これほど悲しく切なく、そして愛おしい映画があるだろうか。この映画を見終わった感想だ。
30歳の父親(離婚している)と11歳の娘が久しぶりに会い、トルコへ一週間のバカンスに出かける。地中海の眩しい日差し。ビリヤードに興じ、プールで水球を楽しむ。プールサイドで娘に日焼け止めローション(アフターサン)を塗ってやる父親。
ただそれだけのストーリーだ。退屈な映画だと捉える人もいるだろう。
しかしこの物語には父親の死への願望が色濃くある。それに気づけばトーンは一変する。
バカンス中に31歳になった父。ソフィは観光地にいた何組もの観光客に声をかけて父へのバースデーソングをみんなで歌ってくれるように頼む。
皆が歌う生(せい)の讃歌の中で父は困惑している表情を見せる。それは死のベクトルへ向かおうとする者の困惑だ。
その夜、父の裸の背中のアップ。彼はむせび泣く。傍にはソフィに宛てたカード。
「ソフィ、君を愛している。そのことは忘れないで」
ソフィを愛していても希死念慮がそれを上回る。
おそらく父親は鬱病だろう。
父にとってソフィと会うのがこれで最後だということがわかっていた。
夜の屋外パーティーでデビット・ボウイとフレディ・マーキュリーの「アンダープレッシャー」がかかっている。父はソフィに踊ろうよ、と誘うがソフィは拒否する。彼は一人で踊るが、無理をして陽気に振る舞っているように思える。
望まない圧力が僕たちをを苦しめる
圧力の下でビルは焼け落ち
家族は引き裂かれ
人々は路上に取り残される
この世界の真実を知った時
善良な友たちが叫ぶ
「ここから出してくれ」と
愛にもう一度チャンスを与えてみたら?
愛という言葉がありきたりになってしまった時代だから
これは僕たちの最後のダンス
(under presser)
歌の途中、父はソフィと強引にダンスをするのだが、父と同じ年齢になったソフィが父を抱きしめるシーンが出てくる。
父の苦悩は11歳の時のソフィにはわからなかった。でも今ならわかる。だからこそわかってあげられなかったという後悔。大好きだった父。父も娘を愛していたのに。
20年後、父親と同じ年齢になった娘のソフィが父と過ごしたビデオを観ている。ベッドの下には父が買ってくれたペルシャ絨毯が敷いてある。高価なものだった。ソフィへの最後の贈り物だったのだろう。あることでソフィが「お金ないくせに」と言うが、絨毯は保険金で支払われたのではないか。
最後の空港での別れ。父が撮影する粗い画像の中で笑顔のソフィは何度も手を振る。別れを惜しむソフィ。
ソフィは画面から消え、自室でビデオを観ている20年後のソフィ。そして画面はビデオ撮影をしている父親に切り替わる。ビデオをしまい、出口へ歩いていく。
ロングショットのカメラワークでわれわれは父親がドアを開けた暗闇に一瞬明滅するストロボライトを見る。それは断片的に挿入されたレイブで踊る父の姿を想起させる。踊る父を見つめるソフィ。その映像が頻繁に出てくるというのは父への思慕がそれだけ強いとも言える。
これも後悔が生んだ彼女の願望なのだろう。
バカンスはどうだった?と父に聞かれたソフィは言う。「ずっといたい。でも一生は無理だよね」
その言葉を聞いた父は嬉しかっただろう。娘に残せたものは高価な絨毯だけではなかった。
同時に思ったはずだ。「ソフィ、一生は無理だ」と。
自分自身の娘のことや子どもを残して自死したカート・コバーンを思い出さずにはいられない。
ソフィ役の彼女は完成した映画を観て「何でこんな悲しい映画を作ったの」と女性監督に泣いて言ったらしい。監督も10代の頃、父を亡くしていた。
常にこの映画のことを考えている自分がいる。一度観たら胸の深い場所に刺さって頭から離れないのだ。
冒頭にソフィが言う。
「同じ空を見るってステキ。例えば遊び時間に空を見上げて太陽が見えたらパパも太陽を見てると思える。同じ場所にいないし、離ればなれだけどそばにいるのと同じ。だからそうやって私たちが同じ空の下にいるなら一緒にいるのと同じ」
