【虎のソナタ】巨人大敗でも…今の若虎は「フツー」 | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 (セ・リーグ、ヤクルト4-10阪神、11回戦、阪神7勝4敗、29日、神宮)神宮は台風一過で結構涼しかった。それだけに阪神の練習もノリノリで陽川は右手にハンマーを持ってスイングの練習。最近は若手がよくしているそうだ。ただキャップ阿部祐亮は少し声のトーンが低くて「試合前の打撃練習ではナバーロが絶好調で、それにくらべてロサリオはあまりよく感じなかった…。ところが、そのナバーロがスタメンにはいない…。逆にロサリオが3番でスタメンです。エッと思いましたけど、右、左の違いでしょうか…」という。
 練習は練習。それほど単純なものでもないだろうが、阿部の言葉には長くタイガースを追いかけているから、ちょっぴり肩に力が入っていた。
 その点、投手担当の箭内桃子記者は「きょうはメッセンジャーですから、まぁ私は安心して神宮名物の五回の花火大会を楽しみますヮ」と余裕しゃくしゃくだ。
 そして一回、いきなり石川から糸原、北條の長短打で先制。福留が初球のシュートをバックスクリーンに2ラン…。
 この日、台風12号の接近で広島-DeNA(マツダ)は早々と中止となった。一方、東京ドームでは阪神がまだ宿舎をやっと出発した頃(午後3時)には、4、2、1、2点…と中日が電話番号みたいに巨人から点を取ってワンサイド。それで大急ぎで阿部に電話して「阪神ナインは練習で巨人の大敗で気分が盛り上がっただろう?」と電話をかけてみた。すると阿部は「先輩、今の若虎たちは巨人戦なんてフツーのカードなんです。気にとめてませんョ…とにかく目の前の敵デス」。 トラ番の古参兵としては、昔の阪神の監督や主力は何時いかなる場合でも「巨人は勝ったか?」と強烈に意識していたのを思い出すのだ。
 すると、かつて散々な“阪神暗黒時代”を体験した編集委員上田雅昭が神宮の記者席からこう言ってきた。
 「中村勝広監督が成績不振で休養した今頃(1995年7月)やったかなぁ、ベンチで当時の小林治彦広報部長がシミジミとこんなことを言うてはったのを思い出すヮ。『新庄(剛志)に最も意識するライバルはどのチームか? と聞いたらヤクルトと言うんや。昔はどんな状況下でもウチの選手は“巨人”とみんなが口をそろえたもんやが…』と。もっともその年は野村克也監督のヤクルトに中村阪神が苦戦したこともあるが、すでに我々の思う『伝統と誇りに満ちたTG戦』というのはどこかにぶっ飛んでしまっとるのか…。小林さんはそれを嘆いてはったんや…」
 巨人の動向よりヤクルトが気になる…実は、その1995年7月、中村監督に代わって指揮をとることになった藤田平監督は、真夏の鳴尾浜での練習で、炎天下で45度まで上昇した“炎熱地獄”の中でダッシュを50分やらせた。
 それでついたニックネームが“鬼平”のしごき…なぜ? きまじめに伝統のTG魂が骨の髄までしみこんだ藤田平はあえて『温故知新』(原点に返って忘れていたものを取り戻す)という手術を試みたのだが…ソフトタッチの中村流のやさしさになれた選手にはたんなる“鬼”となって…性急な鬼平の改革は成功しなかったのだ。あの真夏の光景を思い出した…。
 しかしこの夜はヤクルトの救援陣を相手に、若虎とベテランが終盤にかみあって7連勝のヤクルトに一矢を報いた。