こんにちは!

 

ご供養ってエネルギーを扱うハイテク技術!?

 

今日のは

すんごい題名ですが

ちょっと思ったことを書いてみたいと思います

 

 

 

その前に

 

 

 

今日のインスタライブで

サイパンで起きた

祝詞のイリュージョンした

不思議なお話をしていますチュー

 

 

 

メインは

 

仏式と神式の役割分担!?

 

三重県紀宝町神内にある

 

神内神社の虫送りの例と

 

サイパンでのご供養での出来事を通して

 

私なりに感じるところを

 

お話してますニコニコ

 

 

 

 

女性神職ちはやちゃんとのインスタライブはこちら

 

 

 

サイパンのご供養では

たくさんのお供物をご用意して

最後は海におにぎりやお菓子などをお流しするんですが

 

 

崖から海に向かっておにぎりを一口大にちぎって投げた時

兵隊さんたちが

野球のキャッチャーみたいに

めっちゃ上手にキャッチしにきてくれてましたポーンびっくりマーク

 

私のおにぎり、ちゃんとキャッチしてくれるかな!?ってドキドキ笑

 

 

ご供養は何日にもわたって

色々な場所で行われたのですが

 

 

最初に会った時には

まだまだ傷だらけに見えた兵隊さんたちが

 

最後の日に行った

千燈供養では

 

すっかり傷が治ってたり

 

 

ガリガリで目が窪んでいた兵隊さんが

 

ちょっとふっくらしたりして

 

背筋シャキッとされてお姿を見ることができました

 

 

 

衣服もボロボロだったのに

 

最後は新品のようなパリッとした軍服に身を包んで

 

たくさんのロウソクの煙の揺らぎとともに

ゆっくりと空に昇っていって

 

つぶつぶになって

最後は波になって

帰っていかれました

 

 

 

 

いろんな考え方があると思うので

あくまで私の見えた見え方と

私なりの考察になりますが

 

 

 

 

「これで、ようやく…靖国にいける」

 

といって涙を拭いて

丸い眼鏡掛け直しておられる方に会って

(見えない人です)

 

亡くなっても

 

すぐに靖国に行けない方もいらっしゃるんだなぁと思いました

 

 

 

 

日本には古くから魂魄(こんぱく)という考え方があります

 

 

元は中国の道教や伝統中国医学における霊についての概念でもあるそうですが

 

私は日本にもこの根本となる考えはあったのではないかと考えています

 

 

魂は精神を支える気

魄は肉体を支える気

 

と言われています

 

 

私の見たり感じている世界観を表現するときに

 

この考え方を応用して解釈しているところがあるので

 

少しだけ

紹介させていただこうと思います

 

 

 

 

 

私は、この世の生きとし生けるもののたましいと呼ばれる生命の根源的エネルギー

大きく二つに分けられると感じてます。

 

 

 

一つは

宇宙からこの肉体に憑依させていただいているエネルギーの源泉であり本質。

 

大宇宙からやってきて、この星で肉体を持って様々な体験をしにきているエネルギーは

いわゆる「たましい」とカテゴライズされているもので

私たちの本質だと思っています。

ここではわかりやすいように、と分類してみます

 

もう一つは

この星由来の肉体に宿るエネルギーの源泉であり本質。

先祖代々の情報もこちらに多くある。

 

この、もう一つの星由来の肉体ネルギーは、

体に宿っていて、肉体が滅びると、肉体が感じたポジティブな感情もネガティブな感情も全て経験という記録として

この星に還っていくと思っています。

これを、ここではわかりやすいように魂魄のと分類します

 

つまり、魂魄両方とも、自分自身。です。

 

 

死という儀礼を伴って肉体のと分離して

宇宙に旅立っていきます。

 

 

 

これを

表現によっては

 

生まれ変わるとか

輪廻する

神様になる

と表現できるかもしれません。

 

 

 

つまり

は不滅で

次の世界や人生・次元を旅しつづけます。

 

 

 

肉体が滅びるとともにこの星に還りますが

そのときに

ネガティブな感覚や情報を大地に持って還るので

場合によっては

地球がとっても重たい波動になります。

地球も生き物なので、多分、今は色々と困っています。

 

 

 

これを軽やかなものに昇華したり

オセロの黒を白にひっくり返すように

ネガティブエネルギーをポジティブに転換することができる方法の一つが

エネルギー領域でさえ変容させることのできるハイテク技術である

ご供養と呼ばれているシステムなのではなかと思います。

 

 

 

