こんばんは。
このブログは「その2」の続きになります。
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お母さんにODがバレて「もうしない」と約束した高2の夏休み。
ODを辞めてから最初の2・3日は何ともなかったのですが、4日目頃から離脱症状らしきものが出てきました。
よく言われる「吐き気」や「手の震え」は無かったのですが、私の場合は「イライラ」と「注意欠陥」「無気力」みたいな症状が出ました。
1日中頭が起きてないみたいな、体が何だかソワソワしてる感じで、バイト中でも頭がボーっとしてました。
そのせいで余計にミスが増えるし、バイト中でも家に居ても、特に何もないのに何かにずっとイライラしてました。
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アルバイトは夏休みの終わりがけに退職しました。
店長には「学校の成績がやばくて、学業に集中したい」という在り来りな理由を話しました。
バイトを辞めたことで家に居る時間が増え、家に1人でいると余計にODしたい欲に襲われました。
気分を紛らわすため、夏休み終盤はひたすら寝て過ごしました。
夏休みが明けて学校が始まっても常に薬のことを考えてしまい、ODしたい欲が消えることはありませんでした。
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新学期が始まってしばらく経った頃、ODが頭から離れなかった私は当時のTwitterで「OD界隈」を調べていると、とある女の子(Nちゃん)を見つけました。
プロフィールで住んでる県が同じだったのと、化粧品や雑貨の可愛い写真をたくさん載せてたので、気になってなんとなくDMを送りました。
確か「写真めっちゃ可愛いですね!」みたいなことを送ったと思います。
すぐに返信がもらえて、「何の薬でODしてるか」とか「どの薬が良かった」等のやり取りをしてました。
その日のうちにLINEを交換することになって、短時間ですが通話もしました。
通話でお互いの年齢や住んでる地域、「お母さんにバレて今はOD出来なくなった」という話をすると、「今度会おうよ。買ってあげる!」と誘ってもくれました。
離脱症状が辛かったバカな私は、「最後に1回だけ…」と会う約束をしました。
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週末、Nちゃんはお金が無い私のためにわざわざ私の最寄り駅まで来てくれました。
お母さんには「友達とお昼ご飯食べてくる」と言ってお金を貰いました。
初めて会ったNちゃんは当時21歳で、小柄でぱっちり二重で地雷系な服を着てて、ほんとにお人形さんみたいな凄く可愛い女の子でした。
Nちゃんは私を見て「高校生とか良いな〜!」と可愛く笑ってました。
近くのスタバに入りました。
聞くとNちゃんは専門学校を中退して、今はメイド喫茶で働いてると言ってました。
てっきりODの話とか暗い病み話をするのかと思ってたのですが、私がメイド喫茶が気になってたくさん質問したり、好きなアニメが一緒だったのもあり、明るい話で盛り上がりました。
メイド喫茶の仕事をキラキラと楽しそうに話すNちゃんは、私には凄く輝いて眩しく思えました。
それと同時に、当時は今ほど「OD界隈」が広くなかったので「こんな可愛いのに、この子はなんでODなんかしちゃってるんだろ…」と、余計なお世話過ぎますが少し可哀想に思ったりもしました。
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2時間ほどスタバで話して、帰りにドラッグストアに行きました。
私がDMの時にブロンでODしてたと言ってたので、ブロンを見つけるとNちゃんはすぐに買ってくれました。
「また遊ぼうね!」と言って、その日はバイバイしました。
家に帰る途中、お母さんにバレるのが怖くて私は家から少し離れた公園でODしました。
手のひらにドバっと出して、何錠かも見ずに水でイッキに飲みました。
完全に不審者でした。瓶は公園のゴミ箱に捨てました。
家に帰ってすぐ、お母さんが帰ってくるより先に私は自分の部屋に籠りました。
久しぶりのODは、フワフワと少しの気持ち悪さも感じました。
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お母さんとの約束を破ったあの日から、私は歯止めが効かなくなりました。
薬を買うお金のために、お母さんに預けてた私の通帳を家中探し回って、通帳だとすぐバレるからとキャッシュカードを勝手に持ち出してお金を引き出したりしました。
キャッシュカードでもいずれはバレることでしたが、脳が薬にやられてたバカな私はそんな将来のことなんて考えてませんでした。
しかし、お母さんは私を信頼してなのか、預かってから記帳は全くしなかったようで、この行為はバレませんでした……。
この頃から、ブロン以外にも色んな市販薬に手を出すようになりました。
心の底の罪悪感からか、ODする回数は以前よりかなり少なくなってました。
あれからNちゃんとは頻繁にLINEをするようになり、月に数回は遊んだりしてました。
学校の友達と遊ぶ気はあまり起きなかったのですが、同じOD仲間のNちゃんには「会いたい!」と思う様になってました。
Nちゃんへの憧れもあってか、私のメイクやファッション志向はどんどん地雷系になっていきました。
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冬休みに入る少し前の頃。
お母さんから「再婚を考えてる人がいる」と話をされました。
彼氏がいるとか一度も聞いたことがなかったのでびっくりしました。
前の仕事場の先輩で、実は1年半前から交際していたそうです。
