氣療術の師匠、O先生は、どうやって氣療術を身につけたのか?
氣療術の生みの親、O先生の人生はお聞きするだけで壮絶です!
O先生は、岡山県のとある村の神社の神主さんの息子として生まれ、神社の跡取りだったようです。
しかし、先生は神主さんにならず、違う道を歩いていらっしゃった!
波瀾万丈!
大学生だった時付き合っていた彼女さんと別れ、数年後再開すると、なんと彼女は先生のお子さんを産んでいた!
それを知った先生は、その彼女とご結婚される。
仕事もいろいろされたようです。
バスの運転手をされていた時、自家用車で帰宅途中、自動車事故に遭ってしまった!
その事故の前なのか、後なのかしっかりお聞きしてはいませんが、事故とは関係なく奥さんが急死された!
腰の骨を折ってしまい、車椅子生活になってしまわれた先生が、病院を退院して自宅に戻った時、救いの手が偶然あらわれた!
娘さんの友達のお父さんが、遊びにきていた友達を迎えに自宅に来られて、「大阪の方の“氣功師“さんが凄いらしい」と教えてくださった!
病院では、もう車椅子生活👩🦽するしかないと医者から言われていたO先生ですが、
「脚は2本あるじゃないか、歩けない筈はない!」と医者の話は聞かず、すぐにその紹介してくれた“氣功師“さんの施術を受けに行かれた!
もちろん、すぐ歩けるようになったわけではなく、ただ、施術を受けると凄くいい気持ちになり、これは絶対にいいと確信されたらしい!
それから、先生は氣功に関する本を買いあさり、来る日も来る日も読みまくった!
そして、東京の方の先生に行き当たる!
中国から来られていた先生だった!
その、氣功の道場に車椅子で出向くと、部屋には弟子達が数人いて、本を読んでいたり、寝転んでいたり、休憩時間なんだと思って待っていた!
しかし、それが氣功の修行をしていたんだと後で知る事となった!
しばらくして、その中国からの先生が、中国に帰られたからか、車椅子で中国に毎月通うという生活が始まったそうです!
中国の先生から言われたのは、
「歩きたいのか?絶対、最後まで、歩けるまで諦めないか?途中で諦めるんだったら最初からやらない方がいい!諦めたら、そこからまたやり直しになってしまう!やるのか?」
だったそうで、
それから、中国語の通訳を雇い、車椅子を押してもらって、行くと1週間程滞在!
最初は、大きな川の中洲に歩けないO先生を連れて行き、夜を過ごさせるという修行🧘🏼
歩いて逃げるわけにも行かず、ただただ、恐怖との戦い!
漆黒の闇、獣の鳴き声、水の音、一睡も出来ずにやっと朝になる!
何日かその修行🧘🏼を行うと、その状況に慣れ、
中国の先生が、
「何が見えた?」と聞かれた時、
O先生
「満点の星空が見えました」と答えられた!
それは、氣を自分のものに出来た瞬間だったようです!
しかし、歩くという大きな目標にはまだまだ遠く、聞けば10年以上、毎月の中国通いを実践されたとか!
10年程経った日!
ほんの1、2歩 歩けるようになり、車椅子生活も解消され、中国の先生が亡くなり、中国通いは終わったのでした!
〜続く
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