1998年、1999年、2000年そして2001年に銀座四丁目の画廊<空想・ガレリア>で画廊企画個展としてお声がかかった折に、同じ画廊で開かれる野見山先生の個展に関連して私の個展に1998年〜2001年のいずれかにて複数回来廊頂きお会いした。

 その最初の出会いの時に「今時、こんな堅牢な仕事をしている日本人画家がいたのだ!」と驚嘆を持ってコメントを頂いたのは、これまでの仕事がこれで良かったのだという自信と励みにもなったことを今も思い出す。

 

 それ以前に野見山さんとお会いしたのは、以下の選考委員のお一人でもあった1995年の毎日新聞主催・第24回現代日本美術展でのレセプションの折に、その式典会場での”集団の中で”

 その後、同じ画廊で企画された自作の絵と古美術による「浜田賢治の眼」展にも来廊いただき。そのDM※を元にアレンジメントされた作品のコピーを画廊経由で頂いたことも思い出となる。

 また、私的なことではあるが文化功労者(後に文化勲章)の打診の折に、相談を受け「受諾すべき」と進言したことも思い出される。

 

※「浜田君がこれを見たら怒るかも知らないが?!、、、、」とのコメントとと共にそのアレンジメントされた作品のコピーを資料としていただく。今もそれは我が家の何処かにしまい込んでいる。

 

______記して、生前のご教授後鞭撻を賜り深く感謝しあげます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。