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2008年6月 結婚式後

父は予定通り、2泊の外泊後、病院に戻りました病院

私達は色々な用事を済ませ、翌々日、出発前に病院に立ち寄ります車

 

父「二人で仲良く、幸せに暮らせよ」といつもの笑顔でウインク

私「(私の新居&父の赴任先である)B県で待ってるからね」と病室を後にしましたパー

 

2008年7月

父の気切部は完全に閉じてはないものの、何とか経口摂取できるようになり、退院しましたキラキラ

 

この時期、本当は術後の抗がん剤をする時期だったのかもしれませんが、結局行っていませんアセアセ

気切部の治りが良くなかったから??

採血結果や、栄養状態が良くなかったから??

 

今更、この時期に治療が出来なかった理由を詮索するつもりは、もちろんないです。

さらにこの時期に治療が出来ていたとしても、それが効果があったのかも、今となってはわかりませんえーん

 

2008年8月

両親はひさびさに父の単身赴任先&私の新居でもある、B県にやって来ましたバス

1月下旬にがん宣告を受け、そのまま治療生活に入り、約半年ぶりでした。

 

高速バスでやってきて、両親と私達夫婦と4人で映画を観に行きました。

元々映画好きの父ですが、体力が落ちているせいか、やはりきつそうでしたえーん

 

夜は行きつけの焼肉屋さんへ。

父は母が来た時や、来客…と言うときは、行きつけの焼肉屋さんへ連れて行ってくれましたグッ

 

父自身は、そんなに食べれる訳じゃないけれど、懐かしい店長と顔を合わせて、すっかり上機嫌でした気づき

 

2008年9~12月

自宅で療養しながら、のんびりと過ごしていましたウインク

この時期は、通院も自家用車を自分で運転していき、付き添いも不要になっていました。

 

気切部は相変わらずでしたが、長い間、経腸栄養に使っていた腸ろうも煩わしくなったのか、いつの間にか抜去してもらっていました。

通院の際は、術前にお世話になっていた、消化器内科の先生もいつも父の体調を気にしてくださっていたようですニコニコ

 

元々、会長職として経営していた会社に籍はあったので、後進に経営に対する指導をしたり乙女のトキメキ

 

さらに元気になったら、新たな仕事にもチャレンジしたいと思っていたようで、色々な経営構想を練り、熱く語っていましたびっくり

 

母は、もう若くない上、病気もしたし、わざわざチャレンジしなくていい。という考えでしたが、父からはまだまだ生きていく!そんなパワーを感じる日々でした雷