だから、私は、

自分がこの世をさるときは

 

魂は軽やかに次へと進んでいけるけれど

 

大地に帰った魄が

 

地球自体にネガティブ想念や重たいもので

 

負担をかけるようなことは

 

できるだけしたくないなぁ〜と

 

思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

ご供養をしようと思うと

 

その対象である方々の

 

どんな思いをされたのかに思いを馳せたり

 

共感したり

 

昇華した先には

その魄であったった遍満するエネルギー体ともに

今度は我々が一緒に生きて歩んでいくという気持ちがあると

 

変化が大きいように感じます。

ここが大事なのかなと。

 

 

 

だから

 

戦争で苦しい目をした兵隊さんたちや

関わった人々の歴史を知り

 

思いを馳せ

 

お腹が空いていて苦しんでいれば

 

時空を超えてご飯を食べていただくために

 

お供物を用意させていただいて食べていただく

 

という行為は

 

きちんと

その方々の魄に届くのだと思いました。

そして、生まれ変わっているかもしれない魂にさえ、何らかのポジティブな影響が届くのかもしれません。

 

 

 

今回

湯の山観音精舎さんの心照会の皆様

サイパンにご一緒させていただきました。

 

 

早朝から30人で大量のお供物をご準備することから始まり

法要を行い弔いの儀式に参加させていただきました。

 

 

英霊方やその地で戦争に関わった方々の魄に残る強烈な苦しみを

 

過去現在未来という時空を超えて

 

「今」

 

ご供養させていただくことで

 

不思議と現在に生きる私たちの肉体に宿る魄が

 

その方々のエネルギーと美しく共鳴しているような力強さを感じました。

それぞれの方々の魄が、本来の力を取り戻す後押しをしてくださっているというか・・・

 

 

 

 

だからご供養は

 

苦しい思いをされた英霊さんたちの為というだけではなく

 

自分自身の為でもあるのだとわかりました

 

 

 

英霊さんたちは、

 

直接血の繋がったご先祖様ではありませんでしたが

 

この星由来の魄を通して共鳴する

 

兄弟姉妹であり共同体であり、仲間なのだと思いました。

 

 

 

 

 

 

小難しいことを言語化してみましたが

 

私の一番の感想としては

 

シンプルに

 

ご供養に参加されている方々に

 

ありがとうありがとうと言いながら

 

おにぎりを片手にお酒を飲んでいる兵隊さんの姿が見れたことが

 

単純に

 

めちゃくちゃ嬉しかったです!

 

 

 

 

 

 

AI技術が発展し

これからは

自分が特別何かできることで優劣をつけることができない時代が

もうじきやってくると思います。

 

 

AIがほとんどのことはやってくれるわけなので

 

そうなったときに

 

「自分は何をすることで誰かの役にたつか」

 

ということが

 

問われるようになると思います。

 

 

 

 

なぜなら、人は、誰かに喜んでもらったり

役に立てた時でないと本当の幸せを感じることができない仕組みになっているからです。

 

※ 犠牲とは違いますよ

 

 

 

お師僧さんが、

「利他こそが何より大事で

ご先祖供養や戦没者供養は最大の利他業だと思います」

とおっしゃっていました。



どういうことなのかなぁって、なんとなくわかる気がするけど掴みきれなくて

ずっと考えてました


そこでおもったのは

 

 

 

ご供養は

 

先祖の為でも戦没者の為でもなく

 

この肉体をお借りして

この星で生きさせていただき経験させていただいている私たちの(本質)の入れ物である輝く事に繋がるわけですから

 

本当の意味では

自分のためなんだなと思いました

 

 

 

 

その

「自分の為」

フラクタル状に世界や見えないエネルギーの世界に広がり

多次元構造立体の曼荼羅のようにつながって広がっていくような気がしました。

 

 

 

 

 

そして

 

が輝き

 

本来の自分らしさを発揮できるようになると

 

そのときには

 

英霊さんも、ご先祖様

 

ご先祖様のうんと先にいらっしゃる神様たちも

 

地球も、大地も、宇宙さえも

 

みんなが共鳴した

 

新しい創造的な世界が待っているのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ものすごく壮大なお話になってきちゃいましたがw

 

 

 

 

 

 

結局

 

私たちは大自然の一部で

 

地球や大自然が神様そのものなら

 

私たちの本質は

 

本当に

 

神様や仏様、なのかもしれませんね

 

 

 

「やっと靖国に帰れる…」

 

