『永遠の0』を観ました。


昨年、映画の放映のずっとずっと以前に単行本で読んでいたので、今回の映画化、とても待ち遠しかったのです。



私は、この平和な日本に生まれましたし、この平和さが「当たり前」になってしまっています。


たかだか60数年前まで、日本は大変な時代でした。

未来ある若者が、大勢戦争で命を落としました。

特に特攻隊はそのときまで虚しさ、悔しさで溢れていたことでしょう・・・


特攻隊で命を落とした多くの若者たちは

「お国のために」

突撃した・・・


果たしてそうでしょうか。


若者たちは、自分の死を無駄にしたくなかったのだと思います。

せめて、「お国のため」と思うことで、自分の死を意味のあるものにしたかったのだと思います。


そんな心情を、『永遠の0』は描写しています。


宮部久蔵が家族の元に帰りたいと強く願い、「生」を望んだことは、映画の焦点だったようですが、もっともっと深い深いメッセージが、この物語には込められています。


映画の中では十分に伝わってこない部分もありましたが、500ページを超える大作である原作を、たった2時間半でまとめる上では仕方なかったのでしょう。


私は、原作の第8章「桜花」を読み、何日も何日も辛く、苦しい思いにかられました。

この章は、特に、日本の国の戦争に対する姿勢を顕著に表しています。

最後のエピローグも、アメリカ兵の紳士的態度に、同じ人間としての心を感じました。


日本は飽食の時代と言われて何年も経ちます。

いま、日本に生きる私たちは、あの時代を生きた人たちをどのように敬っているでしょうか。

平和なことにあぐらをかいているのではないでしょうか。


私事ですが、戦争を知っている祖父は他界しました。

小学校のとき、会うたびに戦争の話をしてくれましたが、ぼんやりとしか覚えていません。

今になれば、「もっともっと真剣に聴いておけばよかった」と悔やむばかりです。