吉野弘 第1詩集に収められている詩に「奈々子に」という詩があります。

 

 

父の詩は国語の教科書に起用されることがとても多い詩人だと評されていますが、この「奈々子に」という詩が教科書起用の第一号で、昭和41年(1966年)に三省堂から出された中学生用の教科書でした。

実は、私(奈々子)が中学2年生の時、翌年の教科書に採用されることを知りました。家族中で喜んだ(というよりびっくりした)覚えがあります。

喜んだものの・・・・

ふと考えれば

 

もしかして、私が私を題材にした詩のことを学ぶかもしれないのだ

 

それは、ヤバイ💦

 

沢山の同じクラスの友達の中に居て、私はどんな面持ちで授業を受ければよいのだろう・・・・

真剣に考えれば考えるほど、喜ぶ気持ちは焦りにも似た感情に変わっていき、私は自分の中学校で使用している国語の出版社を調べました。違っていました(笑)

 

 

この詩は1955年(私が1歳半頃)に、初めての子どもの寝顔を眺め、愛する娘に向けて綴った詩です。

 

 

奈々子に

 

 

赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そくっり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた

苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは。
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。

 

 

 

私がこの詩をちゃんと意識するようになったのは、教科書に載るとわかった時からでした。それまでは、父のどの詩もあまりちゃんと読んだことがありませんでした。子どもだったし・・・(笑)

それまでは、そんな詩があるな・・・と思っているくらいだったのです。教科書に採用されるほどの詩ってすごいんだなぁと、全く他人事のような気持ちでした。

でも、この詩は読めば読むほど、私自身にとっては理解しがたいものとなりました。疑問がたくさん出てきました。

 

お父さんはおまえに多くを期待しないだろう

子どもに期待しないってどういうことなんだろう?

 

後にじっくりこの詩を読んだときにわかったことです。その言葉の後にも書いてあるように

ひとが  ほかからの期待に応えようとして  どんなに  自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり  知ってしまったから。

 

お父さんは、そういう苦しみを娘には味わってほしくなかったんです。それこそが父親の愛だったのだなと・・・

 

 

お前にあげたいものは  香りのよい健康と  かちとるにむづかしく  はぐくむにむづかしい  自分を愛する心だ

言葉としてはとてもやさしい。

でも、受け止める方の立場としてはとても難しい投げかけをされています。

 

健康であってほしいという気持ちは、容易にわかります。でも

自分を愛する心

っていったい何?????

この言葉は、ずっとずっと私を悩ませてきました。

実際のところ、未だもって自分の中で答えは出ていません。(私はもう60代半ばです)

 

だから、父は但し書きをしたんだと思います

かちとるにむづかしく はぐくむにむづかしいと。

 

 

 

高校生になるあたりから、私はこの詩を遠ざけ始めました。

「奈々子に」という詩は有名になっていきました。

ずっとこの難しい課題を考えたくありませんでした。

 

でも、私が結婚して、第一子が生まれてしばらくした或る夜のこと

やっと寝かしつけた娘の寝顔を眺めていた時、ふとこの詩を思い出しました。

そして、読みだした時、初めて分かったのです。父親の愛が。

暫く涙が止まらず、父に申し訳ないようなそんな気持ちになったのです。

 

多分

この詩を第三者が(一読者として)冷静に読んだとしたら、きっと「親の愛にあふれた良い詩」だと素直にそう思えるのでしょう。

自分に向けて贈られた詩だったから、私には荷が重すぎたのです。

 

多分、私が奈々子でなかったら

詩の中の言葉の一つ一つを、もっと冷静に穏やかに受け止められたのではないか

 

とはいえ、未だに

私は、父から与えられた、深い愛に満ちた言葉の一つ一つを受け止めきれずにいるのではないかと

不安になることがあります。

 

でもやっぱり

愛する娘に一生の課題を与えてくれた父は

偉大な父だと

思っています。