【虎のソナタ】来年こそは虎もV争いを! | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 (セ・リーグ、広島10-0ヤクルト、23回戦、広島18勝5敗、26日、マツダ)日本に軍靴の音がせまる昭和16年に刊行された『哲学ノート』のなかで著者三木清はこう書いた。
 「希望に生きる者は常に若い…」
 それはまるで今の広島カープそのものを象徴している。
 やがて4年後に広島に原爆が落ちた。70年は草木が生えない…とまで言われた。そこからの日本人の再起と苦労と懊悩は繰り返すまでもない。
 何をそんなに深刻になるんだ…と思われるかもしれないが、実は大阪・難波の編集局の窓際で秋雨前線の雨空を見つめてため息が出た。実は…筆者は広島の生まれ。父親の転勤であの悲惨なキノコ雲とその直後に広島に降った「黒い雨」は幸いに逃れたが、親戚は被災した。だからどんな雨もつらい。 だが…平和を象徴する広島カープが1950年に誕生し、1年目からセ・リーグのなかで万年最下位? と苦労した。ビリをはいずり回った。とてもじゃないがひたすら戦い、練習し、夢を追いかける日々。
 そして…1975(昭和50)年に悲願のリーグ優勝にたどりつく。ルーツから引き継いだ古葉竹識監督は10月15日、夕暮れの後楽園球場で「本当に優勝したんですね…」とそう切り出した。初代MVPの山本浩二は子供のように号泣した。
 刻々とマツダスタジアムはヤクルトを相手に“若いカープ”がリードを広げた。真っ赤な球場は沸点に達していく。それをテレビで見つめながら…フト、赤ヘルが初Vに直進していた43年前を思い出した。
 ちょうど今の季節の9月27、28日、ヤクルトに連勝。30日、甲子園での阪神戦。ド緊張の赤ヘルは最大の試練といわれたこの試合に監督古葉は先発でエース外木場にあえて抑え起用をこっそりと命じた。それに外木場は見事に応える。
 ○2-1…。偶然だが阪神の投手は広島OB安仁屋宗八。この夜、監督古葉は試合後に思わず涙を流している。『優勝』を確信した涙だ。
 この頃、まだ中学生だった編集委員上田雅昭はのちに外木場を取材した時に「この一戦」を質問しないのに最もインプレッション(印象)の強い試合として挙げたことに驚いたそうだ。つまり指揮官と選手がひとつの点となってVに直進していた断面である。
 マツダは終盤にも追加点が入ってもう大変! すると当番デスク席で大澤謙一郎はポツリと「実は僕は子供の頃、カープファンだったんですョ。高橋慶彦がカッコよくて…」だと。あのなぁ大澤ッ、とにかく優勝決定のドサクサでみんな忙しいんだからまぎらわしいことを言わず交通整理をやってくれい。
 阪神は雨でDeNA戦が中止。日程が過酷になってきた。優勝騒ぎの宴を外れるってことはいかにミジメか…改めて雨空の甲子園でトラ番たちは空を見上げて肩を落としている。 箭内桃子記者は「広島にあって阪神に希薄だったモノですか…(1)活気(2)若手の活躍(3)逆転の機運かなぁ」とポツリ。新里公章記者は「(1)投手力(2)打撃力(3)選手力…え、投げる、打つ、走る…全部少しずつ微妙に違いました」といった。
 かくして…やっとカープは地元でファンに雄姿をみせてゴールした。巨人以外で3連覇は赤ヘルだけなのだ。 あ、歓喜の赤ヘル党の皆様。そして昨夜は半分ヤケ酒の猛虎党の皆様も来年の勝利の参考書としてサンスポは特別版『カープ3連覇』(税込み1000円)を29日からコンビニ、書店などで緊急発売します。編集を担当したデスクの野下俊晴は「松田元オーナーのインタビューがとても熱かった…」と言ってました。もう一度、あえて三木清の言葉を書いておきます。 「希望に生きる者はつねに若い…」