セルフ・アイデンティティー | マイケルスコフィールドのブログ

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シチューを作って食べて、ビールを飲みながらDVDを借りて見て寝て。ありふれた日常が充実した月曜日だった。
 日常、これは僕にとっての日常なんだろうか。生来の無精者ながら、部屋は結構きれいに片づけてある。生活を構成する一つ一つの物事を、満足できるように積み上げて、充実した「普通」を組み立てる。今、毎日の暮らしに満足しているのは、これが僕にとっての非日常だからではなかろうか。ふとそんな事を考えたりする。そして、それは多分正しいんだろう。今まで、生活感とか、そういうものに近寄らない人生を送ってきたから、自炊するとか、晩酌するとか、きれいな部屋に住むとか、そんな当たり前の事が新鮮でたまらないんだと思う。
 人は、自分のアイデンティティーの境界線としての日常と非日常を持っている。そして、自分の中で日常と同化できない部分は、非日常を志向する。あるいは、日常の中で自己のアイデンティティーを定義できない者もまた、非日常へと逃避する。人は、自己と他者の境界線が定かではない状態、つまり自分が何者なのかわからなかったり、何のために生きてるのかわからない=アイデンティティーが定かではない状態に耐えられない生き物だ。
 じゃあ僕は。
 間違いなく後者だろう。状況に流され、久々に落ち着いた日々をとりもどしたものの、自分の形は定かではない。仕事にも、生活にも満足してるのにもかかわらず、だ。その隙間を埋めるように、自分にとって物珍しい「普通」に充実感を求めている。
 前回カレーを作った時は、間違って10皿作った。今回シチューを作った際は、知ってて8皿作った。多分、そこが僕にとっての日常なのだろう。


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