この方は、子平舘の梅川泰司先生について調候用神法を学ばれました。


梅川泰司先生は、昭和37年から長きに渡り泰山先生の愛弟子でした。

それを証拠に、子平舘には、昭和42年に、泰山先生から直々に受けた泰山流のお免状があり、今でも鑑定所に大切に掲げられています。


梅川泰司先生は、阿部泰山先生の学問である「泰山流(現在は商標登録されているため、泰山先生ご本人も名乗ることができません)」を守るべく、四柱推命学の学問を追究しておられました。

それゆえ、梅川泰司先生が心血注いだ生徒であったこの方に、四柱推命学の学問の継承を委ねたい、と考えられました。


そのとき、既に泰山先生が亡くなられていたので、梅川泰司先生が、故阿部泰山先生の娘さんに頭を下げて、この方に泰山流のお免状を出してやってほしい、、、と頭を下げられたのです。


泰山先生の娘さんが、

「梅川先生が仰るなら、、、」

ということで、この方は泰山先生の直弟子ではなかったのですが、梅川泰司先生の力により、異例のお免状が出された、という経緯があります。

これが事実です。


それ以上のことは、読者の方に推察を委ねます。