______我が故郷・小鹿野町方向を見てシャッターをきる。久々に西方浄土=秩父の生命観が強くある・感じる<夕焼け>に気づく。ものの本によると江戸人は秩父の方向(秩父連山に)に夕焼けの陽が沈むのを眺めて<桃源郷の地>が秩父にあると(札所が存在するのもそれに帰依しているという有力な説がある)感じ考えたことは頷ける→聖地として。

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先のブログの関連しての書き込み

◆具象系の画家と抽象系の作家との相違点について

私たち、抽象画家らは具象を通過しての「抽象」への移行であるから、具象を良しとしている画家らが私たち平面作品を「無視したり・差別を平気でする」のはそれだけ狭い領域でしか理解・解釈できていないことそのものに気づいていないに等しい。

_____そのことから、洲之内コレクションやそれを良しとする絵のコレクターらは上記の立ち位置から一歩も全身賞としていない。

その崩壊している概念を見ずして美術そのものが理解している富言えないし。美術史的に言えばその進歩と発展を阻害し・邪魔をしているとも言える。その絡みを体験したものとして、20年、30年後の今日にて具体的な論考の一端を記したまでです。


 

◆<ご予約>いただいた自作品2点の記録撮影する。右の作品は仮マットを付けて額装する予定です。