結局のところ、家までついてきてしまったいち子ちゃんは

何をするでもなく

毎日、家のなかでのびのびと生活していました。

 

近くを散歩したり、壁の中にすっと消えていったり、

電化製品をイジって扇風機を勝手につけたり

電気のスイッチを触って私の家族たちを驚かせたり、

アイロンの電源を切っているのにあっちんちんにしてみたり

壁に子供の手跡を付けて驚かせてみたり、

夜中にケンケンパする音でし起こしてみたり、

甘えてきたと思ったら悪態を付いてきたり、

寝ているところを踏みつけてきたり、

お茶を要求してきたり。

 

私のように見ることのできない旦那さんやほかの人たちも、いち子ちゃんの存在を疑うことができなっていきました。

 

でも、それも、私にはどっちでもいいことでした。

特別、人に言う事でもないくらいの、ごく日常のことでした。

 

だけど、社会とのつながりに関する変化は目に見えて起きてきました。

旅から帰ってからすぐに旦那さんの病気も良くなり、仕事も決まり、私や私の両親・弟、、、、身近な人たちにいろいろな奇跡が起き始めました。

内容は個人的なことすぎるので差し控えさせていただきます。

いち子ちゃんがいうことが現実化したり、奇跡としか言えないことが起き始めました。

 

最初は、いち子ちゃんの言う言葉を、戯言としか思っていなかった私でしたが、そうも思えなくなりました。

見えない存在は、人ではないから意味不明なことや戯言のようなよくわからないことをよく言うからです。

彼らの世界観の中では当たり前の内容でも、その表現方法は私たち人間には理解しにくいことは多いです。

それを全部理解するのは多分不可能だし、ナゼばかり追いかけると地に足をつけてられなくなるので

私はわからないことはわからないまま置いておくことが上手になりました。

おかげでいつも、頭の中にある「わからない」ものを保留する棚はいっぱいでした。

だからといって生きていくのに困ることは何もありません。

知的好奇心を満たすには、範囲が広く、膨大すぎるのもわかっていました。

 

私はとにかく、スピリチュアルというか、

見えない世界のことで足が浮いているような状態になることだけは避けたいと、ひどくこだわっていました。

きっと、自分の感覚は言ってもわかってもらえるはずがないし、表現するべきではないと思い込んで、勝手に決めていたからだと思います。

 

奇跡は今までにもたくさん経験してきたほうだと思います。

だけど、今回の様々なありえないような奇跡たちは、この「いち子ちゃん」が運んできてくれたんだと思いました。

座敷わらしは福を運んでくると聞いたことがありましたが、私たちの心の豊かさをこんなに運んできてくれる存在だとは夢にも思いませんでした。

 

私は、見えない存在にお礼や誓い・契約などをする必要はないことは知っていましたが、今回だけはいち子ちゃんに心からありがとうと言わずにはいられませんでした。

なにか、したいことはある?と聞いたとき、

 

いちこちゃんは

 

「日記を書いてみたい」

そう言いました。

 

自動書記で日記を書く事くらい、私には対して大変なことでもなかったので、快諾しました。

 

これも、私にとっては、特別なことでもなければ、わざわざ声を大にして人様にいうようなことでもありませんでした。

全部が普通で、当たり前だったからです。

 

ペンネームは 「とおの いち子」にするといち子ちゃんは言ったので、私は苦笑いをしたのをはっきり覚えています。

 

そこから、

この、「いち子ちゃんの日記」がはじまりました。