先日少しご紹介したバガヴァットギーター。
これを私は今、ヨガスクールへの道すがらちょっとづつ読んでいるのだけれど、またも今の私には、一文一文グサっグサッとと刺さることばっかり書いてあるのでまた少しづつご紹介できればと思う。
その前にまずはバガヴァットギーターの解説から。
『バガヴァット・ギーター』は700行の韻文詩からなるヒンドゥー教聖典の一つで。“バガヴァッドはサンスクリット語で“バガヴァーン(知識のある聖者、神)”、ギータは“ポエム、詩”と訳される。つまり、バガヴァット ギーターとは「神の詩」と訳すことができる。これを読めば「世界のあらゆる知識が学べる」と言われるらしい。
つまり神との対話ならぬ、
「神からの手紙」のような本なのだ。
ただし神との対話とは比べものにならないほど難解。。。(笑)なので、かなり時間をかけて読んでいる&ここでは私なりの拙い解釈でご紹介させて頂こうと思っています。
この本は神クリシュナと王子アルジュナの対話形式で展開する。親族と戦わなければいけない極限状態のアルジュナの前に、馬車の御者に扮した神クリシュナが現れ、神(バガバット)の言葉をアルジュナに伝え、彼を導いていく。
「親族と戦い彼らを殺すくらいなら戦いを辞めたい」と言うアルジュナにクリシュナはバガヴァット(神)の言葉を伝える。
ここからは本からの引用の下に私なりの解釈を入れていきます。
私は決して存在しなかったことはない。あなたもここにいる王たちも。また我々はすべて、これから存在しなくなることもない。
ここでは恐らく「魂」の話をしています。
肉体は滅びても魂は永遠だと言う話をしている。
常住で滅びることなく計り難い主体(個我)に属する身体は有限であると言われる。
ここで言う”主体(個我)”と言うのが魂かと思われます。つまり、永遠である魂に対して身体(肉体)は限りがあると言うこと。
彼は不生、常住、永遠であり、太古より存在する。身体が殺されても彼が殺されることはない。人が古い衣を捨て、新しい衣服を着るように主体(個我)は古い身体を捨て他の新しい身体に行く。
肉体が滅びると魂は新しい身体に移る。
生まれたものに死は必定であり、死んだものに生は必定であるから。それ故不可避の事がらについてあなたは嘆くべきではない。
あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は常に殺されることがない。それ故あなたは万物について嘆くべきではない。
レインボーチルドレンのルイくんも言ってましたね。「どんなことがあっても魂には危険がないと分かっていることがすごく大切なんだ」と。
魂は不滅で傷つけられることはない。
苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て戦いに専念せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。
これまさに今朝聞いたYouTubeの内容とリンクしている。私の最近お気に入りの宇宙くんによると「全ての失敗体験も本当は失敗じゃなくて大成功なのだ」と。魂がこう言う経験をしようと設定してきてその経験をしたのだから魂的には大成功であり、魂に失敗は存在しないのだと。魂的には苦楽も得失も勝敗も同じ。
あなたの魂は不滅で完璧で無敵なのです
また次回〜☆
龍希