O先生の師匠、中国の先生にどのように 氣を教わったのかは、詳しくお聞きしていないのですが、
ひとつ よく言われるのが、中国での修行中、みんなで道場を出る時に、奥の方で灯っていた蝋燭🕯️を消すのを忘れた事に気付いた中国の先生が、
消しに行こうとした弟子を止めて、手を蝋燭🕯️に向けると 一瞬で蝋燭🕯️の火が消えてしまったという話!
O先生
「中国の師匠にどうやったのか聞いたけど、そんな見世物のような気は、必要無いと言われて教えてくれなかったんよ!」
治療が目的だった O先生には会得すら必要がないと判断されたらしい。
教えて欲しかったわ😆
(中国での氣の修行の事、もっとお聞きすべきですね)
それからは、O先生、なんと再婚される!
しかも、中国の先生の孫、中国からついて来たと言われた。
その女性との歳の差ははっきりとは聞いてませんが、20歳以上離れていたと思われる。
中国人妻と、中華料理のお店を開店。時系列は定かではありませんが、日本の氣功師の元にも入門。座学や細かい治療の方法を習われたよう。
その氣功師の学校で、講師をやってほしいと言われるが、金満主義的な学校運営が嫌だったので断り。氣功は後回しになられたようです。
時代はバブル時代に突入し、携帯電話ショップ、ビリヤード場など、数々の事業を経営される。
中国人妻が大金を中国の家族に送金している事実が発覚。離婚に至る。そしてバブル崩壊。次々と事業を廃止。
ここからは、想像もあるのですが、裸一貫で氣功整体をしようと立ち上がられる。
いろいろな氣を学んだ中から、“氣療術“と名付けた、氣功整体を確立される。
氣功整体をアパートで開始されるが、患者さんは全然来られない。そこで、夜間の代行(車)のバイトを始める。
代行で乗せたお客さんに氣功整体の案内をしているとある日、ある看護師さんに出会う。
その、看護師さんの施術をきっかけにO先生はブレイクする。
次々に患者さんを紹介されて、毎日忙しく施術をされる。そんな時に、私もO先生の施術を受けさせていただく、チャンスをゲット。
出張施術をたくさんされている中で、津山まで来られていて、縁あって幸いにも巡り会えた。
それから、毎月1回施術を受けさせていただけた。
1年程経った時、先生がお弟子さんを連れて施術にやって来た。氣療術に入門という選択が出来る事を知る。
O先生、その頃、3回目の結婚をされた。確か、先生68歳、奥様52歳くらい。
その女性との馴れ初めは詳しくお聞きしていないが、先生に献身的な女性で、先生の生活はここから全て奥様がされる。
入門した私と友人が、連続で3日間、朝から晩まで先生のアパートに通い氣療術を習った時、昼ごはんは全て手作りでもてなして下さった。
その時、入会金30万円!
後にも先にもO先生に授業料として支払ったのは、この30万円だけ!あれから10年以上毎月1回、勉強会を開催してくださり、
奥様は、お茶とおやつを出してくださった。
全て無償。
勉強会の仲間も増え、共に学ぶ喜びも、与えてくださり、O先生は、施術をたくさんこなしながら、たくさんの事を教えてくださいました。
その間、O先生に、何度も試練が与えられてしまいました。
ある時は、階段から落ち、腰付近を骨折。
また、ある時は脳梗塞で入院。
その度にご自分でなんとかなるという凄く強い心で乗り越えてこられました。脳梗塞の後遺症もなく、また、施術でお忙しい毎日に。
しかし、世の中、全てストップしてしまった、“コロナ禍“で、勉強会も中止となり 3年間は交流がほとんど無い時間を過ごしたのです。
今、また先生はご病気と向き合いながら、施術をされている毎日。少しでも先生のお力を吸収するように、氣療術を残して行けるようにと思う毎日です。
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