とおっしゃっていた眼鏡の英霊さんの

すでにもう靖国に寄っていろんな約束を果たされた後

 

次の世界へと旅立たれていたかもしれないけれど

 

肉体の

サイパンの地に残っていたという事なのかな、と思いました。

 

 

 

まだまだこの地に残る方々の魄がたくさんいると思いました

 

兵隊さんも

民間人だったであろう子供やご老人、女性

 

まだまだ傷ついた状態の方々が

たくさんいらっしゃいました。

 

 

 

きっと

 

一度のご供養で

 

一網打尽のように終わるというような

 

そんな簡単なものではないわけですね。

 

当たり前ですよね。

 

 

 

 

だから

これからも

できる限り

私もみなさんと一緒にご供養にサイパンへ行きたいなと思いました。

 

 

こういったところに行きたいなぁと思われる日本人が少しずつ増えていくと

もっともっと

世界が良くなることが

早くなるんじゃないかなぁ

 

なぁんて

 

一回しかまだいってないのに

厚かましくも思っちゃいましたウインク

 

 


 

 

この世界が良くなるといいなぁ。

 

 

 

 

 

って、、、、驚き

 

 

そんなこと

私じゃなくたって

 

みーんな思ってますよね(笑)

w

 

 

今回も長文読んでいただきありがとうございました

 

 

月地史乃でした

 

 

弥栄

 

 

 

 

こんにちは!月地史乃です

 

この度

 

三重県菰野にある

真言宗寺院

湯の山観音精舎さんの中の

心照会の皆さんたちとともに

 

サイパン戦没者供養(慰霊)に行かせていただきました!

 

心照会さんは

40年以上にわたり

サイパンの戦没者供養をされてきたそうです。

 

 

その功績と実績から

中西住職さんが

サイパン政府観光局より

サイパン観光親善大使を授与されました

 

その授与式にも参加させていただきましたニコニコ

 

私は、いつの頃からか

戦争や英霊の方々に

とてもとても興味を持つようになりました。

 

小・中学生の頃は、戦争ものの歴史や映画は苦手すぎて

それを見たら数日心が不調ないくらいでしたガーン

 

 

 

火垂るの墓、ひめゆりの塔、、、

テレビをつけたらやってましたよね、夏w

 

 

 

 

私が小学校の時の歴史の授業で

 

日本人が外国の人々を大虐殺をしたとか

アジアをせめて領土拡大をして悪いことをしたんだとか

天皇陛下は人間なのに神だと言っていたとか

天皇陛下のために死ななきゃいけない洗脳されてたのだとか

神風特攻隊の愚かさや命の軽視

日本兵や日本の愚かさ

 

たくさん

きいた気がします。うる覚えですが

 

 

これらも、きっと歴史の一場面としての出来事としては

事実存在したかもしれません。

 

なかったと思っているわけでは決してありません

 

 

けれど

これだけだと日本人としての罪悪感ばかりが助長され

 

日本が何故戦争をしなければならなくなったのか

なぜ天皇陛下万歳という言葉があったのか

なぜ無謀だと言われる玉砕戦をしなければならなかったのか

日本人とは何なのか

 

など

 

全貌を知ることはできません。

 

 

 

何事も

バランスは

大事だと思うのです。

 

 

 

私たち戦後の教育を受けて育った人々は

ある意味では非常に偏った教育を受けてきていると言えます。

 

 

GHQの占領下において

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)というものがあります。

気になる方はググってみてくださいね

 

 

簡単にいうと、

強敵だった日本人が二度と立ち上がれないように

自虐史観により日本人としてのストーリーや誇り・自信を失い

骨抜きにするプログラムです。

 

 

これがひどいことかというと

勝った側からすれば、戦った相手の力の源泉であるものを奪い失わせることは

普通に考えて、打つ手であったのは間違いないのかもしれません。

 

 

 

この教育を受けてきた

実際その後どうなったか??

