中学生の娘が最近「道徳の授業嫌い。道徳ある日はそれだけで学校行きたくないくらい嫌。」
って言ってくる
私は道徳の授業なんて何とも思ったことなかったからはじめ意味が分からず、娘に
「え?!なんで?」
と聞き返した。すると
「空気的にこれが正解!みたいな感じに持っていかれるから。いろんな意見があっていいとか言いながらみんなおんなじようなこと言って最終的に“その考えが正しい、偉い”みたいな空気感になるのが嫌。しかもなんかめっちゃあるねん。道徳の授業。何なん?」
こうしなさい、ああしなさい。と強制されるのを嫌う。だから、考えてみようという程で始まって最後は
こういう態度を取るのが正しい,正解という空気感で終わる道徳の授業が嫌い。なんだと
私今までそんなこと1ミリも考えたことなかったから思わず納得してしまった。
娘よ。その年で“教育現場の洗脳”を見破っているのか?と(笑)
娘に言われて自分が受けてきた道徳の授業を思い返して。確かによく考えてみるとおかしな授業だったよなと思えてきた。
その課題を出して、いろんな意見を出してディスカッションするまではいい。視野が広がるからね。
でも道徳の授業って最終的に
「この人のどこが悪かったんでしょう?」
「どうすれば良かったんでしょう?」
って言って、最終的に人間的にこうするのがステータスですよね?普通そうですよね?ねっ?
みたいな空気感になってた。
“多様性の時代”とか言っときながら現実は(特に公立の中学校教育)はそれと逆行しているようにどうしても思えてしまう。道徳の授業はやりようによってはめちゃくちゃいい授業になりそうな気がするんだけどなぁ。。。。
って偉そうに叩いてみる。
じゃお前ならいい授業できんのかよ?!?!
って言われたら多分できまてん
すみまて〜ん(笑)
学校の先生たちをディスってんじゃ決してないですからね。
いや、マジで学校の先生たちは凄いよ
学校の先生方は心から尊敬します。好きじゃないととてもできる仕事じゃない。尊いお仕事だと思います。私にはとても務められる仕事じゃない。
ともあれ娘は多数意見と違う意見を道徳の時間に発言しづらくてしづらくてしょうがないんだとか
娘よ。そこを思い切って発言してみると道徳の授業が面白くなるかもよ。的な事を言ったら、
「タダでさえ浮いてるのに、そんなことしたら余計に浮く!!」
とキレられました
思春期真っ只中の娘は周囲の目がめちゃくちゃ気になりつつも、周りに合わせないといけないのは嫌
というジレンマと絶賛闘い中であります(笑)
「中学の頃の他人のことなんか大人になったらだーれも覚えてやしないって!嫌な記憶なんかも本当は自分の中にしかないんだからだから自由にやったらいいじゃん周りに合わせてフツーのこと言ってたらフツーの人間だよ?!フツーの人間になるのが嫌なんじゃなかったの?」
って話はするけど、本人はまだ納得できていないご様子。周囲に溶け込めず浮く方が怖いようで。
思春期ならではの葛藤と戦っております
そうやってみんな大人になるんだよね
いつか気付けばいいよね
これ、前に斎藤ひとりさんが言ってて思わず笑ってしまった話で、友達関係に悩む娘にもよく話す話なんですが。斎藤さんが大人になり中学の同窓会に行った時の話で、
「俺、中学ん頃生徒会長だったからさー!」
って冗談で言ったら「そーだったよねー!」って言われてだーれも覚えてねーの!そんなもんなのよ!って。
多分私が中学の頃いじめられてたことなんて本当誰ひとり覚えちゃいないと思ういじめられてたって言う記憶は自分の中にしかないのだ。
だからその過去を捨てちゃえば誰の心にも記憶にもなくなるのだ。過去は変えられる。って斎藤さんの話すことはこう言うことなんだろーな、と思う。
わざわざ重たいものを自分の心の中だけに抱え続けておく必要はないのだ。
ちゃっちゃと手放してなかったことにしちゃえばいい。
そう思ったら、本当この世の中のことな〜んにも怖くなくなっちゃったんだよね、本当に。
人の目や評価なんかも一切気にならなくなっちゃった。そうなったら人生途端にイージーモードになりましたよ。
嘘だとおもったら&ピンときたらぜひやってみてくださいね
こちらも合わせて聞いてみてね
最近は並木良和さんの言うことがしっくりきすぎて、どうしても聴きあさってしまう笑
と言うわけで今日は絶賛思春期を謳歌している娘のお話でしたー(笑)
また次回〜⭐︎
龍希