「手直し詩人」というタイトルを、父が喜ぶかどうかはわかりませんが・・・

 

父は、20代後半から詩誌「詩学」「現代詩手帖」をはじめとし、様々な文学雑誌の類に寄稿・投稿をしていました。

そういうものが溜まっていくと、その中から自分が納得したものを選んで、詩集にまとめるというのが通常です。(ほかの詩人の方は、書き下ろしの詩だけを詩集とする方もいらっしゃるかもしれませんが、その辺は詳しいことはわかりません)

 

父の場合は、同人として参加していた詩誌で発表したのちに、その詩の一部を改め、他の詩誌に収録しなおすということを度々(というより結構頻繁に)していました。以前(9月18日)に書いた「生命は」という詩は、散文から始まり、最終形に至るまで6回も書き直しをしています。

それは、その時々で表現方法は違うものの、その詩に込められた芯の思想がゆるぎないものであり、それを読者にいかに伝えるべきかを試行錯誤した結果であると思います。

 

父は自分が描く詩を、どのようにしたら読む人にストレートに伝わるかを常に考えていました。

ストレートに伝わるということは、決して「ストレートに伝わる言葉」を使うということではなく、その詩を読んで読者に共感をしてもらい、また積極的にその詩の意味を考えてもらうことを目的とした・・・というのか。

そのために、一度発表した詩でも、その詩を大事にして、その詩を十分に熟成させたものを再度発表するという手段を何度もとりました。

 

それがどんなものであったかをご紹介したいと思います。

 

夕焼けという吉野弘の代表詩があります。

詩人としては比較的初期に書かれた詩です。この詩は1958年に「種子」という雑誌で発表しました。

この雑誌の印刷された書面に、父は赤ペンで手直し個所に書き込んでいます。

 

 

 

念のため、最終形としてその後の第2詩集「幻・方法」に収められたものをご紹介しておきます。

 

 

夕焼け

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて―――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。