父吉野弘は、漢字の成り立ちにとても興味を示していました。
そのきっかけは、一曲の歌でした。
1969年頃に、アン真理子さんが歌った「悲しみは駆け足でやってくる」という歌がありました。
一番の出だしは
『明日という字は明るい日と書くのね』
そして2番は
『若いという字は苦しい字に似てるわ』
というものです。
この歌は、誰もが知っていることなんだけれども『確かにそうだよね!』という感動を与えてくれました。
そして父もこの歌の歌詞が気になっていたようです。
ある時、『「辛い」という字は「幸せ」という字に似ているよなぁ』という話を、家族が集まっている場で面白そうに話したことがありました。
偶然が重なったのか、そういう目で見始めると気になって仕方がなかったのか、それからまるで「遊び」のように、漢字の構成に着眼し、それを詩にするようになりました。
第5詩集「北入曽」には、漢字で遊ぶ詩がいくつも収録されています。
その一つをご紹介します。
漢字喜遊曲
母は
舟の一族だろうか。
こころもち傾いているのは
どんな荷物を
積みすぎているせいか。
幸いの中の人知れぬ辛さ
そして時に
辛さを忘れてもいる幸い。
何が満たされて幸いになり
何が足らなくて辛いのか。
舞という字は
無に似ている
舞の織り成すくさぐさの仮象
刻々 無のなかに流れ去り
しかし 幻を置いてゆく。
――かさねて
舞という字は
無に似ている。
舞の姿の多様な変幻
その内側に保たれる軽やかな無心
舞と同じ動きの。
器の中の
哭(こく)。
割れる器の嘆声か
人という名の器のもろさを
哭(な)く声か。
北入曽発刊後、父の漢字フェチは加速していきます(笑)