これまでも、第2詩集「幻方法」については、ちらちらと書いてきたのですが、この詩集について詳しくお話していませんでした。

 

第1詩集は自費出版で、ガリ版刷りというものでしたが、幻方法は活版印刷で、ハードカバーの装丁です。

1959年、飯塚書店からの発行で、現代詩双書の第5冊目として1,000部刊行されたもので、第1詩集「消息」からの採録分16篇を含む38篇から成っています。

     

 

この詩集の中で、もっとも有名になった詩が「夕焼け」です。

この詩も、中学・高校の国語の教科書に採用されたので、教科書に載っていたのを覚えてくださっていた方もたくさんいらっしゃるようですね。

 

この詩は昭和33年に作られた詩ですが、そのころ父はサラリーマンでした。

今ではサラリーマンの勤務時間はまちまちですけど、そのころ(昭和30年代)って、朝の9時から夕方5時までがごく一般的でした。

父は勤務時間が終わると、さっさと帰宅する人でした。

「吉野さんて、毎日きっちり同じ時間に帰ってくる人ね」と、母はお友達から言われたことがあるそうです(笑)

 

話がそれましたが

サラリーマンの父は、毎日地下鉄丸ノ内線を利用して通勤していました。

丸ノ内線は「茗荷谷駅」からその次の「後楽園駅」に行くまで地上を走ります。

勤務が終わって家路につく父が乗る電車が、地上を走っている頃って、ちょうど夕焼けが見られるような時間帯だったんですね。

「夕焼け」の詩の夕焼けは、父が実際に見た景色でした。

そして、年寄りが立ち、若者が椅子に座っている状況も、日常的に見ていたと思われます。

でも、ある時父は見たのです。。。。

 

 

夕焼け

 

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて―――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

 

 

やさしさって何なんだろうと、私はこの詩を読んで考えさせられました。

優しさって、人に対して向けられる気持ちではなく、本当は自分自身の中に「あるもの」なのだと、父の詩で教わりました。

優しさを人に向けるときって、1対1なら普通にできるのに、他の誰もがしないことを大勢の人の前でやるのは

なぜだか気恥しさがあるものですよね。

 

優しい心に責められる・・・私にも似たような経験があります。

人に親切にするのに、どういうわけなんでしょう、勇気がいるんですよね。。。。

そして、恥ずかしさに負けて、結局親切にできなかったことを後悔する。

優しい気持ちはあるはずなのになぁ。。。

 

優しい気持ちに責められるって、そういうことかなと、私はそんなふうに思います。