もう、数年前のことだけれど、

イギリス在住の友人が久々に帰国してこんなことをぼやいていた。

「どうして日本のテレビって夜は下らないバラエティー番組しかやってないの?

それも食べ物の話題ばっかり」

イギリスだとBBCのドキュメンタリー番組を夜に見て、

翌日会社の同僚とそれについたり話たりするんだそう。

その疑問に対し、友人は自問自答のようにこう言った。

「まあ日本人は日々の仕事が忙しすぎて、

仕事のあとドキュメンタリー見る精神的余裕がないんだろうね」

 

この本を読んでまっさきに思い出したのは、友人とのこの会話だ。

この本の内容って、

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

タイトルそのもの。

タイトルを見たときに

「そりゃそうでしょ、当たり前でしょ」と思ってしまったが、

そもそも、それはおかしい。

 

本書では、明治以降の日本人の労働史とともに「読書史」をひもとく。

(そもそも読書史なんてものがあるのか!と驚いてしまったが。)

読書は当初、エリートのためのものだったが、

徐々に大衆化されていき、ビジネスマンが読むようになっていった。

国内の本の売り上げはバブル期がピーク。

しかし一世帯あたりの本の購入金額でいうと1970年代半ばがピーク。

人々がもっとも読書していたのはおそらく1970年代で、

バブル期は読書する世代の人数が多かったため、

売り上げが伸びていたのだろう。

 

そして。

最近は読書離れが言われて久しい。

なかでもなぜ「働いていると本が読めなくなるのか?」

 

それは、読書=ノイズを取り込むことだから。

たとえばネットサーフィンとか自己啓発本は、

自分の知りたい情報をとりにいくので、

知りたくない情報、またはびっくりするような情報は

基本的には入ってこない。

しかし、小説なんかだと、

思ってもみなかったような感情を呼び起こされることがある。

これがいわゆる「ノイズ」で、

仕事にコミットしすぎていると、

このノイズを取り込む精神的余裕がなくなるから。

 

・・・このあたりの展開、そうか!と目からウロコ。

ほんとそのとおりだと思う。

仕事に没頭してるときって、こんなに読書好きの私でも

小説を読みたくなくなるもん。

読書で心を乱されたら心が持たないと思う。

 

けれど、そうやって思いもよらない感情を

体験するから視野が広がるし人間的な成長も得られるのだろう。

 

ではどうすれば読書できるのか?

 

ここからの展開もとっても良かった。

「全身全霊で働くのをやめよう」

 

なるほどー。

 

著者は言う、全身全霊で働くのは、むしろラクだと。

わかる。私も独身時代、顧みる家庭などなかったので、

時間も精神もすべて仕事にささげていた。

それは何の調整もいらないから、楽なのである。

けれど、それは働きすぎて燃え尽きて、

うつ病などになる危険性をはらむ。

 

だから

「半身で働こう」と提案する。

家庭だとか趣味だとか地域活動とか、仕事以外のことに

半分以上コミットする。

そうすることで精神的余裕が生まれる。

そうなると読書する余裕もできる。

 

いわば「読書」はバロメーターのようなもので、

読書できてる状態なら、仕事にコミットしすぎてないと

自分で確認することができるのだ。

 

読書する精神的時間的余裕があるくらいに、

半身で働く。

 

思いのほか深い内容で面白かった。