星新一と寺山修司を読むと言っておきながらの小川洋子。
夏の文庫フェアで気になって買っていた本。
最近本のレビューが多いけど、
その理由は単に他に記事のネタがないだけ。
いやまぁ些細なネタなら、デジタル品川が見れたとかそんなことはあるんだけど、
記事にするからには読ませたいというのがあって。
だけど本やCDのレビューってのは頭の回転エネルギーを二倍くらい使うんで、
気分が乗らないとあんまりレビュー書かないというのが問題ですな、私の場合。
この本のあらすじとしては、
少女期に『アンネの日記』を読み、作家を志して以来、アンネを心の友としてきた小川洋子がアンネの足跡を尋ねたエッセイ。
フランクフルトの生家、アムステルダムの隠れ家、アウシュビッツへ巡り、
アンネを知る人から話を聞く旅。
私はアンネが日記を書いた年齢と変わらないくらいに『アンネの日記』を読んだんだけど、
小川洋子さんのように純真な少女のアンネのままを感動した歓びを得ることはなかった。
アンネというユダヤ人の少女がナチスの迫害を受けて死んだという事実を知って読んだためか、
この日記を書いている普通の少女が普通の生活を奪われて殺されたんだなぁという先入観のまま読んでしまった感がある。
それもあるのだけど、
しかしアンネの日記には、
1人の少女が自分の内面を言葉にし書くことで、これまでに表現力を持つのかという文学がある。
小川洋子さんはアンネの日記を一つの文学として読む歓びを享受できた幸せな人だなぁと思った。
私が今『アンネの日記』を読むと10年前に読んだときと違うんだろうなぁ。
今は『アンネの日記 完全版』が出版されているらしく、
完全版じゃない今までの日記は父親のオットーによって、性に関する記述や母親を批判する部分が削除されていたらしいのだが、
完全版が出版されたとあっては、また読みたくなってくる。
この『アンネ・フランクの記憶』を読み終えると、絶対『アンネの日記』を読みたくなるはず。
私がアンネフランクという人物を知ったのは、小学校低学年で、
アンネを知るより先か同時か(後ということはない)にホロコーストやアウシュビッツやナチスを知って、
幼いながらに驚いたけど、
今それらの言葉にまた接して、実際に訪れた人の文章を読むと、どうしても行きたくなった。
遺産も好きで、昔っからマチュピチュには絶対生きているうちに見るんだ!という使命があったけど、
アウシュビッツにも絶対生きているうちに行かなければ!と思えた。
ポーランドは昔からドイツやソ連やの紛争に巻き込まれて、多くの事件や事故や傷がある国だから、
アウシュビッツの他にも沢山行かなければならないところがある気がする。(カティンの森とか)
アウシュビッツにはこういうのがある、あぁいうのがあるとか、隠れ家はこういう仕組みになっているとか、
知識では知っていたけど、
やはり見る衝撃というのは計り知れないとこのエッセイを読んで一番感じた。
小川洋子さんほどの表現力と語彙力には到底及ばないけど、
それでも感じたいって思った。
絶対行った人にしか分からないものがあるって思えた。
8月6日のあの時間に平和公園にいる人しかあの空気が分からないように、
きっと言葉にならない空気があるんだと思う。
あ、『書を捨てよ、町へ出よう』はこういう意味もあるんだろうな。
あと、このブログも日記の役割はあるけど、
日記つけたいなって思った。
生来の面倒くさがりで、案の定今までにも日記をつけては三日坊主だったことは何回もあるんだけど(しかもアンネのようにお気に入りの日記帳を買って三日坊主)、
またチャレンジしてみようかな。
アンネのように日記を書くことに救いを求めたように、
私も日記に救いを求めて書きたい。
今なら書ける気がしてきた。
今度町へ出たら、お気に入りになるだろう日記帳を買おう。
三日坊主になるか、続いていくか。
どっちになるでしょう。(自分でも分からん)
ちなみに三日坊主の最高記録は3ヶ月。
記録更新なるか!?