 

 

 

 

日本の伝統文化・神話には一切興味はなく

意味がわからなくても「天皇=象徴」とかければテストで点が取れて

政治経済は他人事

どうせ政治家が悪いんだから選挙に行ったって意味がないし

できれば日本を捨てて海外で活躍したい

海外こそ優れていて

日本は劣っている

経済は発展しているかもしれないけれど

私の国籍である日本は世界から見たら賠償請求ばかりされてるATMみたいな国

 

そんなふうに思っていました。

 

誇りなんて一ミリもありません

興味もないんですから。

 

 

 

ある意味

War Guilt Information Programの狙い通り

自国にも自分にも誇りの持つことができない人間だったかもしれません。

 

 

 

 

そんな私が戦争や本当の歴史に興味を持ったのは

小学校の養護教諭として働いていた時でした

 

 

私の勤務していた学校は小さな学校だったので

空き時間があれば授業に参加してもいいよという自由がありました。

 

そこで

子供達と一緒に歴史の授業を聞き直した時に

強烈な違和感とともに

私が受けてきた内容とは何かが大きく違う気がしました

 

私が小学生の時に授業をされていた先生は当時六十歳前。

つまり日本本土空襲でとても怖い思いをしたことのある年代の先生でした。

 

のちにいろいろ学びを進める中で、

年代によって、戦争の受け止め方に違いがあることがわかりました。

 

 

この先生の年代の方は、戦前は戦争のための教育が盛んな時期を過ごされています。

日本には国史という科目がありました

戦後この科目はなくなり、歴史の授業となりました

戦争が激化する頃の国史の教科書には、軍部が戦争を後押しするような解釈をした神話なども載っていると感じました。

(国史教科書を個人的に見比べて)

 

 

国史教科書も、戦争が激化し始める前と後では内容が異なります。

戦争の色の濃い教科書を使っていた状態から

敗戦に伴い、教科書は黒塗りになり

内容が大幅に書き換わりました

 

 

 

この歴史の先生は、まさにこの時代を生きられた方で

幼少期に空襲などで恐ろしい目にあった経験を持ち

今までの常識はほとんどが覆った動乱の時代を生き抜いた年代の方です。

当時多感な子供時代を過ごされたであろう先生は、戦争に対する怒りや理不尽さへの憤りもそういったところから強くおありの方だったのかもしれません。

何が本当で何が大事なことなのか何を信じていいのか

全てが無残に崩れ去る経験の中で、潜在意識レベルで大きく混乱されながらもどうにか折り合いをつけられてきたのではないかと思います。

そのため、この先生からは、

これらの状況を背景にした絵も言われぬ深い憤りが授業の中から伝わってきていたのを

当時私は、小学生なり感じていたのだと思います。

 

 

 

 

のちにわかったことですが

この先生の年代の方と、実際に戦地に赴かれた方々の世代とも

価値観は変わるようです。

それは、長くなるのでまた今度。

 

 

 

随分脱線しました。

話を、私が大人になってから聞いた歴史授業の場面に戻します

 

何が言いたいかというと

 

私が小学生の時に受けた授業の内容と、養護教諭をしている時に聞いた歴史の授業の内容とも色々変更がある上に

教壇に立ち先生から放たれるエネルギーもまるで違ったわけです。

その時に教壇に立っておられた先生は40代で戦争経験はもちろんありません。

 

 

同じ日本で、十数年前に受けた歴史の授業を聞いているはずなのに

私にはまるで別物でした。

 

 

授業や教育って

一体なんだろうと思いました。

 

 

 

 

直感的に

私はあまりに知らなすぎる

という結論にたどり着きました。

 

歴史のこと、戦争のこと、日本のこと

先祖のこと

そして

私自身のこと。

 

 

 

結局、過去と今と未来は一本の線上にあり

今を生きるならば過去も自分の一部であると思いました。

 

 

急に

知らないことへの恐怖心が湧いてきました。

 

 

色々知りたい

 

 

私のような大人に、この子(生徒)たちがなってはいけない

そう強く思いました。

 

 

そう思った時、職員室の私の席の隣にいたM先生

歴史について断片的に語ってくれました

 

ここでは書ききれませんが

もちろん聞いたこともないような歴史的事実ばかりで驚きました

 

 

M先生の授業は、和歌や短歌などが散りばめられていて

そのリズムや音、和歌の持つ無色透明の深い空気感を感じることがあり

驚きの連続でした

 

そういった

昔々の日本で大切にされてきたことを

きちんと伝えていかないといけないということを、よく理解されておられる方でした。

 

 

M先生は、歴史についても

なぜ戦争をしたのか、避けられなかったのか、何があったのか

について自分なりに本を読まれたりお勉強をされていると聞きました。

 

 

勉強は、こうやってするものなのだ、と

M先生のお姿から教えてもらい

自分なりに調べるようになりました

 

 

 

 

 

その後、

自分の足で現地に行かなければわからないこともあると思い

 

鹿児島特攻隊基地の知覧

ハワイのパールハーバー

沖縄

パラオのペリリュー島

 

など

 

に足を運びました

 

 

 

 

