18歳の理佐と8歳の律。

この姉妹が、やむを得ない事情で親元を離れ、

2人で暮らし始める。

そこで出会うのが、ヨウム(大型インコ)の「ネネ」。

理佐が職を得た蕎麦屋は、水車小屋で蕎麦の実を粉にひいてるのだけど、

その石臼の管理の一端を担う・・・というか、

石臼を見張っていたのがネネ。

姉妹はネネの世話も任されるようになる。

 

お金もほとんどない状態で、まるで放り出されるように

自活を始めざるを得なかった姉妹。

けれど、ネネを中心とした人間関係のなかで

次第に居場所を見出していく。

このネネ、タイトルにもなっているくらいだから、

非常に重要な役割を果たす。

ヨウムは3歳くらいの知能があるといわれているそうで、

人の名前を覚え、石臼でひいていた蕎麦の実が

すべて粉になったら大声で人に知らせ、

ラジオやカセットテープに合わせて歌を歌い、

クイズのようなもので人間とのやりとりを愉しむ。

ネネを中心にした人間関係、というのがキモ。

姉妹の周囲の人たちは、ネネの友だち、みたいな距離感で、

姉妹を少し遠くから、温かく見守る。

 

蕎麦屋のご主人と奥さん、そして近所の人、

律の担任の先生。律の同級生の家族。

全員が、心地よい距離感を保ちつつ、姉妹のことを気にかけている。

 

物語では、姉妹とそのまわりの人たちの、

10年後、20年後、30年後、40年後が描かれる。

成長した姉妹は、いつしか若い人を支える側にまわっている。

それも、自分たちがしてもらってきたように

「心地よい距離感」で、さりげなく。

 

自分はおそらく、これまでに出会ったあらゆる人々の良心で

できあがっている

 

成長した律が過去を振り返ったとき、

ふとこんなことを思う。

私が「心地よい距離感」と感じていたのは、

この、登場人物たちの「良心」だ。

 

でしゃばり過ぎない。

みんな、いまの自分ができることを

ひっそりとやる。

そしてペイフォワードのように、自分がしてもらったことを、

次の人にまわしていく…。

このコミュニティーの中心にいるのが、

言葉がわかってるのか

わかってないのか微妙なネネ、というところが

繰り返すがこの物語のキモだったのだろう。

 

読後、ほっこりと幸せな気分にしてくれる作品だ。