少しは早起きをして例年どうりにプランターと直播きにて朝顔の種まきをする。他に、今年から別にプランターと直播きにてコスモスを種蒔きもする。

___どちらの種子も、多過ぎて余り気味。、、、、蜜蜂、鳥や蝶の乱舞を見る楽しみがあります。______そして、通学路でもある脇道を利用する小・中・高生の目に優しな・和みが伝われば幸いです

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先のブログの続き

◆そして具象の作品でも最も重要な一つである「宗教観」が漂っている画家の絵は一部に認知できるが。こと精神性に基づく抽象概念で感じさせる仕事は古くても、新しくても絵の前に立ち止まり→会話・対話が生まれる&成立する」ということの意味が解らず絵のコレクションをなされる方も多々目撃する。

______その重要な絵画の要素の1っである「生命感」が絵に存在しない作品は忘れされれて良いものと思われる。好例として取り上げるとすれば(アメリカ現代美術)のマーク・ロスコを取り上げなかければならない。______先住民としてのアメリカインデアンのアイディンティーによる鬩ぎ合いの色彩絵画にある地平線ないし水平線のその<境界>の存在する色の交わり=この意味を鬩ぎ合いと私は論じている(随分と前から述べて来た=それは西武美術館による「アメリカ現代美術展」という金字塔の展覧会で感じたことでもあった。)。

 それは私たち日本人のアイディンティーの根底にある縄文人は何処から来て何処に追いやられたたか。そして、その痕跡と生命は何処に引き継がれ&再度、元の地へと回帰したのか。弥生人も何処から来たか!そしてどの様に改名し今日に至ったかを火元かくて絵画も成立していないとも言える。、、、その2っの時間軸で私たちの肝が成立したことを。先ずは認知し認めるところから、物事ごとは始まってきたゆえに「絵も」その線上にしか存在し得ないとも言える。