子どもにも言われるので
自分が常に機嫌が悪いのわかってる。
だから、
タイトルに「機嫌」が入ると非常に気になる。
この本の著者の秋田道夫さんは、著名なプロダクトデザイナー。
Twitter(現X)で自分の思ったことや感じたことを発信しはじめたところ、
ものごとの本質を突いた、そして短く的確な文章が注目されはじめたそう。
秋田さんは自分でも気づいてなかったけれど、
いつも機嫌が良いらしい。
そしてそのことをまわりからも言われるようになり、
Twitterの骨子が「機嫌よくいること」になってきたとのこと。
日々、機嫌よく暮らす。
それこそが幸せに生きる、ということだろう。
どうやったら日々機嫌よくいられるのか?
・・・というのを、
そもそも機嫌のよい人に聞いてもそれは愚問なのではと
思わなくもないけれど、
(だってもとからできてることって、本人は意識していないに違いないから)
「まわりに期待しないこと」らしい。
自分で自分の機嫌を取ることのコツみたいなのは、
まあそうだろうね、という内容なんだけれど、
それ以外にも
ふとした発言がはっとさせられる。
「自分のカタチを決めない。ぼんやりしている様子を容認する」
という言葉が、良かった。
これについては、自分自身の機嫌がどうというより、
親として、自分の子どもに対して「型にはめないで見守れ」という解釈をした。
子どもの頃から作文や絵が得意でコンクールに入選するような人は「他の勉強も得意」なことが多くて、そのまま作家や画家には案外ならないような気がします。勝手な憶測ですが。
(中略)大事なことは子どもがぼんやりしている様子を容認することではないかと思います。漠然とぼんやりとまわりを感じている感性を見守ってほしいですね。
小6の息子の同級生で、
このたびの中学受験でいわゆる御三家に受かった男の子、
6年生の冬休みの宿題の書き初めでは校内で上位に選ばれて
校外に張り出され、
授業で描いた絵はコンクールで受賞し、
秋の音楽発表会ではピアノの伴奏で注目され。
神は二物も三物も与えてるわ~どれか分けてよ、
と思ったけれど、
たしかに、そういう子は作家や画家にならないだろう。
いや、作家や画家がいいとか悪いとかじゃなく。
まだまだ幼くて、何をやっても目立たない「ぼんやりした」我が子を、
無理やりなにものかにすべく型にはめるのではなく、
こちらも漠然と、ぼんやりとただ見守る。
そうすることで、みずから機嫌よく生きるすべを身に付け、
機嫌よく生きられる進路を見出し、
つまりは、幸せな人生を送れるようになるのではないか。
それは声高に語られなくともよし。
中学受験シーズンに際し、
ここんところずーーーっと、
子どもの学歴と幸せについて延々と考えているので、
(※子どもは受験していないにも関わらず!!!一体私はなんなんでしょう。)
よいヒントとなった。