夏の文庫フェアで気になって買っていた本。
最近本のレビューが多いけど、
その理由は単に他に記事のネタがないだけ。
いやまぁ些細なネタなら、デジタル品川が見れたとかそんなことはあるんだけど、
記事にするからには読ませたいというのがあって。
だけど本やCDのレビューってのは頭の回転エネルギーを二倍くらい使うんで、
気分が乗らないとあんまりレビュー書かないというのが問題ですな、私の場合。
この本のあらすじとしては、
少女期に『アンネの日記』を読み、作家を志して以来、アンネを心の友としてきた小川洋子がアンネの足跡を尋ねたエッセイ。
フランクフルトの生家、アムステルダムの隠れ家、アウシュビッツへ巡り、
アンネを知る人から話を聞く旅。
私はアンネが日記を書いた年齢と変わらないくらいに『アンネの日記』を読んだんだけど、
小川洋子さんのように純真な少女のアンネのままを感動した歓びを得ることはなかった。
アンネというユダヤ人の少女がナチスの迫害を受けて死んだという事実を知って読んだためか、
この日記を書いている普通の少女が普通の生活を奪われて殺されたんだなぁという先入観のまま読んでしまった感がある。
それもあるのだけど、
しかしアンネの日記には、
1人の少女が自分の内面を言葉にし書くことで、これまでに表現力を持つのかという文学がある。
小川洋子さんはアンネの日記を一つの文学として読む歓びを享受できた幸せな人だなぁと思った。
私が今『アンネの日記』を読むと10年前に読んだときと違うんだろうなぁ。
今は『アンネの日記 完全版』が出版されているらしく、
完全版じゃない今までの日記は父親のオットーによって、性に関する記述や母親を批判する部分が削除されていたらしいのだが、
完全版が出版されたとあっては、また読みたくなってくる。
この『アンネ・フランクの記憶』を読み終えると、絶対『アンネの日記』を読みたくなるはず。
私がアンネフランクという人物を知ったのは、小学校低学年で、
アンネを知るより先か同時か(後ということはない)にホロコーストやアウシュビッツやナチスを知って、
幼いながらに驚いたけど、
今それらの言葉にまた接して、実際に訪れた人の文章を読むと、どうしても行きたくなった。
遺産も好きで、昔っからマチュピチュには絶対生きているうちに見るんだ!という使命があったけど、
アウシュビッツにも絶対生きているうちに行かなければ!と思えた。
ポーランドは昔からドイツやソ連やの紛争に巻き込まれて、多くの事件や事故や傷がある国だから、
アウシュビッツの他にも沢山行かなければならないところがある気がする。(カティンの森とか)
アウシュビッツにはこういうのがある、あぁいうのがあるとか、隠れ家はこういう仕組みになっているとか、
知識では知っていたけど、
やはり見る衝撃というのは計り知れないとこのエッセイを読んで一番感じた。
小川洋子さんほどの表現力と語彙力には到底及ばないけど、
それでも感じたいって思った。
絶対行った人にしか分からないものがあるって思えた。
8月6日のあの時間に平和公園にいる人しかあの空気が分からないように、
きっと言葉にならない空気があるんだと思う。
あ、『書を捨てよ、町へ出よう』はこういう意味もあるんだろうな。
あと、このブログも日記の役割はあるけど、
日記つけたいなって思った。
生来の面倒くさがりで、案の定今までにも日記をつけては三日坊主だったことは何回もあるんだけど(しかもアンネのようにお気に入りの日記帳を買って三日坊主)、
またチャレンジしてみようかな。
アンネのように日記を書くことに救いを求めたように、
私も日記に救いを求めて書きたい。
今なら書ける気がしてきた。
今度町へ出たら、お気に入りになるだろう日記帳を買おう。
三日坊主になるか、続いていくか。
どっちになるでしょう。(自分でも分からん)
ちなみに三日坊主の最高記録は3ヶ月。
記録更新なるか!?