お母さんは今はパートで収入が少ないのを知ってたこともあり、私は否定せずに受け入れました。
冬休みに入り、初めてお母さんの彼氏(Sさん)と会うことになりました。
この時人生で初めて高級そうな割烹料理を食べました。
初めて会ったSさんは凄く爽やかで、ずっと笑顔で優しそうなイケメンでした。
嬉しそうにSさんと話をするお母さんは、まさに「恋する乙女」の顔をしてました。
年が明けた頃、お母さんの彼氏の家に引っ越しました。
Sさんの家は前のアパートから数駅の場所だったのですが、
繁華街のすぐ近くで、外見もお洒落な部屋も広いマンションで、この時は私も少しワクワクしてました。
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冬休みも終わり学校が始まった頃。
相変わらずSさんは優しくて、私によくケーキやお菓子を買ってきてくれてました。
ただ、私に好かれたかっただけなのか、本当にスキンシップのつもりだったのかも知れませんが、異常に私に近付いてくるようになりました。
ソファーでテレビを見てると「何見てんの?」と脚の触れる距離に座ってきたり、スマホをいじってると「前から思ってたけど、(お母さん)と一緒で手ほんまに綺麗やね」と手を握ってきたり…。
日に日にスキンシップはどんどん激しくなっていきました。
私は何だか怖くなって、何かにイライラして、ODする回数も夏休み以前のように戻っていきました。
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春休みに入ったある日。
私が部屋でスマホを見てるとSさんが近付いてきて、
「(私)って(お母さん)に結構似てるよな」「(お母さん)の若い頃みたいで普通にめっちゃタイプやわ」
と言われました。
最初は笑いながらの冗談っぽい感じだったので「ありがとうございます」と流してたのですが、私の脚を触りながらゆっくりと近づいてきて、頭を撫でながら顔を近づけてきたSさんを見て、何がしたいのか察しがつきました。
「やめてください!」と咄嗟に突き放して、私は家を飛び出しました。
この時、本当にただのスキンシップだったのか、私がもっと愛想良く振舞ってあげたら良かったのか、
そもそももっと早くお母さんに、Sさんからの過剰なスキンシップを相談するべきだったのか。未だに思うことがあります。
家を飛び出してすぐ、
この時は恐怖と動揺しかありませんでした。
私はすぐNちゃんにLINEを送って、会う約束をしました。
Nちゃんと繁華街で待ち合わせして、私にお昼ご飯を奢ってくれました。
私の話を真剣に聞いてくれて、「それヤバくない!?お母さんとか、相談所とかに言ったら…?」とアドバイスもくれました。
Nちゃんに話したことで気分が少し晴れて、
それと同時に「何であんな男のせいで私が怖がらなあかんの…」とSさんや自分に対してイライラが込み上げてきました。
家に帰りたくなかったので「どっかで一緒に泊まりたい」と言ってみたのですが、
Nちゃんは夕方からメイド喫茶の仕事があり、家も寮に住んでるので関係者以外入れない…。と凄く申し訳なさそうに言ってました。
「どこか泊まる分だけでも…」と数万円くれようとまでしてくれましたが、流石に申し訳なさ過ぎて断りました。
それでもNちゃんは「晩ご飯代だけでも…!」と数千円を強く渡してくれました。
駅まではお互い無言で歩きました。
最後にNちゃんは「また夜電話するから!」と言ってくれてバイバイしました。
Nちゃんと話したのはこれが最後でした…。
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Nちゃんと別れてから、
私はやっぱり家には帰りたくなくて、少し歩いて大きな公園に行きました。
改めて1人になると悲しさとかイライラとか、寂しさが込み上げてきました。
「この話をお母さんにしたらどうなるのだろう」「私のせいで関係が終わるのかな」「お母さんあんなに嬉しそうだったのに」「私のせいでSさんがおかしくなってるなら、消えた方が良いのは私なんじゃないか…」
そんなことが頭をグルグルして、ぐちゃぐちゃになりました。
今思えば、お母さんが帰ってくるより先にSさんに「もう二度とあんなことしないでほしい」と説得しに行くべきでした。
そんな勇気も発想力もないバカな私は、いても立っても居られなくなって薬に逃げました。
「飲んで楽になれる、忘れられる」と考えると不思議なもので、ぐちゃぐちゃだった頭が冷静になって、
怪しまれないようにとドラッグストア2店舗回って、Nちゃんからせっかく貰った晩ご飯代だったお金を使って、錠剤のブロンと液体の咳止め液をそれぞれ買いました。
すっかり日も落ちた頃、
公園に戻ってすぐODしました。
ブロンを咳止め液で流し込みました。
普段なら咽せ返って絶対飲めないような酷い喉越しでした。
しばらくはベンチでボーッと座ってたと思います。
徐々に気持ち悪さが込み上げてきて、その場で嘔吐しようとしたのですが吐けず。
とりあえず水を飲もうと思ってトイレに向かったのですが、頭がグラグラしてフラフラして、途中であまりの気持ち悪さに立ってられなくなり、地面にうずくまりました。
多分、気失ってたと思います。
ここから記憶が混濁して曖昧で、
「いっそのこと死んだ方が楽になれる」という思考。
橋の上の肌寒さ。
オレンジ色の街灯の綺麗さ。
冷たい手すりの感触。
寒いような温かいような感覚。頭に響く人の声。ピッピッと鳴る電子音…。
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意識が戻った時には病院のベットでした。
体を起こそうとした時、全身の激痛と同時にセンサーが鳴って、すぐに看護師さんが駆け付けてくれました…。
その4に続きます…。