久々のブログニコニコ乙女のトキメキ

日常生活は送っていたけど元旦の地震で
一ヶ月そわそわして落ちつかず、
当時のことを思い出すとなぜか
体調不良になったりして文字も書けなかった。

自分がこんなにメンタルが弱いとはガーン


元旦の地震、うちは震度5強だった。
おせち料理や御雑煮を食べて、
午後3時くらいからお酒を飲み始めて、
イクラ丼やローストビーフでビール飲んで
めっちゃハッピー気分だったところに、
地震が来た。

一回目は、たまにあるいつもの揺れで、
うちのセキセイインコも慣れたもので
全然気にしてなくて寝てたzzz

次にまたガタガタ音がして、
またすぐ止まるだろうと思っていたら
どんどん揺れが酷くなって、
立ってられないほどの揺れになった。

テーブルの下に避難したけど、
食器棚の扉が開き始めて父が押さえ、
冷蔵庫の扉も開き出して母が押さえた。

私はというとビールを飲みすぎて
地震が来ても酔いがさめず、
ぼーっとしてた。全く役立たずだった。

酔っぱらった頭で一番に頭に浮かんだのは
ニ階の部屋で寝てるインコのこと。
連れてきたかったけど階段を登れず、
地震がおさまるまで待つしかなかった。

あとから怖いという感情が出たけど、
この地震の時はとにかく酔ってて
なんかフワフワしてた。

机の上のインコの部屋は布団の上に落ちてて
インコは私のせいだと思った?のか、
大激怒してたけど無事で良かった。
暖房器具の上に立ってたから足が少し
低温やけどのように部分的に赤くなってたえーん
(今は治ってる)

家は古いからハンパなく揺れた。
壁やタイルが落ちたりヒビが大量に入って、
柱は隙間が開くし、食器は割れて
本棚の本は全て落ちて家具もボコボコに。

北と南に面が向いてる物が動きまくってるから、
北と南に揺れたらしい。
東と西に面した物は、服も落ちなかった。
あとPCのスベリ止めは優秀だった。


そして津波警報はびっくりしたびっくり
うちは来ないだろうと玄関を出たら、
家の前が車で数珠つなぎになってて、
近所もみんな避難してた。慌てたあせる
お酒を飲んでない父が運転して避難することに。

正直、寒いし家から出たくなかったのと
大丈夫だろうという思いもあって、
行動が遅くなったなと思う。
いざというとき全然動けなかった。反省ショボーン

津波はうちの近くには来なかったけど、
このパニックはいろいろ教訓になった。


避難するとき自分の非常用リュックの他は
全部インコのごはんと水と大量のカイロ、
インコ用の毛布をひたすら持って避難した。
車の中でインコの保温を一番考えてた。

人間用の水は一本しかなくて、
あとは冷蔵庫より冷たくなるからと
車で冷やしておいたビールばっかり笑
どんだけ飲むんだっていうね…
飲みすぎタラー


避難する道は、渋滞で酷かった。
父が抜け道を知ってたから、
そこを通って少し高台に避難できたけど
大通りは車でいっぱいだった。
みんなちゃんと信号待ちしてた🚥

引っ越す前の家は海まで歩いて5分の場所で
今の家は海から車で10分だったから、
海から遠いと思ってた。
でも直線距離だと遠くないらしい車ダッシュ

前の家あたりの知り合いに聞いたら、
本当に海沿いの町だったから皆逃げて、
道は大渋滞で数百メートル進んだだけで
そのあと一歩も動けなくなったらしい。

引っ越してて良かったと思いつつ、
津波が来たらどれだけの被害が出るか
考えただけでゾッとした…


避難して車で待機中も揺れに揺れて、
ここらへんでやっと酔いもさめて、
地震の怖さが身にしみた。怖かったな。

それからしばらく毎日毎日揺れて、
メンタル削られた。
家もますますボロになっていくしw
次に震度5強来たら確実に倒壊すると思う。

知り合いと話してると、
家がもっと酷い状態の人ばっかりで、
うちはまだマシだった。

無事だったからこその避難中の笑える話も多くて、
会う人会う人と話をしたり聞くのが
ストレス緩和と癒しになった。
でも保険の人が見に来たり、
罹災証明書の申請とか疲れた。

能登で母の知り合いが消息不明のとき
今年も年賀状が来てたのにってショック受けて、
でも生きてて良かった。

ほんとに明日は分からないというか、
今日を悔いなく生きたいなと、
とてつもなく思う出来事だった。

去年の正月はコロナになって、
今年は地震と津波警報で避難。
来年は静かに過ごせたらなと思う。


田舎だから災害のとき車の運転は
どうしても必須。
だから前と少しお酒の飲み方も変わったかな。
両親はお酒飲まなくなったよ…

私は今を大事にしたいので飲むよだれ気づき
春空エール生ビール
可愛いし、美味しかった。