続き | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 「あれだけ不調だった福留を出してホームランというのは、鳥肌ものだった。王さんは普段、そんなに喜怒哀楽を表に出さないけど、試合に入ると本当に熱い人ですよ」と証言する。そして「大リーガーが参加する大会だから、負けてもともとだった」。王の統率力なくして、世界一はありえなかった。
 来年は東京五輪を迎える。「選手は大きな刺激を受けるだろうね」。そして、ヤクルトでチームメートだった日本代表監督の稲葉篤紀に「五輪の野球は本当に最後になるかもしれない。自国開催だし、優勝しなければ駄目だ」と強烈なエールを送った。=敬称略
★辻監督の信念、先約が「運命」
 辻氏は現場から離れていた2005年秋、王監督から日本代表コーチ就任の“ラブコール”を受けて快諾した。数日後、楽天の監督に就任する野村克也氏から「うちでコーチをやらんか」と要請されたが、「先に声を掛けてくれた人が運命」という信念があった。現役時代は西武を自由契約になった1995年オフ、ヤクルト監督だった野村氏から誘われた。後日、プロ入り時の監督のロッテ・広岡達朗ゼネラルマネジャーからヤクルトを上回る条件でオファーを受けたが、信念を貫いてヤクルトへ移籍した。★王さん述懐、イチローが最初に参戦名乗り
 第1回大会で日本を率いたソフトバンク・王貞治球団会長(78)は「日の丸を着けて、みんなが勝つことへ向かっていく姿が頼もしかった。日の丸のパワーを感じた」と語った。
 「第1回だから、何が何だかよくわからない大会。ただ、米国との戦いができるならやろうよとなった。イチロー(マリナーズ)が最初に電話をくれて、出ますよと言ってくれた」と明かす。
 米国戦での“世紀の大誤審”については「審判のことを悪く言うつもりはないが、あれで日本の野球を見てくれる人が増えたんじゃないかな」という。
 他力ながら準決勝進出を果たし、「(米国-メキシコの)次の日、朝10時の飛行機で帰る予定だったのが、クビがつながって勇気百倍。それまでの戦いよりプレッシャーを感じないで、伸び伸びと野球をやれた」と振り返る。「(WBCで優勝して)おれの運はまだ続いているなと思いました」と目を細めた。
★野球担当秘話、松坂明かす…米国戦前日に痛飲選手
 当時は野球担当として3年目を迎えたばかり。注目はなんといってもイチローで、見聞きするすべての動き、発言を必死にメモした。1次リーグ開幕の前日、東京ドームのフェンスを駆けのぼるようにして捕球する驚きの守備練習を行い、「蜘蛛男イチロー」という1面を書いた。
 松坂の言葉も印象深かった。後日談として話してくれたのは、米国戦の前日に同世代の4人と食事した際、痛飲した選手がいたということ。飲酒自体は問題ないが、大一番前の体調管理という点では疑問符がつく。3勝を挙げて初代MVPに輝いた右腕は「代表の重みを分かっていないですよね」と苦言を呈した。
 大リーガーとして参加したイチローと翌年にレッドソックスへ移籍した松坂。2人の大会にかける思いが忘れられない。(第1回WBC担当・湯浅大)