私の場合

その現地で英霊の方に直接お話をして

多くのことを教えていただいたり

叱咤激励されたりしました

 

中には、

生きることへのど真ん中の質問を投げかけられることも少なくなく

ドキっとする、を通り越して

凍りつくような思いで人生を考えさせられることもありました

 

 

そんな中で感じる

彼ら英霊の方々の中にある大和魂

 

 

これに心が揺さぶられました。

私の中にもかすかにある何かだ

そんな気がしました。

 

 

もちろん、戦争を肯定するつもりも、

英霊の方のことを軽々しく賛美するつもりもありません。

 

戦争ですから、いろんなことがあったことでしょう。

悲しいほど非道なことも、あったと思います。

 

 

 

けれど、

私たちが今この戦後の教育で忘れてしまった大切な何かの断片が

戦争や歴史を学び、そのエネルギーに触れることで

取り戻せたり大きく開くことがあるのではないかと

 

そう、思います。

 

 

だからこそ、戦争のことから意識をそらすことができない自分がいたのかもしれないと

最近は思います。

 

 

戦争はしてはいけないし

そこで亡くされたお一人お一人の命の物語を

なかったことにしてはいけないと思います。

 

 

 

文章で書くと怪しさ満点かもしれませんが

 

日本を愛し

これからも我が国が益々栄えていくためにつくすことは

本来幸せなことなのかもしれません。

 

 

 

もちろん、命を投げ打つとかそういうことではありませんが

 

私たちの一部とも言える私たちの先祖や先輩方がずっとそうやってきたように

大和魂を大事にして日本の伝統文化・言葉・風習習俗の中で

世界平和に寄与していくことが

今一度見直すべきところなのではないかと個人的には思っています。

 

 

 

話は大きく戻りますが、

その背景を持って、今回のサイパンは本当に私にとって大きな学びと経験をいただきました。

 

今後もブログかインスタライブで色々お話できたらなぁと思いますニコニコ

 

 

今回は、

そもそも私が戦争や英霊の方々に興味関心を持ったきっかけの一つついてのお話でした

 

 

 

 

ちょっと今回は

月地さん、思想強めやなw

 

って思われるかもしれませんね(笑)

 

 

はい、強いんやと思いますwww

すいませんw

 

 

 

 

でも決して押し付けたりはしませんのでご安心をチュー

 

 

 

面白いな〜〜と思ってくださった方は

よかったらインスタライブとかブログ、覗いてくださると嬉しいです飛び出すハート

 

 

長文、読んでくださりありがとうございます

 

月地史乃でした〜

 

 

 

弥栄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の記事は長いですw

お時間のある時に読んでいただけたら嬉しいです!

 

こんにちは!

いつもありがとうございますびっくりマーク

 

療養中ということで

ほとんどの予定をお休みさせていただいてます。

ご迷惑をおかけしてすみませんえーん

 

 

 

そんな中で

神社のお手伝いに行くことは

 

気持ち的にも元気になるし

私の中でとても大切にしていることなので

 

行ってきました。

 

 

 

例大祭と言って

その神社にとってとっても大切なお祭りでした。

 

神社は地元の氏神さんであり私の産土神さんです

 

人は

生まれたらその土地の産土神さんの光をもらうといいます

 

その土地の神様の光をもらって

その土地で営みを続けてきた人々の集合意識の中に迎え入れられます

 

 

それは

 

良い面では

大きな守りや後押しとなり

 

ある面では、

しがらみや縛りとなることがあると思います。

 

このしがらみや縛りは、適切に解除すれば

オセロの黒が白にひっくりかえるように

大きな後押しになるものでもあります。

 

 

 

 

私の父方のご先祖さんは

七代上までこの地域で

ずーっと住んでいることがわかっています

 

それ以上上は

戸籍を取ることができないので

はっきりわかりませんが

きっと何代も上まで

この地に住んでいたんだと思いますニコニコ

 

 

そのご先祖さんたちは、きっと…

 

いや

 

間違いなく

この神社にお参りしたり、お祭りに参加したり

様々な通過儀礼を受けながら

成長し、子供を産んで、孫を見て

 

 

そうやって

 

連綿と血縁・地縁をつなぎながら

生きてきたのだと思います

 

 

 

そんなことは

普通に考えれば当たり前だし

わかってるつもりでした

 

 

 

けれど

今回春の例大祭でご奉仕することで様々なことを

DNAレベルで回収した

というか

本当の意味で分かった

というか

 

