吉本ばななさんはデビュー当時からの大ファンなので、
もちろんこの本の発売も知っていたし、いつか必ず読もう思っていたけど、
重そうな印象(失礼!)で読む時期を見計らっていたところ。
ばななさんの小説は、
たとえて言うなら「イソップ童話」のように
寓話めいていて、その傾向は近年ますます強まっていると思う。
ストーリーはあるけど、たぶん本質はストーリーにはなく、
ばななさんの「伝えたいこと」を運ぶためのハコに過ぎない。
「ヨシモトオノ」は寓話感が極まった、
ひとつの到達点だと言っていいんじゃないかと思う。
ちょっと不思議な印象を残す短編12篇に、
エッセイ1篇。
このエッセイ「光」、中盤にはさまっているので
最初面食らって思わず読み直した。
あれ?小説じゃないんだ、待って待って、という感じ。
内容は、自殺してしまった知人女性Aさんについて。
このエピソードは他のエッセイ集で何度か語られているんだけど、
今作「ヨシモトオノ」で改めて語りたかった理由はすごくわかった。
Aさんにまつわるちょっと不思議な体験や
ばななさんや知人たちの、Aさんへの接し方色々。
命を絶ってしまったAさんへの割り切れない思い。
そこに至らないためのたくさんのセーフティネット、(中略)
それをなるべく多く持つ、目に見えない豊かさのある人生を私は目指したいし、
周りの人たちもそうであってほしい。(以上「光」より引用)
ばななさんが寓話ではなく
エッセイにてはっきりとこう書いたことにより、
エッセイ後の短編が濃密に感じられ、
より心に迫ってきたように思う。
このあとの「花」という短編。
主人公と女友達が築く、あたたかな友情。
実は先祖同士が結構なもめごとを起こしていたということを
主人公は夢の中で知るという話なのだけど、
夢に登場したおばあちゃんが語るセリフがぐっとくる。
「まあ、とにかく花が優先なのよ。我々は、この世に、花を見に来てる。花が見たいから生きてる。
でもそのことを生活している途中で忘れちゃうんだよね。」
「難しいことはわからないけどね、今、孫とあんたは花みたいだよ。こちらの世界まで香ってくるし(中略)どんなお供え花よりお線香より、なぐさめられる。」
(以上「花」より引用)
先祖たちは罪を犯しているかもしれない。その因果が私達に及んでいるかもしれない。
けれどそれを均すのは、いま、花のように生きて、
一瞬一瞬に生み出すきらめきのようなものなのではないか。
いまを大切に生きる、
花のように生きる、そのことが自分の、そしてまわりのセーフティネットになる。
そのことが、そのことだけが、結局は自分もまわりも救うのではないか。
重い本だろうなあと思いつつもこの本を手に取ったのは、
直前に、中3の息子と小4の娘に、
それぞれ別のことに関して親としてありえない酷い暴言を吐いてしまったから。
自己嫌悪に陥り、
もう何もかも嫌だなあ・・・・人間としてやばいよなあ私、失踪したい、
と落ち込んでいたから。
(息子と娘はもっと落ち込んでいると思う。本当に申し訳ない。)
なんとなく「読むならいまだ」と思って読んだら、
めちゃめちゃ響いた。
息子と娘に対し罪を償うとしたら
私自身が「花のように生きること」?
この他の短編にも、落ち込んだ心を救う珠玉のような言葉が
詰まっているので、
辛いときに手に取ってほしい。
読むタイミング、シチュエーションによって、
それぞれ違ったふうに響いてくるだろう。
それこそが寓話だから。
別ブログでも吉本ばなな愛を語っていますのでぜひ!



