45歳イチロー引退…日米通算28年、記録に記憶に残る4367安打 | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 アスレチックス4-5マリナーズ=延長十二回(21日、東京D)日米通算4367安打を誇る大打者、米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手(45)=本名・鈴木一朗=が21日、アスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)後に東京都内で記者会見し、現役引退を表明した。数々の金字塔を打ち立てたレジェンドは「9番・右翼」で先発出場し、4打数無安打で28年間のプロ生活に幕を下ろした。試合は延長十二回、5-4でマ軍が勝ち、日本開幕シリーズを2連勝で終えた。
 いつまでも、ファンはスタンドを離れなかった。深夜の東京ドーム。20分以上も「イチローコール」が続く中、イチローは再びグラウンドに現れ、母国のファンに万感の表情で両手を振った。
 「きょうのゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだった現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」
 平成という一時代を多くの記録と記憶で彩ってきた天才打者が、バットを置く。イチローは試合後の記者会見で28年間のプロ生活を終え、現役を退くことを表明した。
 最後の瞬間は八回裏に訪れた。一度右翼に就いたが交代を告げられ、総立ちの大観衆から大きな拍手を送られながら引き揚げた。ベンチ前に戻った同僚と一人ずつ抱き合い、ケン・グリフィー氏(49)やスタッフとも固い握手を交わした。公式戦では異例の光景が、45歳が成し遂げてきた偉業の証しだった。
 メジャー19年目、7年ぶりの日本での2試合を「特別な開幕」と表現し凱旋(がいせん)した。引き際を決めたのは帰国前の今月10日。インディアンスとのオープン戦後にジェリー・ディポト・ゼネラルマネジャー(GM、50)とキャンプ施設の2階で会談し、決断を伝えた。
 「日本でプレーするところまでが契約上の予定だった。キャンプ終盤でも結果を出せず、それを覆すことができなかった。最低50歳まで(現役)と本当に思っていたし、有言不実行になってしまったけど、言わなかったら、ここまで来られなかった」
 最後の打席は八回2死二塁で迎えた第4打席。勝ち越しのチャンスで遊ゴロを打ち、全速力で走ったが、いくつも積み上げてきた内野安打にはできなかった。オープン戦から続いた連続無安打が30打席に達し「やっぱり一本打ちたかった」と悔しがった。昨年5月に会長付特別補佐としてフロント入り。一度実戦を離れた影響は大きかった。 1992年ドラフト4位でオリックスに入団。右足を揺らす“振り子打法”で安打を連発した。2001年に海を渡り、1年目にア・リーグ首位打者と最優秀選手賞に輝くなど数々の金字塔を打ち立て、メジャーを代表するスターとなった。
 結果を生んだ哲学が「何事も自分の形をつくっていない人に結果は出せない」。安定した成績を残そうと公私でほとんどの行為を習慣化し、公式戦中は場所と時間で食べるものを決めた。毎朝カレーライスを食べた時期があったのは有名な話。「機械のようだといわれるのが、うれしい」と誇り、反復に耐える精神力、わずかな違いを感知する鋭さで唯一無二の選手となった。
 「きょうの球場での出来事。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」。最後まで声援をくれたファンに感謝し、イチローは悔いなしを強調した。日米通算3604試合目。米野球殿堂入りが確実視されるヒットメーカーが、ついにユニホームを脱いだ。
マリナーズのディポト・ゼネラルマネジャー「(引退の)決断は10日前に知った。既定路線だった。昨年から話をしていた。このチームは若返りを図っている途中だから」