たくさん

本当にたくさん感じることがありました

 

 

 

この地域は、

ものっすごい

田舎ということもあり

 

昔からお祭りの日には

子供がお神輿を運ばなければならないから

学校が半休になりました

子供は総動員です

 

19・25・33・42・60歳の厄払いは

その学年のほとんどがお祭りの日に

厄払いを集団で受けにきます。

 

 

厄の年の春のお祭りの日は

厄払いの日って

暗黙の了解で決まってる感じです

(時代とともに変わってきてはいますが)

 

そして、その後恒例の

同級会という流れです飛び出すハート

 

 

 

私たちの学年は

保育園から中学校までずっと同じメンバーで過ごすので

 

 

 

保育園からずーっと

同じメンバーで

 

山を背にした川のほとりの海の香りがする

同じ教室で

同じ季節のめぐりを共にした同級生は

何とも形容しがたい強固な絆で結ばれているところがあるように思います。

 

 

だからと言って、全員が人間的に合うわけでは勿論ないし

全員が仲良しこよしというわけでもないし

ちょっとめんどくさいから挨拶程度でいいやw

という人だって普通にいます知らんぷりははは笑

 

 

でも、

やはり、

濃い地縁という繋がりの強さには

 

何かちょっとしたトラブルが同級生の中であったとしても

 

 

「あいつ、あんなんやもんね、昔から」

 

 

ある意味で認めてしまえる部分があるというか

ある意味許されるというか

えも言われぬものがあります

 

この何とも言えない繋がりの濃さは

この土地独特のものであり

もしかしたら、この地域の産土神さんがこういう性格をしている

のかもしれません。

 

 

そんな背景がある中で

今回の神社でのご奉仕で

全ての学年の厄年の人たちの厄払いに関わらせていただきました。

 

厄払いに集まる厄の年代の人たちも

この因子を共有しているある意味の共同体です。

私とは違う人間だけど

私を構成する一部を確実に持ってたり共有している人たちな訳です。

 

 

 

 

 

どの厄払いの学年の人も

神社の境内に早くから集まって

 

みんな、久しぶり!〇〇年ぶり!?

 

といいながら

すでに同窓会です。

 

 

そんな厄払いに来ている人たちが戯れる様子を

神社の中から見ていると

私の中にある懐かしい感情や思い出が湧き出てきました

 

例年に比べ

感染症騒動からの

まだまだ自粛ムードで活気がない今年の境内の景色に

祭り用の特別おこずかいの1000円を握りしめながら

非日常の祭りの場へと

友達達とテンション高めに自転車を走らせてきた幼い日の私が重なります。

 

その私の古い記憶の中の境内には

現在と同じ桜の樹の下で

お囃子が鳴り 獅子が舞い

並ぶ屋台からは揚げ物の匂いがして

テキ屋のおじさんから買う型抜きに集中するお兄さんお姉さんたちの姿や

お神輿の到着と、子供相撲の様子が

魚の鱗に次々に写り込むようにありありと思い浮かびました。

 

記憶の鱗の重なる中で

子供達のお世話してくれる総代さん達の着る青い羽織が目に入ります

青い羽織を着ているのは

駄菓子屋のよくお世話になったおじいさんです。

 

 

 

「懐かしいなぁ

あのおいちゃん、亡くなったの一体どんだけ前やったかなぁ」

 

そんなことを考えていた時

 

 

 

ふと我に返って現実に戻り

辺りを見ると…

 

総代の方が羽織る〇〇神社とかいた

青い羽織をきているのは

記憶の中の駄菓子屋のおじいさんではなく

私の同級生のお父さん

(よく知ってる●ちゃんのパパで、現在の総代さん)

 

 

時代が、進んでいるんだと思いました。

 

この地球の時間の仕組みの中にいることを実感しました

 

 

 

 

 

私が子供の頃の記憶の中では

獅子舞をしてくれる青年団の人達や

二十五の厄の人たちは

おじさんに見えてましたw

 

 

でも

今、目の前で御神事に参加する25歳の人たちは

今の私から見たら

 

いい青年

(つまり若いw)…笑い泣き

 

 

 

そして…

 

今、

42歳の厄払いに来ている目の前の人たちは

私の二つ上の学年

私のよくよく知ってる

同級生のお兄ちゃんの〇〇君たち

 

四十二の厄年の人たちは

子供の頃の記憶では、私のお父さんより上のおじさま達だったはずなのに

今目の前にいる42の厄の人は

 

二つ上の

よく知った

人たち

になってましたw

 

