最初の出会いは銀座一丁目の奥野ビルの地下1階の薄暗い一室の貸ギャラリースペースで発表していた個展でのことで。」、、どことなくマーク・ロスコをも連想させる個に閉じこもったとてつもなく暗く激しい作品であった!____その様な大きな絵を数点がざる形の展示に足が止まった。、、この様に(な)誰も買い求めないであろう?個の世界を観る側をあまりにも慮らない=一種の潔さにも作家としての立ち位置が清らかで心地よくもあった。

 

 遠くの記憶であるが武蔵美ないし多摩美卒と思われる彼も今わ60代後半かとも思われるが」その彼にキュレーター的な仕事で仲間の画家たちを朝日新聞・朝日ギャラリーの「具象と抽象のはざまの先!展」へ推薦。雑司が谷の友人の画廊に紹介したり、或いは秩父生協病院企画の「病院に絵がやってくる・・展」にも推挙したと思うが余りにも遠くの記憶を引き戻して記していているので検証は定かでもないところがあるかもしれない。

 

______そして60歳代半ば〜後半の彼が、ここにきてこれまでの内なる心象の世界から→「考えること、描くこと」のテーマで”外に向かう”幼稚園児が描く様な<へたうまの絵>を描き 内と外 の世界を描いた。、、、これは、ロシア・プーチンのウクライナへの愚行とイスラエル・ネタニヤフのガザへの愚行への外への広がりを主張する1枚の絵が、それさえ感じさせている様に思えてならない。

 

そして、人としても作家としても純粋さを感じさせる彼の絵は、今も無欲な自己検証のその先を描いていた潔く・清らかである。

_______個展のご成功を祈る。

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