッドから病室内のトイレまで、

1人で歩けるようになったと報告があった。

 

 

 

 

 

 

仕事やお見舞いの間に、役所や書類手続き。

母に変わってその部分は、私が担当した。

書類仕事は、得意分野なので、苦ではなかった。

この頃の手帳には、必要書類・アポ取りと面会。

仕事と父関係の人のことでいっぱい。

 

連日、血液検査の日々だった父は、

リハビリや、入浴など何かのきっかけで、

白血球が減少し、100以下になることもあった。