お参りさせていただき、ありがとうございました。
続く。からです。
石土神社前の『四国のみち(四国自然歩道)案内板』
上り 湯浪車道終点より 山路歩き1時間20分 とあります。
、、、僕は、2時間30分💦だった。
あっちこっち見て、ゆっくりのぼっているからです。。
ひとつ前の『四国のみち(四国自然歩道)案内図』
(↓2008年12月の写真)
山の部分をアップ
(↓2008年12月の写真)
石土神社に並んで、お寺があります。
番外霊場 石土山 妙雲寺
本尊 大日如来
開基 不詳(石仙道人)
宗派 真言宗高野派
六十番前札の旧跡である。天平五年石仙道人の開創ともいわれ、
横峰寺、石鎚山と所縁を同じくする。火除大師の霊験ありといわ
れている。
巡拝者の前行懺悔の処である。(武藤)
「新」第三十四番札所。
(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人
第七版 解説編より)
正面にまわってきました。
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、
石土神社の前には、樹齢200年以上といわれるエノキがあったが、
平成12年に枯れ、高さ4mほどの幹だけが残っている。往時ここは
桜の馬場といわれ、参道は桜並木で、遍路や石鎚登山者の休憩所と
してにぎわったといわれている。
石土神社の南隣に、妙雲寺がある。この寺は、『四国遍礼名所図会』
には、「明雲寺石燈炉より少し入あり、不自由仁峰へ登らざる人ハ爰
にて札を納む、然共大方登る」と記されていて、六十番横峰寺の前札所
及び石鎚登山行者の礼拝所と定められ、遍路の参詣も多く見られた。
門前には、左右に2基ずつ石柱が立っている。向かって右には、
「六十番前札」の石柱と生木地蔵への逆遍路道を示す道標が立っている。
左には、千足山村在郷軍人建立の道標と横峰寺までの距離を示した武田
徳右衛門の道標がある。道標に刻まれている千足山村とは、かつて石鎚
山の北西に位置した山村で、石鎚頂上社、成就社、横峰寺などを村域に
含んでいた。
と、記されています。
この妙雲寺の本堂は、元61番札所香園寺の本堂を移築したと、
記録あり。
大正時代の四国霊場ガイド
『四国霊場案内 附・弘法大師御伝記』(大正十二年)
四国道人[著]の復刻版には、、、
香園寺のページ
↓大正時代の四国霊場ガイド
『四国霊場案内 附・弘法大師御伝記』(大正十二年)
四国道人[著]
の香園寺の本堂
この本堂は、、妙雲寺へ移築となる。
妙雲寺は、、、
明治17年の火災で廃寺となり、明治28年復興し、大儀寺となる。
昭和32年 名前が石鈇山妙雲寺に戻り、昭和51年に香園寺の本堂を
移築したと記録がある。
元、、六十一番札所の香園寺から移築されたんだな、、、
火災に遭い、寺の名も変わり、また戻って、、
本堂も、移築して、今ここにある。
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』にも、、、
松山周辺の人々は、
讃岐街道(金毘羅街道)を歩き大頭-湯浪-横峰寺を経て石鎚山に
登った。
いずれも千足山村(せんぞくやまむら)(小松町石鎚)を経ての登拝
であったという。この大頭から横峰寺を経由して石鎚山に登る道は、
「お山道」と呼ばれ親しまれてきた。
とある、、、
今では、山の向こう側に、バス道ができて、ここを通る、古来の
巡礼道は、淋しくなっているようだ。
続く。













