「銀河英雄伝説」の主人公ヤン・ウェンリーの台詞を引用します。

愛国者を自称する者の正体とは、
  • 他人を犠牲にして自分の利益を築こうとする偽善悪党である。
  • 権力者に媚びる者が、安全な場所に隠れて戦争を賞賛する卑怯者である。
  • そして、愛国心の名の下に犠牲を強制して人を戦場に送り込もうとする卑劣な恥知らずである。
と喝破しています。

↑これが『高市早苗』や『石破茂』などの自民党議員や『桜井よしこ』や『百田尚樹』などの似非保守どもの正体です。
彼らは、自身で戦争には行きません。
若者に戦争させて、自分たちは安全な場所に隠れて戦争を賞賛するだけの卑怯者です。

保守と言っても、その正体は愛米保守(欧米資本の犬)であって、欧米資本の利益の為に日本人を犠牲にする売国保守です。

そこに愛国心はなく、その心は宗主国米を愛する愛米心であり、欧米資本の権力を愛する(平伏す)愛権心(愛犬心)です。



■【ウクライナ侵攻】『戦争はいつも老人が始め、若者が犠牲になる」


戦争とは爺さんが始めて、おっさんが命令し、若者たちが死んでゆくもの


戦争とはいつの時代も犠牲者は若者と子どもに女性たち。
弱い者を容赦しない。

石原親子を例にとれば、石原爺さんが尖閣諸島で戦争を始めて、おっさんの伸晃が自衛隊に命令するわけです。
この爺さんとおっさんは戦地に赴くことはありません。
これが戦争の実体です。
よく「自分の家族が犠牲になっても憲法9条の非交戦権を主張するのですか?」と言う人がいます。
これを持ち出すと戦争反対論者も言葉に詰まります。
が、感情に流されると戦争論者の思うツボです。
家族のために戦争をする。
かつての日本はこれで多くの家族が犠牲になりました。

「英霊の死を無駄にするな」ナショナリズムに訴えて国民を鼓舞し戦争へ突入するときの指導者たちの常套句です。
「言霊」の国である日本人は、こうした言葉に特に弱い。
かの太平洋戦争では「欲しがりません、勝つまでは」「鬼畜米英」「靖国神社で会おう」の名フレーズに踊らされ民間・軍人合わせて310万人もの死者を出しました。

「死者の追悼、戦争の死者については、集団的、公共的に追悼することによってナショナリズムを高め、国民統合をはかる手段として使われてきた。
人びとを戦争に駆り立てていくことは洋の東西を問わず古くからあり、日本の場合は、その中心に靖国神社が存在した」

「団塊の世代」も「もはや戦後ではない世代」も、戦場に行くことはないかもしれない。
戦場で戦死し殺されるのは息子や孫の世代なのだ。
おっさん二世議員たちの暴走を絶対に許してはいけない。
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■【れいわ新選組・山本太郎代表】
アメリカ主導の戦争の巻き添えにならないことが大事。
日本国を矢面に立たせて、軍事産業や金融資本が儲ける構図であり、日本人にとってデメリットしかない。


◇インドネシアの外相:アメリカ戦争に巻き込まれたくない。
◇フィリピン国防省:我々が求めていない欲していない戦争に巻き込まれたくない。
◇シンガポール外相:誰だって属国や猫の手になりたくない。
◇豪国防省:アメリカは二者択一を迫るようなことはするな!

↑これが普通の国の外交姿勢でしょう。
アメリカに猫の手になって、中国やロシアと事を構えるのは、日本人にとってデメリットしかありません。
あくまで、軍事産業や金融資本や特権富裕層だけが得するだけです。