 

 

 

 

 

還暦の厄払いの人たちはというと…

 

10年ほど前に学校で一緒に働かせていただいた

お世話になった同僚の先輩先生がその席に!!!(笑)

 

私のイメージはおじいちゃん、お父さんが還暦のイメージw

迫ってくる感じ半端ないw

 

 

 

私、大きくなったんやなって思いました(笑)

 

image

 

 

そんな風に

私の地域の先輩方や後輩さん達の厄払いに一日中触れることで

 

私の頭の中は

現在と過去の往復で忙しくなりました

 

 

それは徐々に

この神社の土地に蓄積・保持されてきた情報と記録の集積物のような

私が生まれる前の

古い古い過去ものへとアクセスしていく

不思議な感覚へと変化して行きました。

 

 

 

この場所で

繰り返し 繰り返し行われてきたであろう

 

厄払いの記憶や記録の情報体

 

 

初宮

 

七五三

 

 

 

様々な人生における通過儀礼が

不思議なほど鮮明に

頭の中に映し出される感覚でした。

 

 

 

これは、神様が見てきた記憶なのかもしれない

 

 

そんな風に思った頃

 

 

今度はその映像が未来に時計の針を進めました。

 

 

2年後、私の同級生の男の子達が42の厄をして

同級会をして

 

そのうち

私も

還暦を迎えて

同級会をする

 

懐かしいね、なん年ぶり?と

過去の人たちが口にしたことを繰り返し言いながら

孫の話をしたり

体があちこち痛いねと話をしている

 

 

そして

私たちの代の同級生たちがみんな天寿を全うして肉体を脱ぎ

この世界から次の世界へ旅立って。

 

 

今度は

この地域の子供達が

 

また

どんな形かはわからないけれど

何かこの共有してきた大きなものの一部を受け継ぎつつ

命や産土神様の光を繋いでいく

 

 

それが

ずっと

繰り返されてきたし

きっと

繰り返していく

 

 

人が少なくなって

神社という場所が維持できたりできなくなっても

この産土神の光は微かで鋭い光を放ちながら

確かに紡がれ続けていく

 

そんな様子をありありと見せられました

 

image

 

 

何百年分かの何を見たのか

それは

言葉にはできませんでした

 

けれど

そんなものが

数秒のうちに脳のシナプスを駆け巡っては

あちこちでショートているのはわかりました

 

 

長い長い走馬灯を見たようで

 

気がついたとき

私は

泣いていました

 

 

 

神社創建以来

ずっとずっと続いてきたであろう

このサイクルに

私もしっかり取り込まれてるんだと思いました。

 

 

これが

産土神の光をいただくということなんだと思いました。

 

 

 

正月飾りに「ユズリハ」という植物がありますね

 

ユズリハは新しい葉が出てきてから

まるで

子孫である新しい命を見届けて

安心したかのようにして

古い葉が落ちていきます。

 

子孫繁栄など、いろんな意味がありますが

 

まさに

神社で行われている行事も御神事も

通過儀礼も

 

全て

 

このユズリハのようだなと思いました

 

 

 

私は、この土地のとてつもない大切な何かに触れたような気がしました。

 

きっとこれが

産土神の光というもので

 

それは、

忘れていただけ

思い出した

という感覚の方が近いかもしれません。

 

 

そうすると

私の中のDNAにあるご先祖さんたちの記憶や記録が

ブワーーーーっと

蘇った気がしました

 

覚醒したというか、目を覚ましたというか。

 

 

この土地そのものであり

広くは日本

世界、地球…

無意識深くにある

紐のような何か。

 

 

 

この感覚は、とても言葉では言い表すことができないのですが

 

人が、今世を本人らしく生きる上で非常に大切なものなのじゃないかと思いました

 

 

 

日本人の良さや

大和魂・大和力が世界に必要とされていると言われるこの時代に

 

もしかすると・・・

 

 

何らかの形で

産土神様の光に触れに行くことって

 

とっても大切なことなのかもしれません

 

image

 

 

 

そんなことを思わされた厄払いの1日のご奉仕でした!おねがい

 

 

 

転勤をたくさんしてても

 

もうすでにそこに住んでなくても

 

特に生まれた土地に愛着がなくても

 

どこが産土なのかわからなくても

 

産土神さまの光は、ギフトとして

やっぱり

みんな持ってるんだと思います。

 

 

 

 

 

最初に書いたように

産土神様の光には

しがらみ

縛り

につながるものもあるかもしれません。

 

