こんにちは。

東京都八王子みなみ野七国にあります年中無休の歯科医院

ななくに歯科サポートスタッフ平塚です。

本日は私が院長の投稿を見ての感想を述べます。

 

今日の555!!!(第2916回)

こんな時だからこそ。。。。。

輝く人になりたい!!...
と思うことは誰しも人生のなかで、一度は思うことがあるかもしれません。

光り輝く人
希望を与えてくれる人
勇気をくれる人

僕らの周りには、このような、
人にいろいろな力を与える人が必ずいます。

そして、僕らは、
いつか、自分もそのような人になれれば・・・
と思うわけであります。

でも、
そのようになりたいと思っても、
そう簡単になれないなぁ・・・・と
僕たちは、思ってしまいがち。

それは、なぜかと言えば、
光り続ける難しさや、
光の孤独さを感じたからかもしれません。

あなたが、日々、いろいろな事をとりくんだり、
仕事をしたりすることは、
暗闇の中でたいまつを灯すようなことかもしれません。

たいまつの光は、確かに明るいけれど、
そんなに先まで、明るくなることはありません。

そして、たいまつを持っていること自体が
熱いし
重たいし
大変かもしれません。

先も見えず
持っている自分もつらい。

自分が光となって灯せる範囲も
こんなもんか・・・
と凹むかもしれません。

しかし、みなさんは、知ってらっしゃるでしょうか?

たいまつの灯が、
遠い遠いところにいる人に
見えていることを。

光とは
ほんと、不思議なものであります。

自分が持っているたいまつの灯は、
そんなに広く明るくさせていなくても、
遠く遠くにいる人にその灯の光を届けているという事実に気がついほしいのであります。

太陽と地球の間も暗闇です。
光のぶっとい道があるのではありません。

光を発している自分自身は、
自分の光がどこまで、光っているのか
本当は、わからないのであります。

光になりたい!!
と僕らは思います。

しかし、光になるために、
いざ、光ってみると気が付きます。

想像以上に、
周りが明るくならないことに。

想像以上に
遠くを照らせず暗いことに。

そして、
宇宙の中で、ポツンと存在する
太陽のように
孤独なのであります。

光を見た人とにとっての光
光を発している人にとっての光

それぞれの光の見え方は
とんでもなく、違うのであります。

光になることを憧れた人ほど、
その自分のまわりの暗さに苦しみ悩み孤独を感じるこでしょう。

それはそれは、
先ほど言った暗闇の中で灯す
たいまつのようなもので、
それが、もし、夜の山の闇の中であれば、
数歩先までしか、
灯せないのであります。

でも、その灯は、
今、たいまつを持っているあなたが、見える明るさの範囲の人しか見えないのではなく、
遠く遠く離れた人に、
確実に
光り輝いて見えているのであります。

光は、孤独です。
光は、孤独なのであります。

でも、
本当に光り続ける人は、
この孤独さには、興味もなければ、
孤独だとも思っていません。

たいまつも
太陽も
みんなみんな光っているそのものの人は
光をどこまで届けるかには
興味がないのであります。

光を孤独だと思うのは
あくまで、光を見ている人の立場からの視点。

光を孤独だと思うのは、
あくまで、光に憧れた人の立場の視点。

本物の光の光源は、
ただただ、
周りにお構いなく
燃え盛るもの
なのであります。

光源は、
誰かに見られるために
誰かに見られることを
エネルギーとしているのではなく
今そこにある
燃やすものをもやすこと!!
にしか興味がないのであります。

決して、どこまで、光が届いているかで、
自分がこれからまだ、光るか光らないかを決めていはいません。

本当にもし、
光り輝く人生を歩むことに憧れているのだれば、
光っている灯の範囲を気にするのではなく、
ただただ、
自分のすぐそばにある燃やせるものを
燃やしまくることが、
大切なんでしょうね。

 

(感想)

光を発している自分自身は、
自分の光がどこまで、光っているのか
本当は、わからないのであります。

に共感し選びました。

 
輝いている人は、
自ら、輝こうと思って輝いているのではないだと思います。
その人の前向きな考え方、他人を思いやる心、謙虚な気持ちなど・・・
内面的な美しさがそのように表現されているのかと思います。
 
私の周りにも
なぜか分からないけどキラキラと輝いている人がたくさんいます。
しかし、ずっと輝き続けている人は少ないのかなぁと感じました。
何事も「継続」は難しいものです・・・。
 
周りの人に
勇気や感動、感謝など、愛を与えられる人間であり続けたいと思うからこそ、
まずは自分がどうありたいのかを追求し、日々探求し続ける必要があると感じました。