『水の精ウンディーネ』フケー/識名章喜訳 | ななほん

ななほん

読書が好きなわたしの、日々の読書記録です。
お仕事では身体を、読書では頭もしっかり動かしたい。
文学が好きですが、ジャンルとらわれずまんべんなく読むようにしてます。
たまに映画。




この本を読むきっかけは、以前読んだドイツ文学シュトルムがかなりよくて、その話を知人にしたらご紹介していただいた、ということ。
ずっと積読していましたが、やっと読みました。

結論としてはとてもよくて、200ページ弱のそんなに長くない小説ということもあって一気に読み切りました。

「水の精」といういわばメルヘンな物語、もともと著者のフケーが神秘思想に傾倒していたということで、わたしのお仕事柄そこそこなじみのある五元素の一部について触れていたり、錬金術師パラツェルズス『妖精の書』から着想を得たりしたらしく、そもそもわたし自身にとっても興味深い分野だった、ってのもあったかも。
(ちなみに今アマプラで『鋼の錬金術師』が配信されていて、ひさしぶりに毎日コツコツ見ているのもあります😁)

この物語自体難しいところも、登場人物に分かりにくいところひねたところもなく、しかもわたしが読んだ限りでいえば古典文学ってあいまさがないものが多くて結末もはっきりしているなという印象で(それでも主人公の1人騎士に対して、君何がしたいの?というベタな感想はある😂)、現代日本に生きるわたしにとっては、逆にそのシンプルさが落ち着かないし違和感を感じすらする。


それでも読みすすめてしまったのは、古さや重さを感じさせるような美しい描写。

特にドイツ文学にはそれを顕著に感じる作品が多いなと感じていて(わたしが読んだ限りでは)、こちらは自然描写や恋に落ちる瞬間の描写がすばらしくて、今流行りじゃないから、と言ってしまえばそれまでなんだけど、こんなのはあまりなくて憧れるような気持ちになるし、たまには美しい物語を読んで素直な気持ちで「いいな」と思いたい!


でもこんなに明瞭な結末なのに、「もしこうだったら」とまた別の結末を思い描いてしまうあたり、読むと性格悪い自分に気づくことも多いからずーんとすることも多いけど、曖昧さにあふれる物語もやっばり好きなんだろうなーと思います。


後の世になっても村人たちは、この泉源を指して、これはあの哀れな捨てられたウンディーネだ、と信じていたそうです。ウンディーネがこうして、いつまでもそのやさしい腕で、大好きだった騎士を抱きしめているのだ、と。