「キラキラする」とは「輝く」事という事を書いてみる。
今の時代 男性も女性も本来の「キラキラする」と「輝く」を間違う事がある。
僕はお会いした人に「キラキラしなくていいよ」
という事がある。
大人はキラキラしなくていい。
キラキラするのは20歳までだ。
キラキラとはどうゆう事かというと
例えば高校球児
まだ大人として未熟な人間が一生懸命頑張ってる姿。
野球というものに打ち込み汗にまみれ一生懸命な姿。
それを本人ではなく他人が見た時にキラキラしてるという。
これは輝いてるともいえる。
例えば新社会人
新しい会社に行くその希望に溢れる姿。
何かに取り組み 前向きな一生懸命な姿。
それを本人ではなく他人が見た時にキラキラしてるという。
これは輝いてるともいえる。
現代人が輝いてる姿をキャッチーにつけた呼び方をキラキラという。
間違ってはいけないのが
まだ大人として未熟な人間が一生懸命頑張ってる姿。
という事。
大人は出来て当たり前。やれて当たり前。
だという事だ。
なのに
輝きを忘れ 見た目だけのキラキラのみを身に纏おうとする。
現代人のキラキラは内面からの滲み出るものではなく
まとうだけの輝きを手に入れたがる。
それでは人は輝かない。
人の輝きはそう簡単に手に入る物ではないし
そう簡単に解るものではない。
本来の人から感じ取る表現を
現代人のキラキラという表現で言うならば
内面から滲み出るものがその人なりの輝きという事だ。
外見で見た目の姿を美しくするというのを否定してる訳ではない。
その人なりの
髪型・メイク・ファッション・スタイル・シルエット
など
勿論 大切な事でもある。
小学校1年生が大きなランドセルを背負い新しい制服を着てる姿。
可愛らしい。
や
人は服に着られてる。
と表現する。
それは幼い人間が社会や大人へ近づく姿。
自分の身に纏う物で大切なのは「その人となり」だ。
その人の個性が大切だ。
その人の自分らしい個性は外見に溢れ出る。
ただキラキラしたいが為にするその行為は
物に合わせ 人に合わせ生きる姿では 本来とは違うキラキラになってしまう。
そんな人は心理的に自分は輝いてない。
と心理で思ってる。
自分が輝いてると知ってる人は 無意味に自分から輝こうとはしない。
それは 自分が輝いてるから。
自分自身が輝く生き方。
内面から滲み出る美しさ。
魂レベルで自分を磨かなければ輝きにすらならない。
大人は輝き。
キラキラしてる自分が居たり
キラキラしてる自分に気付いたら
「まだまだ未熟だ。。。」
と思わなければならない。
大人は輝き。
人としての人間味。人としての人間力。
自分を生きる上で
経験をつみ
枠を外し
自分の可能性を信じ
昨日の自分を超え
魂を磨き
魂レベルで自分の内面から輝く事。
とても大切な事だと思います。
そしてそう在る姿である事は
等の本人は輝いてるとすら思ってない。
そんな大人の僕らが当たり前で普通の事。
そんな姿を持ち生きる人が増えたら良いと思う。
katsu
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