【平成の真実(35)】平成18年3月21日 第1回WBC日本優勝 | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 野球の世界一を決める第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されたのは平成18(2006)年3月。日本は2次リーグ・米国戦での“世紀の大誤審”による敗戦など数々の試練を乗り越え、初代王者に輝いた。内野守備走塁コーチとして王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)をそばで支えた当時48歳の辻発彦氏(60)=現西武監督=が指揮官の統率力、勝利への執念について証言した。(取材構成・花里雄太、松尾雅博)
 絶望のふちから蘇り、初代王者に輝いた日本。辻の脳裏に深く刻まれているのは、キューバとの決勝で頭に血が上った監督の王の姿だ。
 遊撃・川崎宗則が六、七回に失策を犯し、「もう代える。代えるぞ!!」と交代を示唆した。辻は「王さんにとっては自軍(ソフトバンク)の選手だったしね。代えるのは簡単だが、試合の流れがあり、途中で出る選手には相当なプレッシャーがかかる」と、「川崎で大丈夫です」と進言。指揮官も聞き入れた。
 1点差に迫られた直後の九回、二走・川崎はイチローの右前打で本塁を狙い、捕手のブロックの隙間から右手をねじ込んで生還。貴重な追加点をもたらし、「神の右手」とたたえられた。辻は「(三塁ベースコーチとしての判断を)迷わないように、と決めていた。どうかなと思ったときは腕を回す。それがことごとく成功した」と語る。
 世界一までの道のりは険しかった。舞台を米カリフォルニア州アナハイムへ移し、4チームが総当たりする2次リーグ初戦で、いきなり試練が訪れた。相手はアレックス・ロドリゲス、デレク・ジーター(ともにヤンキース)ら大リーガーをそろえた地元の米国。辻は“世紀の大誤審”について振り返った。
 「一番大きなシーンだよね。ボブ・デービッドソン。メジャーの審判員は一人も知らないけど、彼の名前は一生忘れない。顔も浮かんでくる」
 3-3で迎えた八回1死満塁。岩村の打球は左翼へ上がった。返球はそれ、タッチアップした三走・西岡が楽々と生還。日本ベンチは勝ち越しに沸いたが、球審のデービッドソンは米国のタッチアップが早いとの抗議を認め、判定を覆した。
 「打球は浅かったが、レフトの肩が弱いのは分かっていた。抗議されてふざけるなと。あれが覆っては駄目でしょ!!」。13年が過ぎた今でこそ言い切れるが、当時は米国の執拗(しつよう)な抗議に、「タッチアップが早かったのかなと思ってしまった」と一抹の不安がよぎったという。
 王がベンチを出て、首を左右に振って左手の人さし指を回しながら、ゆっくりとデービッドソンの元へ。「王さんはメジャーでも本塁打記録で知られている。さすがの立ち居振る舞い。かっこよかったよ」。しかし、西岡の生還は認められず、日本は九回にサヨナラ負けを喫した。
 2戦目はメキシコに快勝したが、3戦目は韓国に敗れ、1勝2敗で終えた。米国が翌日のメキシコ戦に勝って2勝目を挙げれば、3勝の韓国とともに準決勝へ進む。日本が進出するには韓国以外の3チームが1勝2敗で並び、失点率(失点÷守備イニング)で最上位になるしかなかった。敗退の危機に静まりかえるロッカールームに、王の声が響いた。「可能性がゼロになったわけじゃない。何が起きるか分からない。気持ちだけは切らずにいよう」。
 翌日、辻は宿舎の自室で米国-メキシコを観戦した。「望みは数%。もちろんメキシコを応援していたけど、普通に戦えば米国が負けるわけがない」。ところが米国は1-2で敗れ、失点率でわずか0・01上回った日本の準決勝進出が決まった。「ゲームセットの瞬間、(選手の部屋から)歓声が上がった。その後は宴会場に集まってハイタッチ。抱き合う選手もいたね」。
 準決勝の相手は1、2次リーグで敗れた韓国。同じ相手に3度も負けるわけにはいかない。0-0で迎えた七回1死二塁から、打率・105の不振で先発を外れていた代打・福留孝介が右中間席へ先制2ラン。代打・宮本慎也にも適時打が出るなど采配が的中し、この回一挙5点を奪った。