久しぶりに日記を書いてみることにした。

 

あっという間に3ヶ月が過ぎ、日差しはまるで真夏のように強くなり、

ジメジメする日が続いている。

 

子どもたちは、今月から分散登校が始まった。

意外にも楽しそうな様子だ。

でも今朝、息子が

みんなが何か作ってきてるから、自分は組み立て式のおもちゃを持って行くと言い出した。

いくら作ったものとはいえ、組み立てただけのおもちゃなんだから、

持って行けないよと言ったらぷんすか怒りだして、

 

 

もーまじめんどくさい

くそ

くそ

 

と耳障りの悪い言葉を連発し始め、ご飯も食べようとしない。

しまいには学校行かないと言い出した。

 

半分無視して先に家を出たが、

果たしておとなしく登校したのかどうか。

 

勤務先のある渋谷は、すっかり人が戻ってきた。

すれ違う人の数が5倍くらいになった気がする。

電車も混むようになった。

そして早速昨日、東京都はレインボーブリッジと都庁を真っ赤に点灯させ都民へ感染拡大の警告。

かといって、何か措置がとられるわけでもないようだ。

それぞれの判断で気をつけて行動せよ、ということだろうか。

どこまでいっても、日本政府も東京都も市民任せ、自粛任せだ。

いろいろ給付金制度をつくったはいいが、振り込まれないまま宣言は解除。

かといってすぐに元通りの営業や仕事に戻れるはずもなく、

なぜもっと早く支給しないのかと、怒りは増すばかりだ。

 

アメリカでは各地でデモが広がっている。

冷静に blacklivesproblemを訴えている人がほとんどで

暴徒化しているのは一部だという。

 

私は、以前Netflixで公開されていた、「僕らを見る目」というドラマを思い出していた。

 

(現在見られるかどうかは定かではない)。

1989年にニューヨークで起きた「セントラルパーク・ジョガー事件」というレイプ事件を描いたドラマで、アフリカ系とヒスパニック系の少年たちが容疑者として拘束され、有罪とされた事実を再現。

 

わずか14歳から16歳の少年たちが、犯行現場にたまたま居合わせたというだけで

容疑者とされ、親ともまともに面談できないまま

自白を強要され、罪を認めさせられる過程が生々しく描かれていく。

権力によって人権が踏みにじられ、無実の罪を背負わされ、人生を狂わされた5人とその家族や友人たちのやり場のない怒りが苦しいほどに伝わってくる。

そしてこの30年後、アメリカの現状は何も変わっていないどころか、

ひどくなっているように思える。

 

当時トランプは、「死刑制度を再び」と訴える新聞広告を掲載したらしい。

ドラマの一場面でそのトランプがテレビに出ているのを見て、

この悪魔が!

と批判しているが、今やその悪魔が大統領。

そして今回の暴動をあおるようなツイートをしておきながら、

自分はホワイトハウスに立てこもるという情けなさ…

 

差別、暴力、権力。

これらが結びつくことがいかに市民の生活を脅かすかを感じる。

暴力をさらにあおるような行動や、

暴力に対して暴力で訴える人たち、

冷静な運動をしている人たちがいる中で、そういった動きばかりが注目される。

情報を得る側も、様々な側面から事実を知ろうとする姿勢が問われている。

 

6月から私の仕事もフルタイムに戻った。

家を出るのは8時、帰るのは19時。

よって、また週末に弁当と夕飯のおかずを作り置き。

これに数時間を要するので、ヘトヘトな状態で月曜日を迎えた。

そしてやっと水曜日。

 

感染がこれ以上広がらないことを祈るばかり。

早く普通の生活に戻りたい。夏は山口に帰りたいが、今年は無理だろうか…先行きが見えないことへの不安は、思いのほか大きなストレスとなることを感じた、今回の自粛期間。

 

その向き合い方を工夫しなければと感じる。