________アトリエ古都周辺の隣組をはじめ、東町通りの向かい側の商業地の店舗が通常廃業と倒産等※で24店舗なくなったり、多数の更地になったりしております。後に一般住宅としてお住まいになられている所(お勤め人宅として)もある。

 45年前からこの地で営業して今日に至っているのは閉業内容変更したお店を含めて2店舗。そして当方の様に45年以降で、ここ3、4年の起業店舗をプラスしても3店舗あまりで」どこの地方にもある現象が我が地域にても目に見えてわかる。

 また、国や県などの地域起こしの補助金が存在するまでの営業も。打ち切りと同時に廃業となったので」これはこれで結果的には発展性を感じられない。所謂”ぶら下がり”という世論的コメントが聞かれた。

 

※注意:1店舗の地方銀行さんはお近くの他の場所に引越しされた。

 

 そんなこんなで、45年前にこの地にお世話になった頃の「往来の人でごった返している」様は、夢のまた夢の昔話で終わっている。

 

◆特殊性の強い業種の「イチローモルツのカウンターバー」の店とか。開業医とか。はたまた、「当方の様に”骨董屋とか鰻屋とか専門店的に認知されたり・区分に入る老舗や個性的な店舗などが生き残れたのか?!」と自問自答しているところです。

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クロス(廃業)した業種:喫茶店(捺染業)2、クリーニング店、薬局2、タバコ屋、都市銀行、セメント取次店、石灰組合事務所、オーダメードのテーラー、既製服の紳士服店、墨筆の専門店、街の電気屋2、印鑑屋、靴屋、大口金物店、書店、飲み屋約4、5店、自動車販売店、呉服店、非営利的東町コミニティーセンター,健康器具販売/美容室/整体/ヒットネスクラブなど

近くの区画へ移転した業種:地方銀行1

業種を変えたお店1ないし3あり。

 

← このことからも地方都市の商業が世の中の流れからくることか?成り立ちできなくなったのか?。或いは高齢で廃業したのか、後継がいなくてなのかよくわかりませんが疲弊・衰退状態です。

 

◆現在の店舗:開業医、夜祭り用品販売、飲み屋2軒(1軒はイチローモルツの店)と当方のみが営業している。

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◆また、二刀流の私には画家としての収益と骨董屋としての商いなど仕事があったので複合的に助かられたことが実感しております。

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・・・・・・そして、まずは46年目から目的の最終年の55年へ誘いたく思っています。、、そして、廃業後は「非営利的アトリエ」として。

◆器;個人蔵