R6,5/15(15)五郎兵衛坂 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

ひとつひとつの札所を参り、何かを学んでいく。
生きること、、人とは、、いのちとは、、
国分寺へ向おう
続く。からです。
山道を下っていく。
右脇に仏様二体
㐧十一番 藤井寺と、㐧六十六番 雲辺寺と刻まれていますが、
お地蔵様のお姿です。
藤井寺さんの御本尊様は、薬師如来様
雲辺寺さんの御本尊様は、千手観世音菩薩様ですね。
お地蔵様の姿を刻み、八十八ヶ所の舟形地蔵様を並べておられるの
だろうか
こちらは、、
しっかり写せばよかった(*_*;
、、、読めなかった。。
南無、、地蔵菩薩
古の昔、、阿坊仙人様が仙遊寺で40年間修行をし、ある日、雲と
遊ぶかのように、こつ然と姿を消し、いなくなったという、、
不思議な札所『仙遊寺』
仙人が遊ぶ、、お寺
そして、、その昔、竜女が海から竜登川を伝って作礼山を登り
、一刀三礼しながら何日もかけて観音像を彫り上げ、完成させたのち、
再び海へ帰ったという話も残る『仙遊寺』
宿坊に泊まらせてもらい、過ごさせていただいた時間は、宝になり
ました。
次は、どんな心の学びができるだろう。
この道、、遍路道
いろんな人々が、祈りながら、、願いながら、、歩いた道。
 
この先、、五郎兵衛坂です
       五郎兵衛坂
 昔々、仙遊寺には、伊予守から奉納された大きな太鼓が置いてあり
ましたが、この大太鼓は、音もたいへん大きく、桜井の海岸までその
たたく音が聞こえたそうです。この大きな音に魚が逃げて漁ができな
いと、五郎兵衛という漁師が大層怒り、仙遊寺に登り、包丁でその大
太鼓を破った上、仏様に悪口雑言をあびせました。その帰り道、この
坂でころんで腰を打ち、其の時の怪我がもとで亡くなったそうで、そ
れ以来、この坂を五郎兵衛坂と呼び、この坂を歩く時は、気をつけて
ゆっくり歩くようになったといわれています。
 
⇓仙遊寺の公式サイトに、その中の仙遊寺の伝説のページ
 
ここから、、何を学べるだろうか、、
何を知るだろうか、、
(↓2006年3月の写真)
案内看板の横の仏様
國分寺へ四十五丁 渡辺仁右エ門でしょうか
両手を合わす仏様
対の石灯籠がある下り坂
看板も、、年月が過ぎて、朽ちていく。
でも、話は朽ちることはない。
ありがとうございます。
今、仏様は看板の左から右に移られたんだな。。
 
五郎兵衛さんは、、なぜ大怪我をして亡くなられたのだろう。
(↓2008年12月の写真)
今を生きる私達に、大切なことを教えてくださるため、、
(↓2010年2月の写真)
伊予守様から仙遊寺に奉納された、大太鼓
海にまで響き渡る音だった、、、
、、、その大きな音で、魚が取れないと思ったんだろう。
(↓2010年2月の写真)
五郎兵衛さんは『大層怒り』、、、。
その大太鼓を包丁で破り壊す。
 
そこで終わればまだいい。。
 
さらに、仏様に悪口雑言をあびせました。
(↓2016年3月の写真)
その結果、、
その帰り道、この
坂でころんで腰を打ち、其の時の怪我がもとで亡くなった。
 
大太鼓の音で、魚が来なくて生活ができない、、と思った。
本当か?
違う影響だったかもしれない・・。
、、、思い込み。
『大層怒り』
大太鼓を破壊し、
仏様に悪口雑言をあびせました。
 
どうすれば、、良かったんだろう。。
僕は、、山に登り、、寺に参り、、仏様に
『どうすれば良いのですか?』
と、祈るべきだったのではと、凡人の頭で思うのです。
 
怒りは、、身を亡ぼすように思うのです。
(↓2016年3月の写真)
、、、何かを教えてくださるこの五郎兵衛坂
思い込みではないだろうか。
自分の考えは、思いは、本当に正しいのだろうか。
 
怒ることも大切だけれども、、その怒りは、どんな方向に向いて
いるのだろうか。
 
自分基準。
 
一歩離れて、祈ってみるのも、いい事だろう、、
石工 當○○(地域名)  小田太助

尊い四国八十八ヶ所の札所 仙遊寺
何かを教えてくださる。
この坂、、をくだる
落ち着いて、、教えを噛みしめながら。
五郎兵衛坂
凡人の感想です。
続く。