 

しがらみというと

ネガティブ感すごいですが

言い換えると

使命や天命に生きるための道しるべとして

何かを教えてくれるものでもあると思います

 

 

この話を書くとものすごいボリュームになると思うので

(すでに長いw)

それはまた別の時にゆっくりお話しするとして

 

 

私の場合

小さい時の人間関係などでできた心のくせ(心の傷というか)が何とも根深くて

大変だった時期もありました。

 

これは、しがらみや縛りの面が強く出ていた気がします

 

 

けれど、今回、

産土神様の光の本質のようなものに触れさせていただいて

そして

実際に厄払いを通して多くの人たちを見たり関わるという経験を通して

不思議なほど、過去のもう終わった課題の残りカスみたいなものも

全部綺麗に流してもらった気がしました

 

というか

自分で自覚さえしてなかったわだかまりのようなものが

ちゃんとなくなるような出来事が

このご奉仕の数日間のうちに

たくさん起きてくれました。

 

 

 

もうそんな古いネガティブなものは

さっさと置いて行きなさいって

気づきを起こしたり手放すタイミングを

神様が用意してくれてたんですね。

 

 

 

神様から

ご褒美もらった気持ちになりました。w

 

 

 

きっと

 

産土神様の光は今も

皆さんの背中をそっと後押ししながら

慈しみの眼で

見守ってくれてるのかもしれません♪

 

 

 

今回は、最近の気づきや思いを

インスタでお話しするほど声が元気じゃないので

ブログで長々と書かせていただきましたw

 

時間もなくて

写真とかなく

読みにくいはずなのに

読んでくださりありがとうございました笑い泣き

 

 

月地史乃

 

 

 

弥栄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりですニコニコ

 

インスタお休みしてるので

 

大丈夫??

 

と気にかけてくださるお優しい方が多くて

 

ありがたすぎますえーんびっくりマーク

 

本当に、ありがとうございます

 

 

 

 

そうなんです。。。

 

三月中旬より体調を崩しております。

 

風邪をひいて

 

こじらせて・・・

 

気がついたら喘息になってましたガーン

 

喘息きついですね・・・

 

今まで、喘息とは言われたことなくて

 

突然の喘息宣言でしたw

 

 

 

ほんと大変で、横になってねれない日が何日も続いて

 

心臓の持病以外で

 

 

「ほんまに死ぬかも」

 

って思ったのは初めてでした笑

 

 

心臓のこともあるので

 

もうしばらくは療養しようと考えています

 

 

 

この度は、体調不良によってセッションなどご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 

 

 

 

インスタも、そのうちやれたらなぁと思ってますニコニコ

 

やんさんやいち子ちゃんが、早くやりたいみたいでw

 

 

みなさんとチャット上でお会いしている気持ちになれるので

 

私ももちろん楽しみにしてますが

 

あの人たち(妖怪?)も楽しみにしてるのを見ると

 

なんか

 

色んな方に認識してもらったり、声をかけてもらえたり

 

意識してもらえて

 

嬉しそうなので

 

よかったね飛び出すハート

 

って思ってほっこりさせていただいてます

 

 

 

 

喘息になったことで

 

気がついたことも

 

考えることも多かったです

 

 

 

 

 

そして

 

以前にも増して

 

やってはいけないことができない

 

魂の向かう方向と

 

一ミリ単位でずれることが許されないとよくわかりましたw

 

 

 

以前からその話はよくブログだったり

 

インスタだったりで書かせていただいてますが

 

 

もう最近は

 

ちょっと調子いいから何かしようとしたことが

 

方向的に間違ってたりすると

 

喘息発作ですびっくり

 

 

 

 

ダメです!という合図のスパン、

早くなってるwww

 

 

わかりやすくていいし

 

もはや、争うこともしなくなりました

 

息できないんでね(笑)

 

 

 

 

ゴールがどことか

 

未来の全てがわかるわけではありません

 

常に未来は揺れ動いているし

 

不確定要素満載だからです

 

 

 

でも

 

個人レベルなのでどこまで影響を及ぼせるかはわかりませんが

 

ちびっちゃいことでも

 

針でつんて突くくらいのものかもしれないけど…w

 

この世界に来た理由…

 

世界に影響を及ぼしに来たということは思い出したので

 

 

もう真っ直ぐ進みたいと思いますニコニコ

 

 

 

とりあえず、今日は

 

生きてます

 

ということのご報告でしたw

 

 

 

月地史乃でした飛び出すハート

 

 

弥栄